2.シンジュクの立ち食いソバ

 シンジュク駅前は雑然としている。

 仕事に行く者、仕事から帰る者、仕事がない者、仕事をしない者。その種類は様々であり、アンドロイドも人間も一様につまらなそうな顔をしていた。


 シンジュクは暴力と犯罪の街だと言われているが、それはあくまで二番街の話である。駅のある一番街や、政府関係機関のある三番街は、他の主要駅と変わらない。


 駅前の立ち食いソバ屋は今日も人で溢れかえっていた。

 上等とも言えない、ただしレストランで出されるものよりは安くて量が多いものを食べるために、皆並んでいる。

 狭い店内の殆どを厨房が占め、出来上がったものを即座に出すために厨房と同じ高さになったカウンターで囲まれている。


 シズマはエストレの分と合わせて、一番安いソバを二つ注文した。

 カウンターの隅に体を押し込むようにして待っていると、一分も経たないうちに丼が二つ、カウンターに置かれる。


「ペッパーは使うか?」


「結構よ」


「美味いんだがな」


 シズマは丼に差し込まれた木製のフォークを手に取った。ステーキハウスで見る金属製のものより数段無骨な造りだが、細い麺を絡め取って口に運ぶには絶好の形状と言える。

 ソバ粉の匂いも香しい麺を掬い取り、一緒に引きずり出されたネギと共に口に入れれば、慣れ親しんだ味が舌を満たした。


「慌てて食べて、零すなよ」


「そんな子供みたいなことしないわ。貴方こそ、前掛けしたほうがいいんじゃない? おしゃべり坊やの必需品よ」


 ソバを掻き込み、熱い汁を飲み干すまで、五分もかからなかった。

 食べ慣れているシズマと違って、エストレは少し苦戦していたが、殆ど同じようなタイミングで食べ終わる。

 器を厨房の中に戻してから店の外に出た二人は、揃って小さく溜息をついた。


「食べた気がしないだろう?」


「本当ね。でも重宝されている理由はわかったわ」


 そのまま駅を離れて、二番街へと足を向ける。

 通り過ぎる人々が、スーツばかりだったのが次第に派手で前衛的なファッションへと変わっていく。

 駅前よりも静かになっていくのは、そこが本来、夜に機能している街であることを示していた。


 「二番街」と書かれたゲートの下を潜り抜けると、食べ物と排気ガスの混じり合った嫌なニオイが鼻をつく。

 道は狭く、左右にならんだ店の殆どは固く扉を閉ざしていた。ゴミ収集ロボットが回収するのを待っているのか、ゴミ袋を店の外に出している店も多い。

 ゴミの上には黒い羽を持つカラスが止まっていて、中に入っているものを啄もうとしている。


 自分の通り名と同じ生き物を、なんとなく見つめながら歩いていたシズマだったが、ふと思い出したように足を止めた。


「君、黙ってついてきてるけど、不安とかないのか?」


「不安?」


「変なところに連れていかれるんじゃないか、とか人気のないところに連れ込まれるんじゃないか、とか」


「貴方、そんなことするの?」


 大きな目を見開いて問い返してくるエストレに、シズマは何となく口ごもった。

 「そんなことをするわけない」という答えが来た方がまだマシだった。その時は世間知らずだといって嘲笑ってやるつもりだった。


 だがエストレの今の言葉は、まるでシズマという人間性を揶揄するかのような響きがあった。それが妙にいたたまれなかった。


「そういう目に会いたくなければ、俺の後ろで静かにしてろ」


「わかったわ。情報屋というのは、この先にいるの?」


 狭い路地へと入り込んだシズマは、暫くエストレの質問には答えないまま、足を進めた。

 雨に濡れた地面は、どこからか染み出した油のせいで虹色に光っている。細い路地同士が絡み合うかのように出来た場所で、油の出所を考えるだけ時間の無駄だった。

 出来ることは、ただそれを踏みつけないように飛び越えることである。


「迷子になりそうね」


「警察も二の足を踏む場所だからな」


 路地を暫く進んでいった先に、鉄製の重い扉がついた小さな店が現れた。左右も似たような大きさの店に挟まれているが、扉のせいで全く違うようにも見える。


 シズマは扉を軽く叩いて中の反応を確認してから、内側へ開いた。

 奥に向かって細長い店内は、どこにでもありそうなカウンターバーの様相をしていた。

 場所柄からは考えられないほど、清潔感もあり洒落た内装をしていたが、カウンターの隅に座った女はキャミソール一枚と擦り切れたジーンズという、だらしない恰好をしていた。


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