episode1:歯車少女と歯車銃

1.ジャズバーでの出会い

 アンドロイドに人格が認められたのは、随分と昔のことだった。

 当時の有力者が、子供が成せぬ我が身を嘆いて、自己の人格をアンドロイドに搭載したのが始まりだと言う。


 幾度かの工業革命を経て、幾つかの自然を滅ぼして、極東にあった島国は人種だけでなく人権すらも投げ打った。

 今ではその島国にいた先住民は殆ど消滅し、大陸から流れ込んできた多種な人種と混じり合っている。


 アンドロイドは社会に馴染み、同じアンドロイドと恋に落ち、そして互いの脳内チップを掛け合わせた「子供」を作る。

 生殖行為がないだけで、彼らの営みは人間と変わらない。


 だが、アンドロイドの中に人間に恋をした個体がいた。そのアンドロイドと人間は愛を育み、そして一人の子供を作り出したという。

 人間でもありアンドロイドでもあるその子供は、親から譲り受けた歯車を生身の体に持っている。


 それはよくある都市伝説にすぎなかった。

 「黒い自販機から出てくる真っ白な缶を開けると死ぬ」レベルの、他愛もない噂話。


 だがシズマの目の前で、都市伝説の歯車はギチギチと回っていた。

 ダラリと突き出した真っ赤な舌の上で、同じ色の歯車が回転している。粘膜を隔てたその下にいくつもの歯車が敷き詰められ、偶に舌をほんの僅かに変形していた。

 呆けている男の前で、彼女は舌を口の中にしまう。


「殺し屋「カラス」」


 美しい銀色のロングヘアと、大きな黒い瞳を持った少女は、随分と高飛車な口調で言った。


 街の外れにあるジャズバーは人で賑わっている。

 店は地下室を改築したもので、音が外に漏れにくいというのがウリであるが、その分間取りは最悪だった。


 出入り口の階段を下りて、右手にはカウンターバー。左手には壊れかけのテーブル達。奥にはステージがあり、ジャズの演奏が行われているが、どういうわけだかその部屋は複雑な多角形をしている。


 多角形に導かれるかのように、店内には様々な人間が酒を片手に好き勝手に楽しんでいる。

 テーブルに膝を乗せて、向かいの男に顔を突き出した少女はその中でも目立っていた。

 だが、酒に気分がよくなった少女が戯れているとでも思っているのか、必要以上に気に掛ける者もいない。


「私を殺してくれる?」


「……どういう意味だ」


「アンドロイド専門の人間の殺し屋。噂は聞いているわ。今見せた通り、私の体の半分はアンドロイドなの。それを殺してほしいのよ」


「冗談じゃない」


 思わずそう言うと、少女は意外そうに目を見開く。

 右の口元に黒子があるのを、バーの薄暗い照明が教えてくれた。


「どうして」


「君の言っていることは無茶苦茶だ」


 シズマ・シリングは、二十五歳には似合わない苦い顔をしてみせ、そしてテーブルの上に放置したままだったブランデーを口の中に流し込んだ。

 喉がギリギリと焼き付くような感触がして、そしてゆるりと消えていく。


 短く切った黒い髪と黒い瞳。鋭利な輪郭が冷たい印象を与えるが、声質は少し高くて柔らかさを持っている。

 「カラス」という通り名で呼ばれる殺し屋は、その声をなるべく低く抑えて少女に告げた。


「というか戻れ。テーブルは膝をつく場所じゃない。肘をついた坊やのように、デカイフォークで尻を突きまわされたいのなら話は別だけどな」


「それは遠慮するわ」


 少女はあっさりと椅子に戻る。

 その拍子に、彼女が身に着けている赤いワンピースが揺れた。

 この界隈で娼婦が好むようなデザインであるが、少女にはあまり似合っているとは言えなかった。

 それは未発達の胸のふくらみのせいでもあり、いかにも育ちの良さそうな雰囲気のせいでもある。ハイティーンと思しき容姿だが、暗がりの中で彼女の年齢を正確に把握するのは至難の技だった。


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