詠い踊れラクリモサ

@Hastur

行ってらっしゃい

 陽暦1500年。あと数日で16世紀に指をかけようという現在。

 いつも通り、何も変わらぬ日常の中で、また『私』は日記を残すことにする。


 レィル・フィルスチア手記。

 本日から、この日記の一人称は私ということにしようと思う。しかし間違えないでほしい。決してあきらめただとか、納得したという意味ではなく、どうにも私は客観的な視点を覚えすぎてしまったらしい。

 毎日毎日、益体もなく歩いて、何かを得るために魔法の研究を続ける過程。その道程に何度も何度も、『人とはかくも』なんて自棄ともいえる感傷に浸ってしまうのだ。

 これだから、魔法使いなんてならなければよかったというのに。しかしそうならなければ今の自分としての価値など、絶対にありえないのだろう。

 どうにもこうにも、どんづまりなのだなぁと思う。

 しかし、まだ私はこうして生きている。それはきっと、完全に絶望したわけではないし、未来に希望がないと悲観したわけでもないのだ。

 あぁ、そうだ。

 未来といえば、今日、なかなか興味深いことを聞いた。



「…………ホントかい?」


 疑り深い性格をしているわけでもないし、そもそも現在の『魔法使い』としてのレィルには、性格も自我もあったものではない。

 だがそれでも、眼前の旧友から告げられた言葉は、簡単に飲み込むにしては大きく、苦いものだった。

 どこか薄暗い瞳をした友人、ロッド・エイジスは頷いた。それがまた、レィルの表情が曇る原因にもなっていた。

 きっと、人であったころの自分ならそうするだろうと思いながら。


「ああ。間違いない。俺の眼の能力は知ってるはずだ。絶対に、違うことなく、必ず、1500年後、つまり3000年に人類の文明は滅ぶはずだ。数年のずれがあろうとも」


 聖剣に選ばれた英雄は語る。未来を知る眼を持っている友人は告げる。


「何も手を打たなければ、か」

「その通り。崩れそうなら支柱を立てて、落ちそうなら引っ張ればいい。滅びかけの世界もまた然りってわけだ。そこでお前に頼みがある」

「未来に行って、どうにかしろって?」


 そんなのできっこないだろう、と思いながら訊ねたが、どうにもロッドは本気らしい。陰気な笑みを蓄えて小さく頷いて見せる。


「……あのなぁ。『俺』の魔法はまだ研究途中なんだ。わざわざ今、急ぐ必要はないだろう?なんたって、猶予は1500年。たっぷりあるんだから」

「お前以外にできる奴を知らない。これから先、可能にしてくれる奴もな」

「…………人は、いつも想像を超えるものだよ」

「その時代の想像をな」

「分かったよ。試してみるけど、帰る手段はあるのかい?さすがに一方通行なんて嫌だぞ。待たせてる人もいるんだ」


 過去から未来ができるなら、確かにその逆も可能なはずだ。

 問題は、そこにそれを可能にしてくれる材料、触媒があるか、否か。


「あるとも。あるさ。だが、言えることはこれだけだな。原因は分からないし、未来がどういう空間なのかも不明。ただ、いい観光だとでも思えばいい」

「……簡単に言うね」

「簡単なことだからな。未来に行って、破滅を救えばいい」


 確かに、これより先の未来がどうなっているのか、どういう文化があってどういう技術があって、そして魔法が、自分が伝えていくべきものがどうやって続いていくのかも気になっていた。

 それでも、1000年以上の時間跳躍なんて度が過ぎているとも思うが。

 レィルはため息をついて、そのとんでもない依頼を呑むことにした。できるかどうか、ではなくやるしかない。自分自身、魔法使いになったとはいえども、元人間だ。種族そのものが滅びるさまは見たくない。

 まぁ最も、何事も終わるものだという諦観が、今はずぅっと勝っているわけだが。

 青年は一度ため息をついて、なけなしの自我を掻き集めてから、もうか細く、小さな蝋燭のような正義感を灯して頷いた。


「それにしても、人類を救う戦いか。まるで聖歌隊あのころみたいじゃないか、ロッド」

「冗談でもやめてくれ。もう忘れたことだ。もう、思い出したくもないことだ」

「はは、お互いにね。達者でいよう」


 右手をテーブル越しに差し出した。冒険者ギルドの片隅で、数年ぶりに旧友と握手を交わした。



 そうして家に帰って、部屋に入って机の前に座ったレィルは。


「…………ふぅぅむ」


 頭を抱えて突っ伏していた。

 倫理に理論などという問題に対してではなく、もっと簡単な話だ。ここにもう一度来れるのかという不安と、幼いころから共にいるセラ・アーティアを独りにしてしまうということへの抵抗のようなものだった。

 人であったころの自分の彼女、幼馴染を独りにしておくのは、魔法使いとしてではなく、元人間としての自我が、納得しない。

 作り物で借り物で贋作の、あきれ果てるくらいに空っぽな片隅に用意された模造品の己は、行くなと未だ命じているのだ。


「どうしたの、レィくん。悩み事?」


 控えめなノックの音の後に、ゆっくりとドアが開かれた。コーヒーを持って、寒いのか、毛布を肩にかけて引きずりながら歩いていた。


「ん。大丈夫だ、『僕』……、俺が何かに悩んだことあったかよ」

「相談はしてくれなかったけど、何度もね。気づいてなかったかもしれないけど、私結構見てるんだよ?」

「……」


 そんなに悩みやすいタイプだっただろうか、と過去の自分と、人だった自分を思い返してみる。うん。小さいことでも大きなことでも、なんでもかんでも悩んで迷って、バカバカしいくらいにひねくれ曲がった答えを出していた気がする。

 今だって同じことだ。

 懊悩に費やす時間は減ったとはいえ、辿りつく結論がどうにもならないしどうしようもないのは変わらない。


「うん、ごめん。相談してもいいかな」

「もちろん。師匠」

「……皮肉か?」

「いーえ。そう呼んでほしいって言ったのはレィくんだよ」


 まぁ、確かにそう頼んだのは自分自身だ。レィルとして残っていた、否。空になった後に創った、仮の人格だ。

 どうにも、今まで通りで呼ばれるのは嫌だったし、過去と同じ関係でいられるはずもないと実感したんだと思う。


「……そうだったね。すまない」

「今は、どっちで呼んでほしい?」

「どちらも、正確に私を指し示すものではないからね、どちらでも構わないよ。そうだな、思い出深くない方で呼んでくれ」

「分かりました、師匠。それで?お悩み事は?」

「……む」


 改めて言うには気恥ずかしい類のもので、直接面と向かって喋るには、少し脚色を加えた方がいいかもしれない。


「いや、その……ちょっと旅行みたいなもんに行くことになる。遠く、ずっと遠く」

「いつから?」

「できれば、すぐだ。猶予はあるようで、きっとない。できることはやっておかないといけない。やり残したことを犠牲にしてでも」

「帰れるの?」

「保証はできない。けどそれはいつものことだ。未踏に向けた大航海、未知への砂漠踏破も、聖なる杯を見つける旅路も、帰れる見込みなんていつもない」

「誰のため?」

「…………それは、きっと、人だ」

「なら良し」


 3つの質問の後、満足したように笑ったセラが、レィルの机にコーヒーを置いて、そこらから椅子を引きずってきてから座った。


「……なんだそれ、いいのか?」

「魔法使いである貴方、ではなく、私の好きなレィル・フィルスチアとしての願いなら、私が妨げる理由はないから。だから本気で問題を解決して、全力で帰ってきて」

「…………なんだ、それ」


 変わった女だ。変わったやつを好きになったのだな、と他人事のように考える。


「けどまぁ、分かった。だからセラ。もう一度、お前を遣わせてくれ」

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