3.アイスローズ

「おや、カラス」


 眠そうな顔を向けた三十半ばの女は、目を細めながら言った。

 化粧をして薄暗い場所にいればそれなりに美人の部類に入る顔立ちだが、すっぴんで髪を無造作に束ねただけの姿は、妙な生活感に満ちている。落としきれなかった口紅が、下唇に微かに残っているのが、女のだらしない性格を如実に物語っていた。


「可愛い子連れてるね」


 女はエストレに視線を向け、意味ありげに笑う。その雰囲気と釣り合わない青く澄んだ瞳は、酒のせいか微妙に揺らいでいる。


「まぁ、座りなよ。水くらいは出してやろうじゃないか」


 カウンターの中に立った女は、手ごろなグラスを二つ見つけ出すと、そこに炭酸水を注いで二人へ差し出した。

 そして自分の分のグラスには、白ワインを注いで口をつける。飲んですぐに軽く眉を寄せ、それから機嫌よく息を吐いた。


「二日酔いには白ワインがよく効くねぇ」


「そういう生活してると早死にするぞ」


「構うもんか。アタシは生粋の酒飲み。酒を飲まないほうが不健康だ。それに酒で早死するのも人間の特権だろう?」


「健康のために酒を飲みながらでもいいから、仕事をして欲しい。アイスローズ」


 通り名で呼ぶと、女は面倒そうな表情をした。


「あんたの仕事はいつも面倒なんだよ。この前のメタルドッグの件も、気が遠くなるほどややこしくて」


「聞かなきゃわからないだろう」


「聞かなくてもわかるさ」


 アイスローズの別称を持つ情報屋の女は、その名前の通り冷たい印象を与える瞳で、エストレを見つめた。


「アンドロイドの父親は今日は迎えをよこすのかい?」


「え?」


「昨日は随分派手に暴れたようだけど、今日はもう少し気を付けたほうがいいね」


 エストレは暫く唖然としていたが、慌てて辺りを見回した。だが女は悠然と、ワインの入ったグラスに口をつける。


「安心しなよ。別にあんたを追ってる連中と繋がっているわけじゃないさ。こういう仕事をしていると、色々なところから情報が入ってくる」


「そう、なんですか」


「まぁちょっと驚かせてやろうと思ったのは確かだよ。チョコレートあげるから許してくれる?」


 女は店のチャージとして出している、個包装のチョコレートを取り出して、エストレに一つ渡した。


「それで、カラス。このお嬢ちゃんが絡んでるなら、そりゃもう大層なお仕事なんだろうね?」


「俺がこの娘から頼まれたのはただ一つだ」


 私を殺して。


「アンドロイドの部分だけを殺す、排除する方法を知らないか?」


「アンドロイドの殺し方、ねぇ……」


 女はワインをグラスの中で回しながら考え込む。


「流石に知らないけど、手がかりを持っていそうなところはわかるよ」


「何処だ?」


「ヒューテック・ビリンズ」


 エストレの父親が社長を務める会社の名前だった。

 シズマは呆れたように女に苦言を呈する。


「あのなぁ。そこの社長が、人間をアンドロイドにしようとしてるんだぞ?」


「だからだよ。お嬢ちゃんの父親は、半分は人間である娘を完全なアンドロイドにしようとしている。つまり、お嬢ちゃんがしたいことと正反対ってことだ」


 グラスを置いた女は、口の端についたワインを手の甲で拭いながら続ける。


「サイボーグ化じゃなくて、完全なアンドロイドにしようっていうんだ。並みの技術じゃないはずだよ。その技術を手に入れれば、応用して使うことが出来るかもしれない」


「……一理あるな」


「でもあの会社のセキュリティを破るのは並大抵のことじゃないよ。アタシでも相当な時間がかかるし、リスクも高い」


「半端な金じゃ不満だと?」


「当然だろう? アタシはその会社にハッキングしなきゃいけない理由なんてないんだからさ。割に合わない仕事はしない主義でね」


 女はシズマに「どうする」と問いかけた。

 その表情は、客に次の酒を尋ねる時とよく似ていて、つまり自分の意志などは入っていなかった。

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