4.純血のハッカー

 隣の個室で待ち構えていた少年は、どこから見てもただのジュニアハイスクールの生徒に過ぎなかった。羽織っているパーカーの安っぽい光沢は、その年代の少年が好んで着るには相応しい質をしていたし、眼鏡だけ妙に高価なのは、それが大人によって買われた物であることを示している。

 狭い個室に三人入ると一気に密度が上がったが、シズマは気にせずに「で?」と切り出した。


「ホームパーティにご招待頂いて感謝するが、ジンジャエールでも持ってきたほうが良かったか?」


「オジサン、センスないね。今時そんなの飲むやついないよ」


「オジサンじゃねぇ。俺はまだ二十五だ」


 反論するシズマに少年は冷めた目を向けた。


「自分より十歳も上の人をオジサンって言って何が悪いんだよ。それともカラスって呼んだほうがいい?」


「俺の通り名まで把握してるのか。最近のガキってのは器用なもんだ」


「僕の名前はガキじゃない。ちゃんとオリモト・イオリという名前があるんだ」


「……あん?」


 その名前に引っ掛かりを覚えたシズマは口を歪めた。それから相手をまじまじと見つめ、あることを確認する。


「お前、純血か?」


「悪い?」


「別に。珍しいと思っただけだ」


 かつてこの島国は単一民族国家だった。今はそんな過去は遠い昔になってしまい、多種多様な民族と交じり合っている。だが稀に、他民族の血が一切混じっていない人間もいて、それは「純血」と呼ばれていた。

 イオリの髪は染めたもので根本は黒く、瞳も黒い。シズマも同じ色であるが、イオリのほうが一層暗くて深い色をしていた。


 チャイナフーズ店にいたコーノ・マサフミは、名前は純血に近かったが、顔立ちには大陸の血が覗いていた。だがイオリにその傾向は見られない。肌の色も黄色がかっていて、ネットカフェの照明の下では殊更その色が目立つ。


「純血は髪を染めたがると聞いたが、本当なんだな。いい色なのに勿体ない」


「煩いな。染めたほうが目立たなくて済むんだよ。特にこういう仕事をしているとね」


「ハッカーか。どうし……」


「どうして僕が子供だってわかったの?」


 イオリはエストレに対して問いかける。眼鏡の奥の目は油断なくエストレの口元を見つめていた。エストレは挑戦的な視線に対して、どこか余裕を持った表情で応じる。


「ただのハッタリよ。運動が苦手で「雨が降ると助かる」なんて言うのは、学校に通っている子供ぐらいだわ。雨だとスポーツ実習が中止になるもの」


「確かにそれは僕のミスだ。でもどうして僕を捉えた? ACUAの中からあんたは僕の情報を掴んで、逆探知をしたんだろう?」


「それも賭けね。体育が苦手な子供のハッカー。学校に真面目に通っているということは、それなりに交友関係があるんじゃないかと思ったの。だったら、貴方の交友関係にケチをつければ、必死になってそれを消そうとすると思って」


 イオリはエストレの狙い通りに動き、そのせいで自分が使用していた端末を逆探知されてしまった。先ほど個室の壁を叩いたのは、エストレからそれをシングルチャットで知らされたためだった。


「私、ギャンブルの才能あるんじゃないかしら。どう思う、シズマ?」


「詐欺師のほうが向いてるかもな。で、今度はこっちの質問に答えてもらうぞ。お前、どうして俺たちに接触してきた」


 シズマが改めて問うと、イオリはパソコンデスクに置いてあったプラスチック製のカップを手にして、中身を飲み干した。ついでとばかりに一緒に入っていたクラッシュアイスも口に含み、バリバリと乱暴に噛み砕く。


「ACUAを急に弄りだした素人がいた。普通は企業や研究機関が恐々と触るのに、堂々とアクセスして情報を次々と取って行ったんだ。扱いは悪くなかったけど、その手段は素人で、僕は興味を惹かれた」


 そう、とイオリの青白い指がエストレを指さした。


「エストレ・ディスティニー。あんたのことだよ」


「そんなに目立ったかしら、私」


「キース・ボーダーを知ってる? チェスに愛された天才って言われた人さ。彼は三十歳の秋に、ショッピングモールでやってた小さな大会で初めて駒を動かした。そしてゲストで来ていたプロを拙い手の動きで敗北させたんだ。あんたの手法はそんな感じだったよ。天から与えられた何かで動いてるような」


「光栄ね。でも弄ったのは初めてじゃ……」


「六か月前だ、あんたがACUAに触れたのは」


 エストレの表情が変わり、警戒するようにイオリを見る。狭い空間の中の限られた空気が硬直し、一瞬だけ全ての物音が遠ざかるかのような錯覚を三人に与えた。


「貴方、ただのハッカーじゃないわね。私がその時にアクセスを始めたことを知って、此処まで監視し続けていたとでも言うつもり?」


「だからさ、あんたの手法は特殊すぎたんだよ。僕の興味を引くには十分だった。管理者として妙な動きをするユーザを見ておくのは当然だからね」


「……管理者Administrator


 エストレは茫然と呟くと、目を見開いたまま息を吐いた。


「アセストン・ジスティルがそのネットワークを制御出来なくなった時に用意した、複数名の「管理者」。貴方がその一人だと言うの?」


「そうだよ。正確には後継者ってところだけどね。前の管理者が死んだから、僕がその座を引き受けた。管理者は十五人いるけど、多分僕が最年少だ」


「じゃあ残りの十四人も私のことは知っているのかしら」


「いるかもしれないけど、心配しなくてもいい。管理者はACUAを噂話を飲み込むだけの化物にしないよう、定期的にメンテナンスするだけのエンジニアに過ぎないからね。誰がそこにアクセスしようとも放置し、そして誰に何か聞かれても仕組みは明かさない。そういう契約を結んでいる」

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