2.狐と薔薇
「ところでクソガキ。お前の目的を聞いてないんだが」
「それ言わないとダメ?」
「逆に聞くが、言わなくて済むと思ってるのか?」
「思わないね。でも言ったらあんた、僕のこと置いていくんじゃないかな」
シズマは片眉を持ち上げて、わざとらしい溜息をついた。
「これ以上、ヤバイ橋を渡るのは御免だぜ。俺はクガヤマサーカスの面接を受けるつもりは無い」
「渡るのはあんたじゃない。僕がその橋に行くための手助けをしてほしいだけだよ」
「おい、聞いたかエストレ。多分その橋ってのはアイスキャンディーの棒で出来てるぞ。手助けしようと橋に近づいたが最後、このクソガキと一緒に奈落の底へ真っ逆さまだ」
パンズからはみ出した長いポテトを指でつまみ、それでイオリを指しながらシズマは向かいの少女に声を掛ける。ハンバーガーに悪戦苦闘していたエストレは、眉を寄せて顔を上げた。
「本当に酷い味ね。コーラが甘ったるいのが救いだわ。それより貴方、イオリの話をちゃんと聞いていた? 彼は橋の手前まで連れて行ってほしいだけよ。後は一人で渡ってみせる。そうでしょう?」
「うん。でも僕だけじゃどうしても橋まで行けないんだ。橋の場所は知っていてもね。バーチャルビューアショップの、一番奥の赤カーテンみたいなものさ。『十八歳未満立ち入り禁止』ってやつ」
「そういう映像は、違法サイトで見るんじゃないのか?」
「見るだけならそれでいいよ。でも実物が欲しいじゃないか。僕が実物を手に入れたいデータは、ヒューテック・ビリンズの中にあるんだよ」
イオリは落ちてきた眼鏡を人差し指の第二関節で押し上げると、子供らしくもない笑みを見せた。
「そしてこれはあんたらにも十分利益のある話だ。何しろ僕が手に入れたいデータというのは「人間をアンドロイドにする技術」だからね」
その言葉は二人を驚愕させるには十分だった。シズマとエストレの唖然とした表情を見て、イオリは満足そうにコーラを喉奥に流し込む。ネットカフェでやったのと同じように、クラッシュアイスを行儀悪く噛み砕くと、冷えた唇を動かして言葉を続けた。
「ACUAに出回る噂話の中にあったんだ。僕はメンテナンスでその噂が妙にデコレーションされていることに気が付いた。要するに誰かが故意にその噂を消そうとしているんだよ」
「もしかして、ヒューテック・ビリンズか?」
「その通り。よっぽどその噂が都合悪いんだろうね。試しにハッキングを仕掛けてみたけど、一部だけ寄宿舎のシスターよりも堅牢な場所があった」
「その中にあるのか?」
「いいや、あれはダミーだね。恐らくその情報は生きたネットワークの上にはなくて、独立したローカルネットワークにのみ存在する。だから情報を手に入れるには、実際にあの会社に入り込むしかないってわけ」
「なるほど。お前はハッカーとしては優秀だが、潜り屋でもコソ泥でもない。それでヒューテック・ビリンズに入り込む「用事」がある奴を探していたのか」
シズマは納得したように呟いた。ハッキングの技術だけで出来ることは多いが、それでもアナログな部分に及ばない分野があることは否めない。子供の身でアンドロイドが運営する会社に乗り込むのは、よほどの強運と技術がないと不可能に近かった。
「だがそんなの、普通の感覚で見れば荒唐無稽な噂話に過ぎないだろう? お前はそれが本当にあると思っているのか?」
「思ってるよ。人間をアンドロイドにする技術を、彼らは持っている」
断言するイオリにシズマは二度目の違和感を覚えた。ネットカフェで銃を突きつけた時にも見た、妙な感覚。幼さすら残る少年の、皮一枚隔てた奥に絶望が蠢いているようだった。
それを問い詰めるべきかどうか悩んだ、一瞬。誰かが三人のいるボックス席へ近づいた。
「おや、カラス。殺し屋はやめて託児所でも始めたのかい?」
白ワインと安物の香水の匂いが、シズマの鼻をついた。
顔を上げたシズマは、こちらを見下ろす涼しい青い目を見て口角を緩める。
「九時から六時までの完全保育だ。上等なミルクとオシメしかないのが問題だけどな」
「じゃあ開業祝いだ」
酒焼けした声で言いながら、女は紙袋をテーブルの上に置いた。シンジュクにあるデパートのロゴが入った袋は折皺と埃だらけで、お世辞にも綺麗な状態ではない。
「服と靴を一揃え持ってきてくれ、なんて言うから何かと思ったら、暫く見ない間にお洒落な着こなしになってるじゃないか?」
玩具店の乱闘により、シズマとエストレの服はところどころが裂けたり、泥の汚れが付着していた。今は暗いから良いが、日が昇ってからこの格好で歩き回るのは目立ちすぎる。
そう考えたシズマは、シンジュクの情報屋に連絡を取った。それが一時間前のことである。二人分の服をかき集めて来たアイスローズは、疲れたような顔をしていた。
「そっちの男の子は?」
「そいつはさっき拾ったんだ。だから服の替えは必要ない」
「ふぅん」
アイスローズはイオリを見て、細い眉を持ち上げた。
「こんなところで何してるんだい、フォックス」
コーラをストローですすっていたイオリは、眼鏡の奥の鋭い目で睨み返す。
「僕が何をしようと勝手だろ」
「お前ら知り合いか?」
「知り合いってほどでもないよ。ただ同じ情報屋だからね」
アイスローズはシズマに奥に行くように促すと、自らもボックス席に腰を落ち着けた。朝出会った時と違って化粧も髪も綺麗に整えられている。だが着ている服は朝と同じで、毛玉だらけのパーカーを羽織っている程度の差しかなかった。
「あんたみたいな半分アナログの情報屋と僕を一緒にするな」
「アナログな方が強いこともあるんだよ、坊や。それより、「天の祈り」は届いたかい?」
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