episode3:アセストン・ネットワーク

1.雨の降るバスルーム

 雨に混じる水の音を聞きながら、シズマは自分の銃の手入れをしていた。

 並んだ歯車一つずつに油を差し、回転時に引っかかりがないことを確認する。一つでも欠けたら、この銃は動かない。

 緻密を絵に書いたようなこの銃は、その理不尽さゆえに製造されなくなったという。


 正式名は「カラス号」。時代遅れの銃を使う彼のことを、殺し屋仲間達は揶揄やゆと敬意を込めて、同じ名前で呼ぶ。

 シズマ自身はその綽名が嫌いだったが、わざわざ自分で通り名を考えるのも格好悪いし、本名を晒して仕事をするわけにもいかない。

 従って、気に入らないながらもそれを受け入れていた。


 只管ひたすらに歯車を磨き続けていると、長い間聞こえていた水の音が消えた。

 雨とは違うその音は、どうやら役目を終えたようだった。


 彼の背後の扉が開き、バスルームから湯気が侵入する。グワリと広がり散っていく白が、シズマにはいつもより濃く感じられた。


「あぁ、さっぱりした」


 エストレの独り言が湯気とともに部屋に混じる。

 家に戻るなり、バスルームを貸してほしいと言ったのはエストレだった。

 安っぽいワンピースを着ていたために、濡れて下着まで透けてしまっていた。シズマはその透けた下着が、彼女の年齢相応のものだったことを確認していた。


 妙に派手なワンピースは、父親の追手から逃げている最中にアンドロイドの娼婦から買い取ったものだと、シズマはエストレの口から聞いていた。

 そのワンピースは、窓辺に吊るされて復活の時を待っている。


「これシズマの?」


「馬鹿言うな」


 シズマが振り返ると、髪をタオルで拭っているエストレが目に入る。

 身にまとっているのはノースリーブの黒いタートルネックに、裾にレースをあしらった同色のバルーンスカートだった。誂えたかのようにエストレの痩身に合っている。


「前の彼女の忘れ物だよ」


「よかったわ。女装趣味の殺し屋なんて、あまり考えたくないもの」


「安堵したところ悪いけど、そういう手合いは結構いる」


 銃の手入れに戻りながら、シズマは「で?」と声をかけた。


「アセストン・ネットワークってのは何なんだ」


「何、と言われると結構困るわ。例えば世界的なチャットルーム「デルタ」のように、何か具体的な形を所有しているわけではない。その全容を掴むのは不可能に近い」


 エストレはベッドに腰を下ろして髪を拭いながら続ける。


「何故なら、全ての事象に関わっているから」


「全て?」


「デルタを初めとした、チャットルームや掲示板、ソーシャルコミュニケーションシステムなどの、ネットワーク上にある「他人と言葉を交わせるもの」の裏側に、それはある」


 銀色の髪から垂れた水が、黒い服を一層黒く染める。熱いシャワーを浴びたせいか、エストレの首元に歯車の形が浮かんでいた。

 それがまるで、博物館にある機械人形オートマタのようにシズマには思えた。


 ようこそお越し下さいました。此処は第八地区民営博物館。

 この博物館では多くの絶滅動物デッドエンドの生態について……以下略。


「各システムに存在する、発言権や影響力の多いユーザ。彼らがそこに流す情報は多くの人の目に止まり、瞬く間に伝播していく。彼らをうまくコントロール出来れば、噂話を自分の思い通りに流すことが可能なの」

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