3.契約金
「誰に俺のことを聞いた?」
「アセストン・ネットワーク」
少女は静かな声で言った。
あまりに平坦な声だったので、ステージの上のトランペット吹きが鳴らした音に掻き消されそうだった。
「人類学者、アセストン・ジスティルが臨床試験のために作成したネットワークの一般的な呼び名。各分野、各施設にキーパーソンを置き、噂話を流し、それがどこで変質するか確認するための
「は?」
「アセストンが実験を終えた後、そのネットワークを排除しようとしたけど、それは既に彼の手を離れてしまった。ネットワークは日々成長し、あらゆる噂を吸収している。でも慣れた者なら、そこから本物の情報を探り当てるのも難しくない」
「冗談だろ?」
「冗談だと思う?」
首を傾げて悪戯っぽく笑う少女は、シズマの困惑を明らかに嘲笑っていた。
「私はアセストン・ネットワークから殺し屋に関する情報を探した。そして貴方に辿り着いた」
「なんで殺し屋なんだ? 医者は探さなかったのか」
「こんな体を医者に見せたが最後、人体実験に使われるのがオチよ」
シズマもそれには反論しなかった。
少しでも知的好奇心があれば、エストレの肉体の隅々まで調べたいと思うだろう。彼の頭の中では、まだ先ほど見た光景が残像として見えていた。
舌の上に浮き上がった歯車たち。
小さなその身を寄せ集めるかのようにミチミチと動き、舌は脈打っていた。あの歯車は恐らく血液を運んでいる。エストレが人間であるために、そのアンドロイドたる部分が動いている。
「でも何もしないで、父に捕まるのも嫌なのよ。だから医者の反対は何かなって考えたの」
「それで殺し屋、か」
「私の半分を殺してくれる?」
「あのな」
「お金ならあるわよ」
エストレはテーブルの上に手のひら大の薄型タブレットを置いた。
画面を起動すると、メガバンクのロゴが浮かび上がって消える。その後に表示されたのはエストレ名義の口座の残高だった。
シズマはその数字を見て、思わず息を飲んだ。
大金、なんてものではない。人生を何度かやり直してもお釣りが来る。
「父から支払われた養育費。アンドロイドのメンテナンス代を上乗せしたのよ、わざわざ。それで母が怒って使わなかったから、こんなに膨れ上がった。貴方が仕事を成功してくれるなら、全部あげる」
「全部?」
「だって今まで使ってこなかったものだから、私としては損はしないの。なくても別に困らないし。人間になれると考えれば安い買い物じゃない? あ、でも仕事が成功した
エストレの言葉に若干眩暈を感じながら、シズマは表示された金額を見ていた。
「だがこれを本当に君が……」
「信用してないのね」
溜息混じりに、エストレは端末をシズマの方に押しやった。
「暗証コードは教えられないけど、それあげるわよ。貴方が私の半分を殺せたら、暗証コードを教えてあげる。それじゃ不満?」
「……もしその前に君が父親のところに連れ戻されたら?」
「払えなくなるわね」
その大金に手を出すべきか、シズマは考え込んでいた。
仕事の内容はあまりに馬鹿げている。出来る見込みなど何一つない。どうやって少女の「アンドロイドの部分」だけ殺せばよいかなんて見当もつかない。
だが、そんな常識すら麻痺するほどの金額だった。
「どうするの? 引き受けてくれる?」
エストレが答えを促す。
それに答えようとした刹那、すさまじい音が店の扉を弾き飛ばした。
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