第59話 ドラゴンの涙

 その豆粒が近づくにつれ大きくなっていき、ドラゴンの形として認識出来たときにはすでにその雄大さが強烈に溢れて出ていた。


 そんな男気を纏って私の前に舞い降りたのは、現大地の精霊王、イル・キャピタン。


 私の仕えるエルさんのご長男で、密かに私が「イル様」と様付けで呼んでいるナイスグレーな男前さんだ。


「イルさーん!」


 私はツェプトさんに下ろしてもらうなり、思わずその大きな顔に抱きつきいてしまった。


『おおアカネ。相変わらず活発な娘よ。会えて嬉しいぞ』


 イルさんはその偉大な立場にも関わらず、他の誰に対しても優しかった。威厳たっぷりだが、しかし高圧的なことは言わない。有りとあらゆるものを受け入れる懐の深さを持ちながら、自分には厳格だった。まさに男前なのだった。


『ウルから話は聞いた。お前の願いとあれば断る理由が無い。厳選を重ねた大地の精霊石を持ってきた』


「その背中の革袋、の中?」


 普段何も着用しないイルさんの背中には、大きな革袋が取り付けられていた。おそらくは人間が雨をしのぐための組み立て式簡易宿、その貼り革をうまいこと風呂敷のように扱っている。外から見てもゴツゴツした何かが入っているのがわかる。


『そうだ。大小様々だが、その蓄積した大地の精霊力は私が保証しよう。早速届けようと思うのだが』


 そうしてイルさんが洞窟に目線を向ければ、そこには深く跪いたツェプトさん。


「イル様」


『ツェプトか、久しいな。流石は雷竜に見初められただけのことはある。立派に群れを率いているところを見ると、この山も盤石だろう。私も安心したぞ』


「もったいないお言葉」


 ツェプトはまるで王家に仕える騎士のように、イルさんの言葉を聞いていた。やはり精霊王とはこの世界を生きるものにとって大きな存在なのだ。自然と共に生きる、という狼男達のモットーと、大地を育む地竜。そこには深いつながりがあるのだろう。


 そんなときだった。


『他が治める領地が心配とは、驚いたな』


 聞こえたのは別の龍の声。渋く、高圧的で、迫力のあるその声。振り向けば、洞窟の奥からトルマリンの輝きが発せられていた。


『そういうことは、自身の職責を全うしてもなお力を発揮できる者にのみ、許されるのだ。貴様はその域に達したとでも言うのか。相変わらず大層な自信だな、イルよ』


 威嚇とも取れる迫力を纏ってにじり出てきたのは、この山の主にして天候を司る雷の精霊王、雷竜ヒロノブだった。大柄な地竜にも比肩する巨体が、空の雷によって幾重にも煌めいている。


 向かい合う地竜イル・キャピタンと雷竜ヒロノブの間には、天空の雷をも超える張り詰めた空気が漂っていた。そんな空気を更にピリつかせたのは、イルさんだ。


『ふん。あまりにも容易に侵入できたのでな。警備が行き届かないほどにその領主はくたびれている、そう思えば、心配の一つもする気概を私は持ち合わせている』


 超絶渋い声で繰り出されたのは、大人の皮肉だった。


『言うじゃないか、この若造が。こちとら他領主を無下に追い払すほど感性が貧困してはいない。わざわざ招き入れてやったことにも気が付かないとは、恐れ入る』


 売り言葉に買い言葉。口はニヤけて牙をひんむいているが、目が全く笑っていないヒロノブのその迫力と言ったら無い。若いチンピラより高齢のヤクザが静かに凄んだほうが怖い。それをまさに体現したような迫力に、私は思わず身震いする。


「ね、ねぇイルさん? ちょっと、喧嘩とか無いよね?」


 しかし両者はピクリとも動かずお互いに睨みを効かせている。助けを求めてツェプトに振り向くが、静かに首を横に振るだけだった。


 考えてみればここは雷竜の、それも現在の王の領地なのだ。そこへ他の領主がやってきたと考えれば、何も無いほうがおかしい。政治に疎い自分を呪った。


 が、しかしそこは流石に大人のドラゴンさん達。静かに口を開いたのはイルさんだ。


『……前王、アキマサには世話になった。その最後の勤め、手伝わしてもらいたい』


 イルさんはかつて私にそうしたように、頭を地面に這いつくばった。


 それはドラゴンにとっての最上の敬意の示し方だった。


「イルさん……」


 気がつけば、ツェプトもそのそばに寄り添い頭を下げていた。私は二人の空気を感じて、膝を折りたたんで頭を下げた。


「おねがいします」


 しばらく無言が続いた。いつの間にか周囲の狼男達も手をとめ、私達に同調していた。


 思えば、アキマサじじの想いを尊重するだなんだの言って、半ば強引に事を進めたのは私だった。雷竜には雷竜の世界が、家庭が、価値観があったはずなのに。よりによってその長で、しかも現王の想いすらも弾き返したのだ。彼にしてみれば、私の提案を受け入れるということは父を直ちに失うのと同意だった。そこに至るまで何度も巡らせたであろう繊細な心の領域に、私は土足で踏み込んだのだ。


 私の父は自分で延命装置を切り、死んだ。人生の幕引きを自分で選んだ。

 残された私は、そんな父を許せなかった。何よりも父の想いを大切にしなければならないのに。


 アキマサじじも、自らの人生を至高のものとするために、死を選んだ。

 そしてその子であるヒロノブは、あの時の私と同じだ。


 苦しくない訳が無かった。それは彼の、次の言葉ではっきりと分かった。


『……これは父の我儘だ。その長き人生の、最後の、な。それに付き合わせるなど、下げる頭がいくつあっても、足らぬわ』


 ヒロノブはゆっくりと踵を返し、翼を広げてその山頂へと舞い上がっていった。


「ヒロノブさん……」


 くすぶっていた空から、いよいよ雨粒がこぼれ落ちてきた。その大粒のしずくは、まるで天空が泣いているのではないかと、そんな気分にさせた。

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