第61話 アカネの恩返し
外は大雨で、雨粒が大地を叩く音や風切り音が絶えず鳴り響いている。まさに夜間の嵐と言った様子で、洞穴の中が静まり返っていればいるほどに耳につく、そんな外界の雑音。一人で眠ろうとすれば、いたずらに不穏感情を助長して眠りを浅くする。
しかし、生き物のエネルギーというのは時にそんな自然のパワーを凌駕する。
「カンパーイ!!!」
人間の少女の発声を皮切りに沸き起こったのは、大きな歓声だった。
「さぁみんな! たくさん食べてね!」
洞穴の中は外の嵐にも負けないほどの賑やかさだった。ここには大型ドラゴンが数匹と、足元には狼男達がひしめき合っていて、取り囲むように配置された木製のテーブルにはずらりと肉料理が並んでいた。
そんな洞窟内の中央最奥の石台座の上、最古の竜こと雷竜アキマサの頭にまたがり乾杯の音頭を取っていたのが、この私である。
イルさんが飛び立って以降も、狼男達は休みなく働いた。おかげで頂上までの道はほとんど綺麗に舗装され、一応の完成を見た。トーダちゃんに任せたアキマサじじ専用車椅子も無事に完成し、後は天候回復を待つばかりとなった。
――何かお礼をしなければ。
言い出しっぺは私だった。アキマサじじの為とは言え、巻き込んだのは私だ。そしてそれに関わるものは皆、真摯に働いてくれた。道にしても車椅子にしても、私の目から見ても文句のつけようが無い出来だ。それをたった数日でこなしてくれた彼らにお礼をしたい。
そう思っていた矢先、イルさんのこの言葉である。
――盃を交わしたい相手がいる。
私はピーンと来た。
やはり祝い事、お礼事には酒の席である。
思いついたら即行動、あまり深く考えない私は、さっそく男達と協力して今晩の宴会の準備に取り掛かった。付近の人里より酒を取り付け、家畜の肉を大量に融通してもらった。その肉を焼いたり燻製にしたりとあの手この手を加えて作ったのが、テーブルに並べられている肉料理達だ。大量生産品とは言え、全て私の手料理である。
『おお、おお。これはすごい』
眼前の熱量に目が眩みそうなのはアキマサじじだ。ここ数年は隠居を通り過ぎて独居生活、一人での静かな生活に慣れ親しんだアキマサじじには、目が回りそうな光景に違いない。至るところで笑いが巻き起こり、今や外界の嵐など気に留めているものは一人もいないであろう。
「ごめんね。アキマサじじ。うるさいのはどうかと思ったんだけど」
『なぁに、賑やかで良い。久しく忘れていたなぁ、こういう感覚は。若者の活気に触れるとこちらまで若返るようだ』
眼前には大宴会の光景が広がっていた。狼男達は昭和の酔っぱらいサラリーマンのように、肩を組んだり代わる代わる一気飲みしたり、盛り上がり過ぎて殴り合いを始めてしまっている者たちもいる。マナーが悪いと言えばそれまでだが、ここは無礼講だ。
『アカネさん。ありがとう。どうやらわしは、一生をかけても返しきれぬ借りができてしまったようだね』
アキマサじじの言葉に胸が締め付けられた。
――そんなこと言わないで。
しかし後に続く言葉は出てきそうに無い。今の私には、アキマサじじにかけるべき言葉がどこを探しても見つか無かった。どんな言葉も、今の彼には余計なものに感じたのだ。ただただ、今の余韻を大切にしてほしかった。
『アキマサ様』
気がつけば、艶めく鋼鉄の体躯を持つドラゴンが側に伏せていた。
「イルさん」
『おお。イル坊か。こうして間近で見るのは初めてだが、いやぁなに、立派になった』
『ご無沙汰しております、アキマサ様。本来ならばこちらから出向くところ。不肖な若造をお許しください』
『何を言われるか竜王よ。イル、お主は今や大地の精霊王なのだぞ? 隠居した身にわざわざ挨拶する暇など無かろう。むしろこの老骨の我儘に付き合わるなど、頭を下げるべきはわしの方だ』
『……恐縮です』
二匹は交互に深々と頭を下げた。それは今までにみたどんな儀式よりも優雅で崇高なものに見えた。
そして、それを再び拝める日は、きっと来ない。
『……アカネ、済まないが私はアキマサ様と二人で話をしたい。構わぬか』
アキマサじじの頭上に居座る私に、いつになく真剣な眼差しのイルさん。
「あ、うん、わかった」
その表情で、大切な話をされるのだとすぐに分かった。男同士の、最後の確認だ。
「これで乾杯してね」
私はアキマサじじの頭から首をつたって滑り台のようにして降りた。アキマサじじの石土台の周辺にはまだ空いていない酒樽がいくつか並べられており、私はそのうちひとつを開栓すると、小走りで立ち去った。
『すまんな、アカネさん』
私は振り向かず後手で手を振った。
こういう時、同性でしか出来ない話というのがある。それは、本懐の確認だ。
例えば最期を迎える時、妻や夫、家族には明かせない想いというのがある。相手を思いやるあまり、相手から想われたいあまりに、かっこつけてしまうというか、それゆえに言い出せない事というのがある。
そういう想いは、適度に距離が離れていて、かつ信頼出来る、それも同性の方が話しいやすい。
イルさんは自分こそその立場にあるということを自覚していたのだ。
――本当にこれで良いのか。
――やり残したことはないか。
死にゆくものには、「後を任せられる存在」が必要なのだ。
私は必死に作り笑顔をして、狼男達の間を駆け抜けて行った。
無理。
泣く。
こんな席で泣きっ面を見せる訳には行かなかった。溢れ出るものを雨のせいにしようとして、洞穴の入り口まで駆け上がった時だった。
「おー、おつかれ」
聞き慣れた声に顔を上げると、それはポケットに手を突っ込んで黄昏れている、トーダちゃんだった。
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