5.ACUA's Administrator

 契約、と聞いて反応したのはシズマだった。

 噂話のネットワークを管理する、という言葉だけでも胡散臭いのに、ましてそれに契約が絡むなど、到底信じられる物ではない。


「じゃあお前は誰かに雇われてるのか?」


「違う。僕たちは管理者同士で互いを監視しているんだ。それにより公平性を持ち、私利私欲のためにネットワークを使った者を罰することが出来るように」


「そんな契約に何の意味がある」


「大ありだよ、オジサン」


「そうよ、オジサン」


 イオリの小馬鹿にした言葉に、エストレが便乗した。それに対する文句が出る暇もなく、説明が続けられる。


「よく考えてみなさいよ。彼らは私利私欲ではACUAを使えない。裏返せば、私利私欲でないのなら管理者として最大限に近い使い方が出来る。裏切った管理者を噂話で殺すなんて朝飯前よ」


「殺す? ゴシップ雑誌で殴り殺されるのか」


「そうじゃないわ。噂を悪意を持って変質させれば、万引き犯を大量虐殺者に出来るってことよ。偶にいるでしょう? おバカなイタズラをして、そのせいで皆から責め立てられ、職や家族を失うぐらい追い詰められちゃう人」


「あぁ、何であんなにボコボコにされるんだからわからない……って、まさか、それが?」


 驚くシズマに、イオリが同意の代わりに言葉を引き継いだ。


「まぁそのほとんどは偶然だけど、偶に故意に行われることがある。ACUAはチャットでもソーシャルネットでもゲームにでもなんでも入り込めるからね。一人の人生潰すぐらい楽勝なんだよ」


「そんなのに、お前みたいなガキがどうして」


「だからガキじゃない。忘れっぽいなら手の甲にマジックで名前を書いてあげようか。お洒落なタトゥーみたいだろ」


 イオリは宙に指で文字を書く仕草をしながら言った。しかしすぐに気を取り直したように笑顔になると、二人の方に膝でにじり寄る。


「ねぇ、あんたらの目的は知ってるよ。僕も混ぜてくれないかな」


「お前を?」


「僕なら上等なノート型端末を用意出来るし、追手の目も誤魔化せる。あんたらがここで悠長にお茶会が出来ているのは、僕がウッドペッカーを片っ端からハッキングして、映像情報を消したからだ」


「お陰で俺たちはあのイカれた殺し屋から逃げれてるってわけか。そりゃありがたいが、頼んだわけじゃない。こっちはエストレだけで手一杯だ。余計なガキまで連れてる余裕はない」


「手一杯とは失礼ね。私は雇い主よ」


「金をくれない雇い主だけどな」


 シズマはエストレをその一言で黙らせると、首を少し傾げるようにしてイオリの顔を覗き込んだ。眼鏡の奥の黒い瞳に、シズマの怪訝そうな顔が映り、そしてそれは瞬きによって消えた。


「お前、何が目的だ」


「単純に言うならスリルだね。ハッカーをして数年も経つと並の「イタズラ」じゃ、つまらなくなっちゃってさ。ACUAは魅力的だけど、管理者だとあのシステムを使って遊べないし」


 白い歯を見せて笑うイオリは、無邪気な口調で続けた。


「あんたらについていったら、面白そうじゃん。それに管理者は利用者にアドバイスするのは禁止されてないんだよ。今よりもっとACUAを活用出来れば、レーヴァン達に先手を打てる。良い話だと思うけど?」


 シズマはその返答に対して、思い切り渋面を作る。遊んでいるような、実際遊び気分なのだろう相手の態度に苛立ちを覚えたせいだった。


「何がスリルだ。ネットの海に浮き輪で飛び込んで、酸いも甘いも知った気になってるなら今すぐ手を引け。お前のその賢い賢い脳みそが道路にぶちまけられる頃には、家で寝てりゃ良かったと後悔する羽目になる」


「でもこのままだと、あんたらはすぐにレーヴァンに捕まるよ。オギノさんが命を張った銃撃戦に泥塗って終わるんだ。ザマないね」


「俺はやれることをやるだけだ。あのアンドロイド女は関係ない」


「やれるだけやるなら、猫の手でも子供の手でも取りなよ。実際、僕はそこらへんの情報屋より優秀だし、ACUAのことも知っている。断る理由はないと思うけどね」


 イオリは傍らの大きなリュックサックを引き寄せると、中から小さなノート型端末を取り出した。表面にはハンティングゲームのロゴシールがいくつも貼り付けられている。シールの一部が汚れているのは、ケチャップの痕のように見えた。


「一つ証明してあげるよ。僕がどれだけ優れているか。それを見たら、あんたも考えが変わるんじゃない?」


「何をするつもりだ? ワールドカップの公式サイトに入り込んで、登録選手を全員サッカーボールに挿げ替えるような芸ならお断りだ」


「古いねぇ、オジサン。錆びついたイタズラだよ、そんなの」


 イオリはキーボードに手を載せると、素早く指を動かし始めた。エストレの倍近いスピードで、それでいて音が殆どしない。「流れるような」という表現がしっくり来る動作だった。


「さっき僕が、あんたらを逃がすためにやったこと、覚えてる?」


「ウッドペッカーのハッキングだろ」


「そう。でも全ての情報を消すと、却ってあんたらが近くにいることの証明になる。隠せば隠すほど不自然だからね。だからあんたらがイケブクロに留まっていることをレーヴァンに知らせないようにするには……」


 イオリは組んだ足の上に端末を載せると、その画面をひっくり返して二人へと見せた。平たいモニタには、どこかの街並みが映っている。平たく無機質な建物が窮屈に身を寄せ合い、その向こう側に高層ビルがいくつも建っていた。どんよりと流れる空気のせいか、妙に灰色に見える街並みは、シズマにとっては見慣れた場所だった。


「シンジュクじゃないか」


「そう、二番街のあたりだよ。これは宇宙衛星が撮影した画像をリアルタイムに取得するサイトで、閲覧時間に応じて課金はされるけど情報屋達には重宝されている」


 映像の一部が拡大される。

 薄汚れた路地に、見慣れた背中が横切るのが見えた。建物と建物の隙間を早足で進む男は、傍らに銀髪の少女を連れている。道に積み上げられたゴミを避けた少女が何か文句を吐いていた。

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