まるでそれは人のような
何があったって、世界は何をも知ることはなく、そして何が起ころうとも正しく回っている。
世は全てこともなし。それはきっと、自分に起こった災難を霞ませてくれるありがたい言葉になるだろう。
「……世界樹が、消えた?」
あまりにも大きな、大きな問題がそこにあったとしても、ぐるりぐるりと回り続ける。
「はい。正確な時期は定かではない、文献には記されていませんが、今この世には世界樹は存在しません。あるとすれば、世界樹の代替。『退廃の老樹』のみ」
「……なんだいそれ?」
「詳しくは判明してません。魔力の生成を続ける結晶だということだけしか」
「……まるで、魔力をそのまま塊にしたような、か?」
レィルの問いに、驚いたような表情を浮かべたヒストリアが頷いた。
「その通りです。今ではそれが世界の中心となっています。遥か昔、いえ。貴方がたの時代、世界樹がそうであったように」
世界樹は力そのものであり、世界そのものであり、人とかなり密接に繋がっている、美しい緑だった。多くの人間がそれに祈りを捧げ、敬い、慈しんでいた。
それが今では無となっていて、代わりに全く別の力が働いている。
「しかし、世界樹ほどの力があるわけではありません。古代よりずっと少ない量の魔力を、枯れ果てた大地が求めているままに奪い合っている」
「……なるほどね」
世界が滅びるわけだ。二つの意味で世紀末も甚だしい。
「ところで、君はここで何を?」
「日課、と云えばいいでしょうか。ここは、世界はどうなっているのか、この目で確かめているんです」
「……どう見えるんだい?君には」
「荒廃していて、まるで未来がない。ですがそれ以前に」
近くから別の椅子を持ってきて、それに慎重に座ったヒストリアが、レィルを正面から見つめて言った。
「人がいない空間を、私は『世界』として認識することが不得手です」
「……なるほど。『私』はむしろ好きだけどね。そっちの方がよっぽどらしい」
最も、人間だった頃のレィルはそう思ってはいないが。
しかし、流動的で利己的な連中を好こうという思考が分からないのもまた事実だ。そういう視点からしても、彼は人間が理解できなかった。
人間だった頃の記憶が、そしてその時を模倣した感情があっても。
「ところで、先ほど魔法使いと名乗りましたが」
「謀ったつもりはないよ」
「そうではなく。それは魔力を自在に操るという定義の魔法使いで正しいのですか?」
「……?あぁ、もしかして、僕の時代の後に何度も魔法使いの意味が変化したのか」
「はい。祈り捧げて人を癒す人や、魔獣を浄化する人に対して使われていた時期もありました」
「なるほどね、随分人らしくなったもんだ。委細を語るとするならば、僕は『星の持つ』魔力を組み上げて使う。ほら、霊脈ってあるだろ」
「……はぁ」
いまいちピンと来ていない様子で、ヒストリアが首を傾げた。それにしても珍しい名前だな、と思う。
「まあ、ともかく。ちょっと案内してくれないか?ここがどこなのか分からなくって困っていたんだ。人がいる町にでも連れて行ってくれたら助かるのだが」
「構いません。ただし、私の所属する場所に、ですが」
所属。
聖歌隊のような連中がこの時代にも存在するのか、もしくは全く別の何かを目的とした組織なのか。テロリストとかだったら速攻で逃げてやろうと思いながら、椅子から立ち上がって歩き始めたヒストリアの後ろをついていく。
聖歌隊というのは、人間の済む空間を侵食する魔獣や、竜族や吸血鬼と言った奴らを討ち滅ぼす、簡単に言ってしまえば鬼退治をする者達のことだ。
時折、本来敵である者と友好関係を作ってしまうメンバーもいたし、子供の姿の敵を殺すことに罪悪感を覚える者も多かった。
だからこそ、聖歌隊というのは忌み嫌われながらも必要な、どうしようもないものになっていた。
「それにしても、あれってなんだい?煙突みたいなの」
「煙突ですよ。ずっと前、といっても貴方のいた時代からすれば未来に、産業革命が起こりました。えっと、産業革命というのは」
見かけと表情に反して、どうやらヒストリアは教えるのが好きらしい。普段は誰かにものを語るという機会がないのだろうか、少しだけ楽し気に見えた。
レィルとしても、自分の時代から今まで、なにが起こったのかも気になるところだ。
銃という兵器の登場。戦車によって数人の戦力が上昇し、戦闘機によって敵国の中心に爆撃することが可能になった。
それを運ぶ空母に、それ以外の軍艦の数々。
そして核。どうやら軍、戦力という類のものだけでいっても、かなり変化が起きているらしい。電波飛ばしてその反射で索敵する、とかよく考えるものだなぁと思う。
ただ物資を使いすぎというイメージもなくはないけど。技術の進歩というのは眼を見張るものがある。
今からそう離れてはいない時代、人はAIだかなんだかというのを開発して、さっき道に乱雑に倒されていたロボットのようなものを作り上げたようだ。レィルの知っているホムンクルスとは根本的に違う。
意思を持つ共同体ではなく、思考だけを持つ統合体。
「……ところで君、人間だよな?」
とても失礼なことを聞いた気がする。
「人の定義によります。ですが、一般にそう呼ばれるものならば、私はきっと人間ですよ」
「……ふぅん」
どうにも回りくどい言い回しだなと思う。
「そうだ。ここはラクトウ17番地。ちょうど、レィルさんの時代で言うファイロッテのダウン街です」
「ヴィリテンの対岸の国か。思ったより近かったな」
「五十年ほど前に魔獣に占領された地点で、何度か奪還作戦が行われた末に、やっと三分の一ほど奪い返したんです。少し進めば、駐屯地に着きますよ」
なるほど。ここは一応人の土地だというわけか。
「けど、君がいた場所は魔獣が出るかもしれない場所だったわけだろ。危ないんじゃないか?」
「いえ。私は大丈夫なので」
それはどういう意味なのだろうか。返答に迷って考え込んでいるうちに、何人か人が見えた。
「おっ。おかえり、ヒストリア嬢……っとそいつは誰だ?」
背中を少し丸めた男が、片手を肘から先だけで上げてヒストリアを呼んでから、警戒心の強い瞳でレィルを睨んでいた。
ぼさぼさとした髪の毛に、やる気のなさそうな半眼。短い無精髭に、口に加えた煙草から濛々と煙が泳いでいた。
「レィル・フィルスチアって魔法使いだ。よろしく。質問にならなんでも答えるよ。自分に知り得る知識の範囲でならばね」
警戒されない挨拶をしようと思案していたところ、むしろ怪しさ満点の挨拶になってしまった。しかし怪しさで言えば目の前の男も十分に双璧を成している。こっちは服装と言動だけだが、向こうはもっとこう、表情とか。
「グリム・エンドロールって覚えてくれ。ここの防壁の隊長で、ついでに『
「敵対の意思はない。仲良くしてくれると助かるよ。ところで、
周囲には有刺鉄線や弾薬が積み重ねられて、それを覆うように鉄の壁が気づかれていた。露店のようなものが連なっていて、まるで街の一角のようにも見える。
「人類の生息域を広げるための活動をしている集団です。レコンキスタ、
「……ふぅん」
1500年時点では、まだ魔獣の生息域はかなり狭かったが、今はどうやらほとんどの領域が奪われてしまっている様子。
世界樹がなくなったせいで不浄が溜まり、世界が淀んでしまったのだろうか。
「大変だな。ところで、俺はどうすればいい?」
グリムに訊ねた。煙草を一つ大きく吸ってから答えた。
「そんじゃ、一回力を見せてくれ。なにも強くなきゃ仲間になるなとは言わないが、魔法使いを自称するんじゃ普通じゃないのは確かなんでね」
「む。歌舞伎者とでも思われているらしいな。俺は本当に、正真正銘の魔法使いだぞ」
「それを示してくれと言っている。できるならば、ね」
「……ふむ」
なんだかいちいち引っかかる。
いや、一度言っただけで正面から理解するということ自体が不自然なのか。
「まぁ構わないよ。証明しろというなら誰かが一緒に来るんだろ?」
「……別にドローンでもなんでも撮影はできるんだが、まぁいい」
レィルの知らない言葉に、軽く首を傾げていると、横からヒストリアが解説してくれた。何その便利な道具ほしい。
買うのが面倒くさい触媒の類も、これがあれば家にいたままできるではないか。しかしセラに怒られそう。きっとこれがあれば、自分は一度も外に出ることなく研究に没頭していたことだろうと思う。
「まぁヒストリア嬢でいいか。あんたの素性は後で聞く。今はとりあえず、生きていられるってことを見せてくれ」
「ふむ。命あっての物種ってわけかい。正しいね。実に正しい考え方だ。好ましいよ。私からしても」
「……ハッ。珍しいものを拾ったなぁ。随分と」
グリムが嗤う。まるで好みの物語を図書館から掘り当てたように、心底から笑っている。
くつくつを震えている肩と、上下に揺れる煙草越しにレィルを見つめて、これから始まる舞台を待ち望む子供のように、物語を記す準備を始めた。
きっと彼は、心から人間を愛することのできる人なのだろう。そして己に誇りを持っている。聖人染みた個人なのだ。
世界平和を祈る作家のよう。道徳を訴える哲学者のよう。
しかし書き示す者というのは捻くれている。古今東西でどうにも、まともならしさを表明するのは苦手なのだ世の常だ。
「君も面白いな。遠回りでまるで……、いや。行こうかヒストリア」
だから証明しよう。己の力と、己の役割を。
詠い踊れラクリモサ @Hastur
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