3.望まぬ来訪者

 ベッドの上で、情報を追うだけの機械と化したエストレが人間に戻ったのは、一時間も経ってからだった。

 窓の外は雨も殆ど止んで、午後の日差しが雲の向こう側から感じられる。


「彼はイケブクロにいるわ」


 唐突にエストレが呟いた。

 珈琲を飲んでいたシズマは、最初その声が何だか理解出来なかった。

 エストレが何か言ったのだと気付いて聞き返すと、彼女は特に気を悪くした様子もなく同じことを繰り返した。


 シズマのいる小さなキッチンスペースから、エストレのいるベッドまでは三メートルほど離れている。

 かつて何かの店舗として使われていた部屋を借りているため、値段の割りに広いところを彼は気に入っていた。


「その銃の調整が出来る技術者が、イケブクロにいるの」


「本当か」


「その銃の形状とパーツ販売区域を絞って、ACUAアクアを操作したら見つかった。名前は「コーノ」。ノースゲートの先、雑居ビル群のどれかに住んでいる」


 エストレはそこでふと、部屋に充満する珈琲の匂いに気付いて、そしてシズマを見た。


「私にもくれない?」


「あぁ。安いインスタントだけどな」


 珈琲の容器に手を伸ばしかけた時、シズマは外の物音に気付いて手を止めた。

 錆び付いた階段を昇る、軋んだ音。

 それは人間の足音ではなかった。


「逃げる準備をしろ」


 それだけで彼女は全てを理解して頷いた。

 シズマは銃と仕事用のショルダーポーチ、エストレは端末一つを持って、バスルームへと退避した一瞬後、出入り口のドアを蹴り破られる大きな音がした。

 続けてスチームガン独特の蒸気の音が、何回か鳴り響く。


「インターホン鳴らせよ。礼儀のないアンドロイドだな」


「殺し屋じゃないの?」


「レーヴァンはスチームガンなんか使わない。奴の武器は……」


 銃声が一通り鳴り止むと、数人分の足音が部屋の中に入ってくる。

 シズマはその瞬間にバスルームの扉を開くと、銃を構えた。


 黒服のアンドロイド達が、物音に反応して同じタイミングで振り返る。

 シズマの放った銃弾が一人のアンドロイドの頭を弾き飛ばし、首から下だけになった個体が、床に崩れ落ちた。

 続けて二発を、今度はアンドロイド達への威嚇用として放つ。


「危険だ!」


「下がれ!」


 アンドロイドには命の概念がない。彼らが恐れるのは、思考回路を司るチップの破損である。

 チップは頭蓋パーツに埋め込まれているので、頭部に衝撃を加えただけでも、多少の抑制力にはなる。

 アンドロイドもそれを理解しているため、頭部への打撃を避けようと、咄嗟に物陰へ動いた。


 それを見逃すシズマではなかった。

 バスルームの扉を閉めると、既に窓を開いていたエストレの手を引き、窓の縁を飛び越えた。


「走れるか?」


「えぇ!」


 窓の外には、隣接したビルの屋上があった。シンジュクには中心部を少し離れても、このような立地が多い。

 水の溜まった屋上に着地した二人は、更にその次のビルへ移動するべく走り出す。


 走りながらシズマは、一回だけ後ろを振り返る。

 バスルームの中に入ってくるアンドロイドの影だけが見えた。


「気に入ってたんだけど、仕方ないな」


 親指で歯車を回し、弾を切り替える。

 実戦向きではない、ただ一つの目的のためだけに用意されたシンプルな銃弾。


 特定の電波を放ち、予め設置された装置の近くに近づけば、その装置を起動させる、一種のスイッチのようなものだった。


「悪く思うなよ」


 トリガーを引いて数秒後、シズマは自分の住処が粉々に砕ける音を聞きながら、次のビルへと飛び移った。

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