episode2:情報の歯車は回る

1.カラスの寝床

 窓の外は雨が降り続けている。

 シズマの住む雑居ビルの窓からは、いつものように混沌とした街が見えた。


 呆れかえるほどの巨大なビルの傍に、その影で押しつぶされてしまいそうなほど弱弱しいアパートがあったり、築何十年かわからない古い住宅街の中央に、真新しい前衛的な家屋が急に顔を覗かせたりしている。


 シンジュクという街は昔から混沌さにおいて他の追従を許さなかったらしいが、もはやそれを修正出来ぬまま、ここまで進化してしまっていた。


 見栄えの悪い建物は撤去せよ、という運動もないわけではないが、実際のところは殆どの人間が周囲の建築物などに興味を持っていない。

 誰もが人と関わることを極端に恐れて早足で通り過ぎるような街。それがシンジュクだった。


「ねぇシズマ」


 憂鬱な思考を断ち切ったのは、シズマのベッドに我が物顔で座っている少女だった。

 着ているのは昨日と同じ赤い派手なワンピースだが、明け方に洗濯した際に使った安っぽい洗剤の匂いがした。


 寝具とテーブルと椅子だけの殺風景な部屋の中、エストレはどこからか無造作に摘まれて放り投げられた花のように場違いだった。

 家に連れてくる途中で聞き出した「十六歳」という年齢を裏打ちするかのように、華奢な手足はあまりに頼りない。


「これからどうするの。いつ私を殺してくれるの?」


「アンドロイドの部分だけ殺す方法を、俺は知らない。だから、その方法を探すことが先決だ」


 シズマはもっともらしいことを言ってみたものの、頭の中ではどうやって逃げうせようか考えていた。

 昨夜、ベッドにエストレを寝かせ、シズマはソファで寝ながら思考を巡らしていた。酒を飲んでいたし、突然の出来事に思わず「引き受ける」と口走ってしまったが、よく考えればエストレを彼女の父親に渡したほうが金が手に入る気がした。


 エストレの全財産には劣るだろうが、それでも庶民では手の届かない報酬が得られるのではないだろうか。アンドロイドに銃を向けたこととて、彼女を油断させるためだったんだと言えば、信用してもらえるかもしれない。

 そんなことを考えているうちにアルコールが脳に回って眠ってしまったが、一晩寝た後に考えなおすと、それは非常に有効な手のように思えた。


「それもそうだわ。けど、どうやって?」


「情報屋のところに行こうかと思う」


 殺し屋稼業と密接にかかわる職業はいくつもある。

 中でも金次第で様々な情報を手に入れてくれる情報屋は、彼らにとって無くてはならないものだった。


「俺が懇意にしている情報屋のところに行こう。何か心当たりがあるかもしれない」


「その人は何処にいるの?」


「二番街だ」


 シンジュク二番街は、多少の揶揄と敬意を持って「無法地帯」と呼ばれている。

 建物が迷路のように入り組んでおり、警察どころか其処に住んでいる者さえ、何が何処にあるのか完全には把握出来ていない。

 麻薬の取引、殺人事件、銃の密売、その他諸々のことが日常茶飯事に行われている。


「二番街……」


 エストレがゆっくり瞬きしながら呟く。


「論文で読んだことがある。アセストン・ネットワークが制御不能になった原因である場所だわ」


「無理もない。あそこはあまりに混沌としすぎているからな。若い娘と死にかけの老人が路上でダンスを踊ってても、皆知らんぷりするぐらいには」


「わかりにくい例えだわ」


「悪かったな。此処でうだうだしていても仕方ないから、行くぞ」


 窓際からシズマが立ち上がり、出口に向かうと、エストレもベッドから降りてついてきた。


「途中で飯だな。ソバでいいか?」


「えぇ、構わないわ。シンジュクの立ち食いソバは有名らしいわね」


「それもアセストン・ネットワークか?」


「使い方さえ間違えなければ、あれほど便利なものもないわ」


 外に出ると雨がビルの階段を濡らしていた。

 錆止め防止剤など塗らなくなって久しい鉄の手摺てすりから、金属臭が漂っている。


「傘はささないの?」


 そのまま歩き出したシズマの背中に、エストレの声がかかる。

 シズマは振り返ることもなく、それに答えた。


「イケブクロとシンジュクで傘を差すのはやめておいたほうがいい」


「どうして」


「道が狭すぎて、傘を差したままじゃ通れないからだ」


 エルトレは納得したように感嘆符を上げた。

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