3.天の祈り
その言葉にイオリが口を閉ざす。アイスローズは気怠い笑みを見せながら、勝手にポテトを摘まんで口に入れた。
「届いたなら結構だ。子狐ちゃんが色々探し回っていたのを、アタシはずっと見ていたんだから」
「……あんたが見ていたのを、僕もわかってたよ。何でかはわからなかったけどね。自分の領分を荒らされたわけでもあるまいし」
「視界の端でウロウロされると気になる性分なのさ」
「それは軍隊時代の名残で?」
イオリは精一杯の皮肉と牽制を口にしたが、それは経験を積み重ねた女にはそよ風のような物だった。余裕の笑みを見せて、アイスローズは落ち着いた口調で話す。
「五年で名残なんか出るもんか。あそこで学んだのは山でいかに上品に用を足すかと、乾電池でハーブの煙を吸う方法ぐらいさ」
「貴女、軍人だったの?」
エストレが意外だと言いたげに目を丸くする。
「そうだよ、お嬢ちゃん。といってもこの島国には軍隊なんて前時代的な物はないけどね。海を越えた向こう側の、とんでもない国の話だよ」
「とんでもない国?」
「笑うにもマナーが求められる国でね。横にいつも教師が立っていて、笑うタイミングを指示する。その通りに出来ないと、細鞭で手をぶっ叩かれるって寸法さ」
聞いただけで痛くなったように、エストレは自分の手の甲を摩った。アイスローズが元軍人であることは、シズマ達のような人間には半ば常識のように知られている。だが、今の彼女からそれを連想することは困難だった。
「わざわざアタシの経歴を調べた? それともご自慢の「ACUA」を使ったのかい?」
「僕が簡単に手の内明かす馬鹿に見えるなら、眼科を紹介してあげるよ」
「それもそうだ。第一、別に隠したい過去でもない。カラス、あんたは隠したいものはある?」
急に話を振られたシズマは、一瞬の間を挟んでから首を縦に振った。
「ヘソクリの場所は死んでも隠したいな。といっても今日、隠し場所ごと家が燃えたから無意味だが」
「一番いいのは下着の中に縫い込んでおくことだね。ただ洗濯する時にソフト洗浄しなきゃいけないのが問題だけど」
アイスローズは紙袋をエストレの方に押しやった。
「トイレで着替えておいで。カラスは男だからどうにでもなるけど、あんたはそういうわけにいかないだろ?」
「ありがとう。着れるかしら?」
「鎧甲冑着せようってわけじゃないんだ。ちょっとサイズが緩い程度なら問題ないと思うけどね」
「キツかったらどうしようかと思ったの」
「アタシのサイズを基準に買ったから平気だよ」
ほら、とアイスローズが促すと、エストレは礼を述べて立ち上がった。しかし、そのまますぐにはトイレに向かわず、ボックス席の中を振り返る。
「イオリも来てくれない?」
「は?」
名指しされたイオリは、きょとんとした表情でエストレを見上げる。
「一人だと怖いんだもの。何かあったら困るでしょ?」
「だったら、オジサンを連れて行けばいいだろ」
「嫌よ。何が悲しくてシズマと一緒にトイレ入らないといけないの? 援助交際みたいじゃない」
「僕だって、あんたとトイレ入りたくないよ」
「じゃあ見張りでもしていてくれたらいいわ」
イオリはエストレが引きそうにないのを悟ると、文句を呟きながらもボックス席から出た。
「一人でトイレ行けないとか、子供かよ」
「事情が事情なんだもの。仕方ないでしょ。それに此処に殺し屋が来た場合、私と一緒のほうが生存率上がるわよ」
エストレがイオリを連れて店の奥にあるトイレの方へ消える。店内に流れる悪趣味なジャズサウンドに混じって鍵がかかる音が聞こえると、アイスローズは静かに切り出した。
「ヒューテック・ビリンズはここ数日の間、セキュリティが余計強固になってるよ。店に来る連中から聞き出したけど、大口の取引を停止して、本社には正規社員以外出入り出来ないようになってるって」
「エストレ絡みか」
「恐らくそうだね。ハッキングしようにも、こっちのメインサーバが乗っ取られそうだから諦めたよ。代わりに「レーヴァン」のことを調べた」
「あのイカれた解体業者か」
「随分可愛いあだ名だね。今度飼うハムスターの名前候補に入れておこうじゃないか。……レーヴァンについて、あんたが知ってることは?」
「人間専門の殺し屋で、刀を使う。実際見た限り、相当身体能力が高いな。嫌味っぽくて、高慢な野郎だ」
「それだけ?」
「それだけって?」
アイスローズはシズマの鸚鵡返しに鼻で笑った。
「おやおや、やっぱり託児所の方が性に合ってるんじゃないのかい? そんなに観察眼がないなんて、殺し屋としちゃ致命的だ」
「勿体ぶるじゃねぇか。タイムマシンでも開発して、オギノ玩具店に連れて行ってやろうか。実際、エストレなんかあいつのことを殆ど覚えちゃいないだろうよ」
「遠慮するよ。レーヴァンだけどね、あれは……アンドロイドだ」
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