2.古い映画とコインゲーム

「お前、チャイナフードなんて食べるのか?」


「いいえ。知識として、映像を見た程度ね」


「若い女は目立つから、気を付けろよ」


 汚泥のような空気に満たされた路地を進む。シンジュクと違って、此処は静かだった。

 皆、大きな声を出して自らを主張したりしない。黙って身を隠し、気付かれないようにする。安いホテルのシャワールームで息を殺して、ドアを開けた女の首にナイフを刺す。刺された女も悲鳴を上げずに、喉を押さえて逃げ惑う。

 壁一枚隔てた向こうで何が起きているかわからない。それがこの町の特徴でもある。


 静かな路地の先に、看板が壊れているチャイナフーズ店があった。営業しているのかどうかも怪しいが、暖簾の残骸のようなものが店先に出ているので、一応営業はしているとシズマは判断する。

 店の中を覗き込むと、客は誰もおらず、店長らしい男がカウンターの中で洗い物をしていた。


「開いてるか?」


「何名様?」


 意外と愛想よく、その男は言った。

 太った赤ら顔で、目が細く吊り上がっている。煙草のヤニで黄ばんだ歯を惜しげもなくさらしているのが、逆に好感が持てた。

 カウンターに腰を下ろしたシズマは、エストレが所在なく視線を彷徨わせているのを見て、声をかける。


「どうした?」


「イメージと違って驚いてるわ」


「そうか。だが目立つから座ったほうがいい」



 エストレは小さく頷いて、安物の椅子に腰をかける。脚の高さも揃っていない、クッションもない椅子に、上手く座れずにいた。


「此処、水餃子はやってるか?」

「えぇ、えぇ。うちの水餃子はここらじゃ元祖でね。俺の前の前の店主が出したら、あまり流行したんで、そこら中が真似したんですよ」


 得意そうに言う店長に、シズマは冷静に水餃子を注文する。

 話し好きの店主というのは情報収集には向いているものの、下手すればいつまでも喋っている危険があった。


「シズマ、貴方の銃を直せる人、来るかしら?」


「それを今から聞くんだろ」


「私はどうしていたらいいの?」


「水餃子を食べて、大人しくしていることだな」


 そのうち、二人分の水餃子が出てくると、エストレは箸立てに手を伸ばした。二本の箸を取り出して、その目を何度か瞬かせる。


「ねぇ、これ壊れてるわ」


「どこが? 普通じゃないか」


「だってブリッジがないもの」


 シズマが意味がわからずに黙っていると、カウンターの中で店主が笑い声を上げた。


「お客さん、随分良いところのお嬢さんをお連れのようで」


「わけあって預かっているだけだ」


「ブリッジってのは箸と箸を繋いでる、アーチ状のパーツだよ。それがあれば、片方の箸が手から外れても、もう一つはちゃんと手に残るってわけだ」


「最近の箸はそんなことになってるのか。世も末だな」


 呆れた様子で言ったシズマに、エストレが口を尖らせる。


「でも見たことなかったんだもの。壊れてるって思っても仕方ないじゃない。大体、どうやって食べるの?」


「ブリッジとやらがなくても使えるだろ。というか落下防止のためだけなら、あろうがなかろうが、どうでもいいじゃないか」


 その指摘に、エストレが虚を突かれた表情をした。

 生まれてこの方、箸といえばブリッジで接続されているものしか触れてこなかった少女は、当然のことながらブリッジがなければ箸は使えないと思っていた。


 しかし、シズマが指摘した通り、ブリッジは箸同士をつなぐためのもので、それが無いからといって箸で物を摘まめないわけではない。


「盲点だわ」


「嘘だろ、おい……」


 シズマはそれだけ呟いて、水餃子を口にした。良質なものなど知らないが、少なくとも不味くはない。シンジュクの一角には、餃子とは名ばかりの小麦粉と生ごみの練り合わせを出す店があるぐらいだ。それに比べたら上等な部類だった。

 緩慢な動作でそれを食べながら、シズマは店主へと話を振る。


「なぁ、この店に「コーノ」という客はいないか」


「さぁ。客の名前なんかいちいち聞かないね」


 食事を提供した店主は、カウンターの中で蒸気パイプを吹かしていた。ニコチンを伴う煙草が麻薬指定されてからというものの出回っている「健康器具」。火を点けるか電気を通すかの違いだけで、健康被害は特に変わりない。


「技術者なんだ。心当たりはないか?」


「そんなこと言われてもなぁ。技術者ですって札下げた客が来るわけじゃない」


 店主の言葉に、エストレが「もっともね」と相槌を打った。


「それに面倒ごとも御免だね。こんな店で技術者探して、何が目的だ?」


「探偵だと言ったら信じるか?」


 シズマが大真面目な調子で言うと、店主はパイプを口から離して煙を吐き出した。


「古い映画の観すぎだな。今時、子供でも言わない冗談だ」


「まぁ冗談だが、ちょっとした人探しぐらいは誰だってするものさ」


「何のために」


「彼女のためさ」


 シズマがエストレを指さして言う。水餃子を不慣れな手つきで食べていた少女は、視線を少しだけ上げたが、また食べる作業に戻ってしまった。

 その様子を見た店主は首を右に傾け、そしてまた元に戻る。


「やはり古い映画が好きと見た」


「あんたも好きなのか?」


「あぁ、キンバリーの頃は最高だ」


 店主は笑いながらそう言うと、一枚のコインを取り出した。子供の玩具として使われる、旧時代のアルミ硬貨である。


「一つ、賭けをしよう。お前さんが勝ったら、知っている客について全部教えてやる。コーノという名前かは知らないけど、何かの役には立つだろう」


「俺が賭けに負けたら?」


「この店で一番高い酒を買ってくれ。今月の売り上げが最悪なんだ」


 シズマは鼻で笑うと「乗った」と返した。

 正直、財布の中身は心もとない。だが、いざとなれば何とでもなる。水餃子だけ食べて帰るほど、今のシズマは暇ではない。


 店主はアルミ硬貨を右の握りこぶしの上に乗せると、左手で手首を叩いて、硬貨を宙に弾いた。舞い上がった硬貨が、勢いを失って落ちてくる一瞬で両手を交差し、それぞれの手を握りしめる。

 二つの握りこぶしをシズマの前に差し出した店主は、どちらかを選ぶように促した。


「古典的だな」


 シズマはそう言って、二つの握りこぶしを見比べる。小さなアルミ硬貨を握った程度では拳の形は変わらない。


「シズマ」


 様子を伺っていたエストレが不安そうにその袖を引いた。


「此処のお酒、とても高いわ」


「そういう、萎えることを言うな。君は黙って餃子を食べていればいい」


「でも、文無しになったら銃を直して貰うことも出来ないじゃない」


「そこは出世払いだ。何だったら、脅して言うことを聞かせたっていい」


 シズマは右手の人差し指を伸ばすと、相手の拳を選ぶかのように左右に動かした後、その中央で手を止めた。

 指の先は店主の口を示していた。


「あんたがコーノだな?」


「……よくわかったねぇ」


 店主が口を開き、舌を出す。その先にはアルミ硬貨が乗っていた。

 それを見て、シズマは少々嫌味っぽい口調で返した。


「古い映画によくある話だろ?」

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