第62話 素直

 会いたくない時に、よりによって一番会いたくない人に会ってしまった。


 トーダちゃんは私の泣きっ面を見て、目を見開いたけれど、何も言わなかった。まるで何も見なかったのように、また洞穴の外の雨を眺め始めた。興味が無い風でいて、何かを言いたそうなそれが気になる素振りってやつで、私はそんなトーダちゃんから目を離せずに居た。涙で閉眼しそうになるそれを力でこじ開けている私は、一見して彼を睨みつけているような状態だ。


「何よ」


 何も言わない彼にじれったさを感じて問いただす。


「………別に」


 そして彼は一言置いて、まるでタバコの煙を吐き捨てるかのように言うのだった。


 思えばこのトーダちゃんは、至る所でタイミングが悪い。イルさんの背中で泣いていた時や、今だってそう。エルさんの顎のトレーニング、私が昆布巻きのように吊るされている時もそうだった。そう思うと、一気に苛立ちがせり上がってくるのだ。


「言いたいことがあるなら、言えば? すみませんね、しょっちゅう泣いて。色々あって涙腺キてんの。しょうがないじゃない」


「………だから何も言ってないだろ」


「じゃあなんで言いたそうなの? もうわけわかんない!」


 八つ当たりだった。本当なら、誰にも見られない所で雨にでも打たれて、そのオーバーヒートした頭を冷やしてやるつもりだった。でも一度足を止めてしまうと、今更駆け出す訳にも行かず、先に限界を迎えたのは感情だ。自分で分かっていても、どうしようも出来ない。誰かに何かを言って吐き出さなければ、溜まっているもので破裂しそうになってしまう。そうなってしまえば、目を覆った所で流れ出した涙は止まってくれない。


「落ち着けよ。お前、変だぞ」


「どうせ変よ」


「いや、そうじゃなくてな。えー、あーもう」


 涙でぐしゃぐしゃになった視界では、彼が何をしているかどうか分からなかった。そうして彼が黙ってしまえば、なんだか逆に不安になった。


「ま、あれだ」


 突然、彼のふさふさの手が両肩に乗せられた。私はそんな彼の手に優しくも力強く引き寄せられ、洞穴の壁面に腰を下ろさせられる。


「泣きたい時は、泣けばいいんじゃないか。素直に」


 右肩には、彼のふさふさの腕毛の感触があった。猫の毛のように柔らかく温かい。


「なんていうか、お前らしくない。って思った。多分あれだ、自然体じゃないんだ。こうしなくちゃ、ああしなくちゃ。いい言葉が見つからないんだが、気張っているっていうか。でも俺の知っている普段のアカネはそうじゃないんだよな。気を使うわ」


 どうやら、彼なりに慰めてくれようとしているらしい。しかし年下の彼の言葉は、乙女心が全開になった私にはイマイチ刺さって来ない。私を思って言ってくれているのがわかる、その気持だけは嬉しかった。


「気を使わせて悪いね」


「いや、まぁ。とにかく、泣きたい時は泣けばいいよ。だってさ、そもそも、今回のことにつけ、自分がそうしたいと思ったからやったんだろ?」


 しかしその言葉は突き刺さった。私ははっとする。


「ドラゴンの従者だから、とか、そういう使命感もあったんだろうけれど、それなんて所詮、後付だろ? あのドラゴンじいさんを見て、なんとかしてやりたいって思ったから、やったんだ。あのドラゴンじいさんを尊敬して、同情もして、そんで共感して。それってさ、素直な気持ちだと思うんだよ。俺だって、そんな状態を知ったらなんとかしてやりたいって思うよ。でも立場があるし、俺1人がどうこうしたって、とか色々考えて、飲み込むんだ。でもアカネは、それでもそうしたいって思ったからやったんだよな。それって、純粋な想いだよ。そして多分、それが皆に伝わったから、皆が抱えるその想いに響いたから、動き出したんだよな。そこに立場とかそういうのは無いんだよ」


 トーダちゃんの言葉が、自分の心にすっと染み込んでいくのを感じた。


「そんな想いが集まっているこの状況で、自分の想いに蓋をしようとしたって、無理だよ。それって、いびつだ。自然じゃない。だからきっと、そうなるんだ。体にも心にも、良くないよ」


 恥ずかしながら、その言葉には心を動かされてしまった。背負うものが大きすぎて、構えてしまっていたのは本当だった。心の悲鳴の在り処も、彼にこうして説明を受けると、なるほどその通りなのかも知れないと思った。


「………トーダちゃんのクセに、なまいき」


「そりゃあどうもすみませんでしたね」


 自分のせり上がる感情を理解すれば、それはもう堪らえようが無かった。いい例えではないが、尿意がある時にトイレを見かけたらもうそれは我慢出来ないのと同じで、この涙や感情の理由が分かってしまったからこそ、溢れそうになるそれを我慢出来なかった。


「じゃあ、ごめん。泣くね」


 そう言って、声を上げて泣いた。年甲斐も無く、内から求められるものに、従順に身を任せた。子供のように、うずくまって。


「………今ならどうせ聞こえないさ。なにせ、こんな天気だからな」


 雨脚は風を伴って暴風雨のようになっていた。洞穴の中は宴会のようになっているし、それに気がつくものはいないだろう。そう思うと、体が柔らかくなったような錯覚に陥った。どうせなら、全部吐き出しちゃえ。


「俺は物覚えが悪いからな。明日にはどうせ忘れてる。思いっきり泣けばいい」



 ありがとう。



 こんな時、こんな簡単なことが言えない。素直になれない。




 この雨が止んだ時には、その青空に負けないくらいの笑顔になってやるんだと心に決めた。仮にそれが曇りだったなら、吹き飛ばしてやる。単純明快、元気だけが私の取り柄だ。いつもの私に戻るんだ。そして、この山のてっぺんを目指して、あの分厚い雲を突き抜けてやるんだ。



 そして。


 アキマサじじを笑顔で見送ってやるんだ!

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