4.レーヴァンの来訪
「アタシはどっちでも構わないよ」
「……前金でこれだけ出す」
シズマは指を三本立てた。
彼らの中では具体的な金額を口で言うのを避ける傾向にある。そのため、指や独特の換算方式を使って取引をする。
例えば指一本は「百万」を示す。一本あれば、警察がノーマークの銃や、警察内部の情報を手に入れられると言われている。
シズマが仕事を受けるのも一本からなので、三本というのは滅多に見られない数字だった。
「成功すれば、更に三倍だ」
「随分太っ腹だね。どれだけお嬢ちゃんから頂くつもりなんだか」
女は何か考え込む。それが割に合うかどうか、必死で考えている様子だった。
蚊帳の外にいるエストレは、チョコレートを口の中で転がしながら、殺し屋と情報屋の駆け引きを楽しんでいた。
「あと少し上乗せしないかい?」
「四は取りすぎだ」
「半分でもいいさ、三半。ちょっとした差じゃないか。そうすればこの店のトイレットペーパーが、ちょっとはマシなものになる」
「それは結構だな。いい加減、この店に俺のデリケートな尻の皮を提供するのも飽きてきたところだ。それだけ自信があるなら、良い結果を期待するぜ」
「任せなよ。あと、我儘を聞いてくれたお礼だ。一つ耳寄りな情報をあげよう」
女はカウンターに両肘をつけ、シズマの方に身を乗り出した。
白ワインと、濡れた香水の匂いが混じったものが、彼の鼻腔をくすぐった。
「アタシが、お嬢ちゃんの事情を知っていたのはね、昨日の夜に客が来たからさ」
「客だって?」
「殺し屋カラスが連れて行ったお姫様のことを聞かされた。その客は、お姫様のことじゃなくて、カラスのことを聞いて行ったよ。あれも随分太っ腹だったね」
シズマは嫌な予感がして、片手で頭を抑えた。
「どこのどいつだ?」
「殺し屋「レーヴァン」。ヒューテック・ビリンズから仕事を頼まれたんだってさ。お姫様を連れて行った奴を殺せってね」
女が愉快そうに言うのに対して、シズマは血の気が引くのを隠しきれずに冷汗を垂らす。
「冗談だろ?」
「アタシは冗談とつけ払いは嫌いだね」
「シズマ、何の話?」
傍観するには話が物騒になってきたと察したエストレが口を挟む。
シズマは大きな溜息をついて首を左右に振った。
「殺し屋を探している時に、俺以外の奴も見つけただろう? その中にレーヴァンって言うのがいなかったか?」
「レーヴァン……人間専門の殺し屋でしょう? カラスと
殺し屋は自分と同じ通り名が存在することを嫌う。他者の仕事が自分の仕事と勘違いされることがあるからである。
だが、「カラス」はアンドロイド専門、「レーヴァン」は人間専門で仕事が重なることは無かった。そのため、シズマはレーヴァンの存在を認識しながらも、これまで特に気にかけてはこなかった。
「レーヴァンは殺し屋としては一流だ。あいつが今まで仕留めそこなった標的はない」
「つまり、シズマがレーヴァンに殺されたら、私としては困るというわけね?」
「他人事みたいな調子だな」
「そうしないと疲れちゃいそうなのよ」
エストレは、もう何も入っていないグラスを手慰みに両手で挟んだり、持ち上げたりしながら呟いた。
「だって一昨日までは私、普通に生きていたんだもの。殺し屋が本当にいるかどうかなんて、考えたこともなかったわ」
「普通かどうかなんて誰にもわかりはしないよ、お嬢ちゃん」
女が揶揄うような口ぶりで言った。
「アタシにとっては此処が普通だし、カラスやレーヴァンにしても、違うものが普通かもしれないしね」
エストレは黙り込んで、女の言葉の意味を考え始めた。
その横でシズマは、依然として自分に降りかかってきた事態に頭を悩ませる。
レーヴァンの話を聞くまでは、エストレを如何にして放り出すか考えていた。
アンドロイドの部分だけ破壊する方法を調べに行こう、と父親の元に向かわせて、引き渡してしまえば良いと思っていた。
だが殺し屋まで雇ったということは、仮にエストレを引き渡したとして、謝礼として受け取れるのは金ではなくて銃弾である可能性が高い。
レーヴァンは非常に執念深く、標的が逃げればどこまでも追いかけてくる。エストレを途中で手放しても、そんなことはあの男に関係がない。
だが、ならば仕方なしと心臓を晒すほど、シズマは人間が出来ていなかった。死にたくない。金は欲しい。となれば道は一つしかない。
「エストレ」
「何?」
「俺が君を殺すから、俺が死なないように祈ってくれるか?」
依頼内容をもう一度言いなおされて、エストレは不可解な表情をする。だがシズマはそれに構わずに席を立った。
「アイスローズ。また連絡する」
「レーヴァンの情報も一応集めてあげようか?」
「あぁ、頼む」
「待って、置いて行かないで」
エストレは席から立ち上がって、女に一礼してからシズマの後を追いかける。
店の重い扉を開くと、雷の音があたりに響いていた。
雨足は強くなっており、地面に跳ね返る水飛沫により、細い路地では左右の見通しも悪くなっている。二人はその中に踏み出すと、再び来た道を戻り始めた。
「また家に戻るの?」
「そのつもりだ」
「これからどうするの?」
「少し、君に聞きたいことがある」
「聞きたいこと? 何かしら?」
シズマは歩調を緩めないまま、雷雨の下で言葉を紡いだ。
「アセストン・ネットワークについて」
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