episode4:歯車の修理人

1.イケブクロの陰鬱

「殺し屋を雇うなら、せめて片方はお休みにして欲しいもんだ」


「仕事熱心なのよ」


「アンドロイドにだって有休奨励日は存在するはずだぜ」


 前を歩くエストレの、黒いバルーンスカートが揺れる。

 シズマはそれを見ながらため息を一つ零した。


 シンジュクからタクシーを使って、イケブクロまで来るのは、存外痛い出費だった。

 ショルダーポーチの中には、財布もエストレから受け取ったタブレットも入っていたが、財布の中身は心もとないし、タブレットは仕事が終わらなければ金にならない。


 かといって都心部を結ぶ公共レールを使うのは、自分たちで時間が調整出来ない分、彼らに待ち伏せされる危険があった。

 途中で襲撃される危険を考えれば、多少財布が軋んだ悲鳴を上げようとも、安全な手段を取るに限る。


「まさか家まで失うことになるとはな。結構気に入ってたんだぞ、あそこ」


「大事だったの?」


「別に大事ってほどじゃないが、かといって何も感じないほど俺は高尚な精神をしていない」


 シズマは今頃廃墟と化したであろう自分の家を思い出して、二つ目の溜息を生み出した。住んでいたのはせいぜい二年程度だったが、それとて多少の思い入れはある。


 仕事に必要な物も、買ったばかりだった豚肉も、飲みかけのウイスキーも全てアンドロイドと心中した。ベッドの下に隠してあったアダルトバーチャルビューアが一番の痛手だったが、今更何を言っても始まらない。


「で、この辺りなのか?」


 住居のことを頭から振り払うために、シズマは質問を口にする。エストレはすぐに返事をした。


「そのはずよ」


 イケブクロはシンジュクほど発展しなかった分、少々の陰鬱さを伴う街だった。

 イーストゲートとサウスゲートあたりは、まだ華やかな光景が広がっている。だがノースゲートの周辺は、五十年ほど前から開発も進んでおらず、日々朽ちていく怪しげなビルが、淀んだ空気を作り上げていた。


 着飾った娼婦達が、通りかかる男に声を掛けては安いモーテルの中へ消えていく。

 そのモーテルの前では、まだ早い時間なのに酔いつぶれた男が、通行人に呂律の回らない罵声を浴びせていた。


 そんな光景は此処では見慣れたもので、何処に行っても似たようなものだった。シンジュクではこういった負の部分は、全て二番街に押し込まれているが、イケブクロは野放図な分、性質が悪い。


「どのあたりにいるんだ? その技術者っていうのは」


「どこの雑居ビルかはわからないけど、その近くにあるチャイナフード店に良くいるそうよ」


「イケブクロにどれだけチャイナフード店があると思ってるんだ?」


「ノースゲート区だけで二三軒ね」


 エストレはあっさりと答えた。


「でも安心してよ、シズマ。重要な情報がもう一つあったわ」


「なんだ」


「そこのお店は水餃子が美味しいらしいわよ」


 思わずシズマは舌打ちをした。


「いい情報過ぎて涙が出るね。生憎俺の財布には、此処で水餃子のグルメツアーをするほど金がない」


「私も、そんなに沢山水餃子を食べたくないわ。ハズレだったらもっと困る。第一、もし当たりでも、目的の人物がその店に丁度来ている確率は低いわよ」


「じゃあどうするんだ?」


 シズマが問うと、エストレは端末を抱え直しながら考え込む。

 黒い瞳には雨上がりの薄汚い街が映っていたが、彼女はそんなものを見てはいなかった。


「情報収集するしかないわね」


「簡単に言うなよ。いや、お前なら可能か?」


 エストレはゆったりと微笑む。


「残念なことに万能じゃないの、あれは。けれどあれに頼らなくても、推測は出来るわ。ミスター・コーノに関する情報は非常に少なかった。これは彼が殆ど人前に姿を見せないことを表している」


「確かにな」


「そして店の知名度が高ければ、情報量は自ずと多くなるけど、その傾向はない」


「流行ってない店ってことか」


「でも長期時間軸で捉えた場合の彼の情報量に変化はない」


「……流行ってはいないけど、潰れてもいない。常連だけでもっているような店か?」


「ということだと思うわ。イケブクロはチャイナフーズ店が多いけど、その殆どはチェーン店とか、高級店。今挙げたような条件の店は一握りね」


「参考までに聞くが、それで何軒だ?」


「三軒よ」


 右手の指を三本立てるエストレを見ながら、今度はシズマが考え込む。


「回っても悪くない数字だが……。その中で店の名前が曖昧なものはないか?」


「一軒あるわよ。ちゃんと名前があるんだけど、看板が壊れてるの」


「そこが怪しいな。水餃子があればビンゴかもしれない」


 行こう、とシズマが促すと、エストレは素直にそれに従う。ノースゲートの独特な空気は、彼らのことを受け入れるかのように其処にあった。

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