003_本の文章密度は確実に減少している
売れる本の基準値として、文章内容が簡素的であることが現在のデフォルトとなっている。
過去の夏目漱石の作品だったり、太宰治のような趣深い文章構成は、確実に今の若者にとって煙たいものであることが分かる。
まあ、時代が時代なので、難しい文章=正義というわけではないのだが、難しい文章というのは、人に言葉の意味を考えさせる意味合いがあり、考えることで、物語をより密に考えられるようになる。
今の作品を見る限り、目を軽く移動させれば何となく把握できるような文章構成で本が出版されている。
擬音や奇声、ノリと流れ。
つまり、日常会話を単純に文章化しただけのもの。
読了時間に換算すると、過去作品と比較して数倍の差が生まれるのではなかろうか。
そもそも物語を絵ではなく文章として書く理由はなんだろうか?
絵を描けない人が物語を気軽に作ることが出来るという理由はもちろんながら、一冊の中に描ける情報量をより多く詰め込むことが出来るのが小説の強みと言える。
小説一冊分と比較するなら、マンガの三冊分程度は情報量として詰め込まれているのではなかろうか?
※暫定です
現在のライトノベル。つまり、今の小説の情報量では、内容をより多く詰め込めていないということになるし、情報が少ないなら気軽に情報を吸収できる漫画のほうが圧倒的に読者としては選択肢の優先度に軍配が上がる。
同じ時間を楽しむならマンガでいい――
需要が減少してしまう一つの要因となってしまっているということだ。
ただ、内容がライトであるというのは、選択肢の一つとしてはアリだと思う。
独特の雰囲気を文章で書くには、様々な手法で文章を書く必要があるだろう。
時には濃く、時にはライトに文章を使い分けることも一つの手だ。
でも、ライトな文章をデフォルトにし過ぎてしまうのは、文章の単純なる劣化になってしまうのではないかと危惧している。
本来は密度の濃い文章を書ける人が、ある程度読者の理解度を上げるために、あえて崩して文章を整え直すというのが本来の形式だと思われるが、現状だとレベルが低いまま、ライトな文章しか書けない人が増えているのかもしれない。
甘い汁がデフォルトと認識している人が増えてきているという懸念――
クリエイターとしては、意識した上で甘えに乗じない注意が必要だ。
密度の濃い文章を書けるということ自体にデメリットは殆ど無い。
濃く書いても、読みづらいなら砕いてしまえばいいだけ。
ただ、ライトに書いたものを濃く書き直すには、相当のレベルが必要だ。
下から上にというのは、なかなか困難を極める。
文章作成の訓練をすることを怠らず、より多くの文章を見て鍛え続ける必要があると思う。
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