おはよう、3000年
セラ・アーティアっていう人間に備わった異能。人類史という規模からみれば汚点であり異質な、突拍子もなく驚異的な力がある。
無色透明な魔力の生成。つまりは霊脈に流れる途方もない量の魔力と、同等のそれを恒久的に創りだす異能。
「ぅぬぬ……」
袖をまくって、明後日の方向を向いて目を閉じているセラが、そんな呻き声を上げていた。
「こっちもやりにくいんだけど、もうちょっと冷静にいてくれないか」
「ま、まだ注射は慣れなくって。早く終わらせてってば」
「分かったよ……」
何度か注射して、彼女の血液を媒介として使ったことはあるものの、それでもまだ、血液を抜く瞬間というのは怖いし不安なようだ。
悪夢も痛撃も恐怖も、なんだってすぐに過ぎ去ってほしいものだろうと思う。それは人間だった自分も同じことだ。
そも感情という概念が欠落した魔法使いにとっては、畏怖や憐憫などというものもあり得ないのだが。
セラの細く白い腕を軽く触れて、血管の位置を確認する。一度でも外したらぶん殴られそうだから慎重に行こう。
血液というのは、魔力が多く潤っている。レィルのような魔法使い、つまり純粋な、世界樹から流れ出ているような無色の魔力を操る者からすれば、セラの血液は力そのものなのだ。
大地を耕し森を生み出し、山を築き川を流す、そういう類のもの。
神の所業、だからこそ人の手に余る。
本来、元来存在すべきではないものを持っている少女。当然脅威にもなるし、誰もが恐ろしくて近くに置きたくなどないはずだ。
だからこそ、ここにいるというのもあるのだけれど。
幼いころから、彼女は一人だった。物好きなレィルは、何故嫌われているのか、なんて気の利かない質問をしたものだ。
しかしセラも負けていない。『みんなに才能がないからよ』などと、子供らしくもない傲岸不遜っぷりで応戦してきた。
まだ凡人だった自分は、そんな彼女にある種の憧憬を抱いていたのだろう。胸を張っているセラのそれが、やせ我慢の類だと気づくこともなく。
「お、終わった?終わった?」
「はいはい、もう大丈夫だよ。眼を開けていい。というかしわ寄ってる」
何に魅入られたのか、レィルという凡人は魔法使いという非凡になった。願ったのは力、簡単に言えば才能だった。
誰からの祝福でもなく、聖者から賜った数字でもなく。
むしろそれがなかったからこそ、魔法を求めた。
代償は、己の感情だった。
「……私が、世界を救う、ね」
皮肉が効いている。今では自分は人間に愚かだという結論しか抱けない。
人々の努力によって紡がれる景色はなんと美しいものか、という感想は枯れていた。口論する人や笑う人、祈る人や道を説く人。その全てが、醜悪なものに見えていく。
「世界を救う?」
入念に注射器を刺した場所を消毒しているセラが、きょとんとした表情で訊ねてきた。やり過ぎはかえってよくないぞと注意しながら、机に置いてある紙を取る。
「体を魂魄のレベルまで分解してから、一つの線と見立てた歴史を文字通り渡っていく。そのための魔法陣だ。私はこれを使って、1500年後の未来を救う」
「……ふぅん」
背を伸ばして、椅子の背もたれに体を預けて、ぎぎぃと音がするまでのけぞって、天井を見上げたセラがため息をついた。
「旅行、ね」
「……ああ」
「さっき言った砂漠と、海原と、聖杯探索と同じ?」
「似たようなものだね」
「なら、それと同じ」
答えは決まっている。それ以外にありえないとでも言いたげに、砕けそうな微笑を浮かべた。
「絶対帰ってくるんでしょ。ずっと待ってる」
「ああ。帰ってくるよ」
そしてその約束は、『ずっと先』に果たされることになる。
「さて、と」
朝が来た。世界はいつも通り潤滑に、そして豊潤に魔力を流しながら回っている。レィルは近くの森から拾ってきた太めの木の棒で、雑草を刈り取った地面に魔法陣を描いていた。
まず円。次に太陽と月を表す文字を上下に記して、時を見るものとして、いくつかの星を表す言葉を彫った。
薄く輝く六等星を、天に向けてそびえる山脈を。
「なんか壁画みたいだね」
「魔法陣の基本は、回転を続ける星の円、そして発動する魔法の比喩のようなものだ。そういう意味では、神殿にある壁画と同じだな」
そもそも時を超えること自体が初の偉業だというのに、それが1500年などという規模のものだ。レィルが使ってきた魔法陣の中でも、比べ物にならないくらいに大きい。
「そういえば、私も一緒に行けないの?」
「無理だ。二つ以上だと、魂同士が混線して歪んで壊れてしまう。簡単に言えば死ぬ」
「……そっか」
少々残念そうに、セラが俯いていた。こればっかりはどうしようもない。今のところ、自己存在を分解して、それに指向性を持たせることで限界なのだ。無限ともいえる人の『証明式』を判別するなんて不可能だ。
魔力だけならば、世界樹からいくらでも組み上げられる。むしろ魔法使いとはそれをできる者のことを言うのだから。
足りないものはもっと他のものだ。
技術と、時間。そして理。
「少し忙しなくなってすまないね。セラ」
「ううん。大丈夫。いつもと同じでしょ。放浪者と見送ってるのと同じ」
「その通りで。拠り所がなくなったら頼らせてもらうよ」
「了解。いつでも『帰ってきて』ね」
最後に、円を閉じる。
円環が完成。ここに新たな魔法が誕生した。
残っている自我が大きく反発している。行くな、と。戻るべきだ、と。日常を大事にするべきだ、と。
なんて理性的で正しい判断だ。なんて人間的で起伏のない道を選ぼうとする、臆病な人間だ。
だが、その微かなものでは当然、ウィザードの興味を止められるはずがない。魔法というものが未来でどうなるのか、という本能的な問いは超えられない。
「……ああ。行ってくるよ」
魔法陣の中心にセラの血を垂らす。堀に流れる水のように溝を血が埋めていくのは、少し灌漑みたいだと思う。
ぼこぼこと音を立てて、血が増幅していく。
円の中心に立って、史を示す文字に触れる。地面を通っている、濃密な魔力を組み上げて操って、魔法陣に注ぎ込む。
現状、この世界に魔法使いというのはレィル・フィルスチアただ一つだけだ。つまり、世界の魔力を自在に手繰るモノも彼のみ。
レィルはこの時代では最強だった。無敵だった。ただ一人、魔力を吸い上げる剣を持つ友人がいたというくらいで、向かう先には敵と呼べる存在はいなかったはずだ。
ならば、今より先はどうなっている。己の繋ぐ魔法はどうやって使われている。
僅かな期待と、微かな祈りを込めながら、魔法陣を起動する。
きっと人のために、きっと民のために使われているはずだ、と。
そして同時に、そんなはずはないという諦観を持ちながら。
時を疾走し追い越すものを、発動させた。
今にも泣き出しそうな、幼馴染の笑顔が見える。塵芥のような感情が懺悔している。謝罪している。
扉が開いた感覚を覚えた。重く厚く高い、ずっしりとした、金色の扉が開け放たれて、その中にいくつもの自分が放り出される。
星の中心へと掘り進んでいるような落下を感じながら、月へと昇っていくような圧迫感も全身を震わせていた。
まるで加重系の呪いを付与されてから、巨人に引っ張り上げられているようだ。自分が魔法使いじゃなかったら吐いているぞ、とこの世の摂理に憤慨する。
こんなことで怒っている余裕があるなら、どうやらこれは成功しているようだな、と思う。
少し頭痛がする。思考には影響はないから問題なくとも、多少矛盾が生じたのだろう。時を超える存在などいないという、世界からの否定。
ここにいるな、という拒絶と、ここにいるのだという意思が相反している。
これが続いたら、きっと世界との摩擦によって殺される。ここで死んだらどうなるのだろう。せめて死体は元の時代にあってほしいな、と思いながら、さらに先の方を見る。
向かっている方向がそもそも正面なのか、後ろなのか、上下どちらかか左右か、というのも疑問だが、とりあえず自分が向いている方向を見つめた。
それにしても、この偉業はいつを成功として定めればいいものか。
後頭部に響く鈍痛を忘れるために、そんなどうでもいいことを考えながら、レィルは光の奔流に身を任せた。
それから何分経ったのか、レィルは眼を覚ました。
否。どのくらいの時間を経たのか、なんてことは決まっている。違うはずがないのだ。
ここは1500年後の世界。3000年。
「…………うん?」
まずは周囲の確認。人の気配は全くしない。木の骨組みに、石の肉付けっていう建築様式は変わってはいないらしい。
様子が変わっているといえば、屋根がなく壁が半ばで破壊されているところ。破損が深刻な家には枯れた木の根が巻き付いていて、かなり前に放棄されたものらしい。
「……ここ、どこだ?」
不自然だ。時間を跳躍したとはいえ、座標は同じ場所に辿り着くはず。星の位置関係も自転も関係ない。レィルがいる場所は、彼の家の庭とは似ても似つかない。
空を見上げる。空気が悪い気がするのは気のせいなのか。
恐らくここはかなり大きな町だったのだろう。ガラスが割れて地面に落ちている。レィルがいた時代よりも遥かに高い建物が立ち並んでいる。
人が住んでいたのだろうが、もうその気配はない。
道路の端で倒れている、人の形をしたものを見つけた。死体だろうかと考えながら近づいて、しゃがみ込んでから顔を見てみる。
人、に見えるが根本的に違う。しかしホムンクルスのように血が通っているわけでもない。感情もなく、瞳に色のない何か。
「それはロボットです。正確には自律型就労ロボット・ラミー。セイクラッド社の製作したものです」
「ッ!?」
突然聞こえた何者かの声に、反射的に地面を蹴って飛び退いた。武術に入れ込んでいたわけでもないが、多少の心得はある。少女の声だったし、魔法も使わなくても問題はないはずだ。
視界に入ったのは、長い髪を垂らした女の子だった。興味があるのかないのか、レィルの服装をじっくりと見つめている。
「…………失礼。ヒストリアです」
「……あ、あぁ。僕はレィル。レィル・フィルスチアだ」
敵意はなさそうだった。意思疎通のできる人がいるというのはいいことだ。レィルは警戒を緩めて、できるだけ優しい声で挨拶した。
そんなレィルを、どこか哀れみのようなものを込めた目で見てから、少女、ヒストリアは頭をぺこりと下げる。
「どうも。こんなところで何をしているのですか?」
「何って言われてもね。言うなれば探索。目標は人類の救済ってとこか」
建前と本音が混在している答えだった。
「怪しいです」
「直球だね君。けどまぁ仕方がないか。ところで、今は何年だい?」
「3000年です。その質問の理由は訊ねても構いませんか?」
「信じるかどうかは君次第だけどね。僕は1500年前からやってきた魔法使いだ。元ヴィリテンの聖歌隊。猜疑に疑心があるなら、気楽に訊ねてくれ」
「……いえ。信じましょう」
「えっ」
素っ頓狂な声が出た。まさかこんなにも簡単に信用してくれるとは思わなかったからだ。
「嘘なのですか?」
「……虚偽はないけどね、こうも突然な話によく溜飲を下げられたな。もしかして君も過去から来たとかかい?なんか不思議系だし」
「…………いいえ。服装がものすごく古臭いので、納得できました」
なんだか突然言葉に棘が出てきた。どうやら遠まわしに『変わっている』と言われて癪に障ったらしい。
しまった。せっかくの対話が可能な人間のなのだから、できるだけ関係が悪くなるのは避けたい。
「つまり、僕のことを信用してくれるということでいいのか?」
そこらに転がっていた椅子を二つ持ってきて腰を下ろす。
「いいえ。信用はできません。貴方はあまりにも自分を隠しすぎている」
「……まだほとんど話したことはないのにかい?」
ヒストリアが椅子に座る。
みしり。
椅子が寿命を告げる悲鳴を上げた。かなり昔に放置されたものだというのは一目で歴然と分かったが、まさかそこまでのものだとは思わなかった。
しまった、と感じてから『危ない』と声を出すのが間に合わない。
「わひゃあ!?」
なかなかにかわいげのある悲鳴を上げて、背中から真っ直ぐに地面に着弾した。
ごちん。頭が打楽器みたいな音を出した。ヒストリアは眉をひそめて頭を両手で抱えて、ぐるぐるごろごろと地面に転がり回っている。
「っつぅぅう~……」
「だ、大丈夫か?」
「も、問題ないです。気にしないでください」
膝を上げたり下げたり、ぶんぶんぶんぶんと両足を振り回している。絶対これは大丈夫じゃない。
「……そ、それで。何の話でしたか?」
「うん。無理がある」
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