第36話 ドラゴンの昔の女事情
イルさんの昔の女!?
『なぁ、その話は辞めにしないか。過ぎたことじゃないか』
イルさんのその言葉に、私に向けていた首を返すと、イルさんの首に妖艶に絡めるサンタマリアさん。
『過ぎたこと? 別れた女には冷たいのね。イル。あなたの中では終わったことなんでしょうけれど』
『サンタマリア……』
サンタマリアと呼ばれた氷竜の王は気だるそうに
『ふん、それで何? 昔の女に今さら何の用? まさか、やり直そうなんて言うんじゃないでしょうね』
『大丈夫だ、そういう話じゃない』
サンタマリアが良い女なのは想像にたやすい。イルさんよりは少し小さいが、アクアマリンのように透き通る体表、宝石のような瞳に、ダイヤモンドのような爪。首がスマートで長く、雪を連想させるタテガミがゴージャスなファーのよう。憂いのある表情がまたなんとも言えない。
『はぁ……。そこは冗談でも、そうだよ、って言うべき所じゃないのかしら。あなたって本当そうよね、昔から』
しかし、面倒くさいことこの上ない。男と別れた後にバーで一人でうなだれている美女のようだ。一体どんな別れ方をしたんだろうか。
『これ以上みっともない姿を見せないでくれ。この娘は父の従者だ。今日はその娘の頼みもあってお前に会いに来たのだ。氷竜の王としての、サンタマリアにだ』
流石のイルさんも冷や汗が吹き出している。それがすぐさま凍る程ここは寒いのだけれど。
『ふぅん……その人間の女がねぇ……』
ドキッとする視線が私に向けられる。不覚にも、その瞳を美しいと思ってしまった。
『それで、どんな用よ』
台座で丸くなり、前足にうなだれた首を
『氷の精霊石を分けてもらいに来た。父の傷の手当などに使いたいのだ』
サンタマリアさんは盛大にため息をつく。
『それをわざわざあたしの所に来る? 普通。昔の女なら頼みを聞いてくれると思った? 嫌な人。そんなのそこらへんの氷竜にでも頼めばいいでしょ。大地の王とあれば断らないわよ。あたしと別れてまで欲しかったんでしょ、その王の権力が。存分に使えばいいじゃない』
ん? 王の権力の為に別れた? 一体どういうことなんだろう。
『それでは権力に物を言わせた略奪だろう。精霊石が貴重なものなのは私も知っている。ならば、その王に頼むのが一番いいだろう。王だから王に頼みに来た、それだけだ。頼みは聞いてもらえないだろうか』
イルさんはそういって頭を下げている。二人の間に微妙な空気が流れる。私は物凄く居心地が悪いんだけど。
しかしイルさんにもちゃんと女がいたんだなー。やっぱりキャピタン家の血は争えないという所だろうか。サンタマリアさんの言っていた事も気になるけれど……
サンタマリアさんはもう一度ため息をついた。何か諦めたような悲しい雰囲気で。
『いいわ。適当に持っていきなさい。数個なくなった所でどうということはないわよ』
そう言って目を閉じてしまった。
精霊石の掘削作業はイルさんにやってもらった。丈夫な爪を壁面に突き刺し、ゴロリと掘り起こしていく。
氷の精霊石は想像よりも遥かに冷たく、溶けない氷の塊みたいだ。見た目通りの重量感で、簡単には持ち上がりそうもない。用途を考えて、大きいものと小さいもののを一つずつ選び、それを持参した皮で包み、イルさんの体にくくりつける。
『恩に着る。サンタマリアよ』
身支度を終え、私はイルさんの背中に跨った。作業を見守っていた彼女は、すごく寂しそうだった。今も変わらぬ視線を私達に向けている。その瞳が見ているのはきっと、今じゃない。
『サンタマリアよ』
イルさんは背を向け、飛行体制を整える。外の白銀の世界が眩しく光る。
『お前は私が王位の為に去ったと思っているようだが……』
『聞きたくないわ。……行って』
サンタマリアさんの返事は間髪無かった。何かを言いかけたイルさんだけど、それを飲み込んで翼を広げる。そしてその体は大空に向かって浮かび上がっていった。
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『見苦しい所を見せたな、アカネよ』
「ううん」
幾分傾いだ日が背中を温めてくれる。最初の山脈を超えるまではお互いに無言だった。
『精霊王に選ばれたもの同士は、結ばれてはならないんだ』
「そう、なんだ」
『私が物心ついた頃から、ウルはあんな感じでな。私は王位に興味が無かったが、そのためにウルに生き方を変えてほしくなかったのだ。ウルの嫁のトシコは、次期雷の精霊王候補筆頭なのだ』
トシコさんが? 確かに礼儀正しくて強くて美しいドラゴンだった。
『ウルが王になれば二人は別れなければならなくなる。私が言うのもなんだが、あの二人はお似合いだ。そしてサンタマリアも周囲から期待されていた。彼女は王に相応しい女だった。しかしキャピタンの血筋は私とウルしかいない。何より父の負担を減らしたいという想いがあったのだ。私が王位を授かるのが、一番上手くいく。その選択は今でも間違っていなかったと思っている』
山脈を超えるといつもの緑で美しい大地が現れた。日はいつの間にか白銀の山々に隠れてしまっていた。
「でもさ、私思うんですけど、サンタマリアさんって、多分今でも……」
『さ、昔話はここまでだ。せっかく手に入れた氷の精霊石なんだ。うまく扱ってくれぬと困るぞ』
「え、あ、うん」
振り返ればサンタマリアさんの住処は見えなくなっていた。彼女は今もあそこで、帰って来るはずのない人を待ち続けている。
ドラゴンの恋愛も、なんだか切ないんだなぁ……。
見下ろせばアッテリアが手を降っていた。そばには酒樽を体にくくりつけたテトも居る。流石の気の回しようだ。
「ね、イルさん。よかったらどうですか? 今晩、一杯」
『それはいいな。では頂いていこう』
「あ、でもエルさんと喧嘩しないのが条件ね」
『……善処しよう』
いつか、サンタマリアさんともこうしてお酒を飲みたいな。
私の目標がまた一つ増えた、そんな一日だった。
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