第35話 ドラゴンと元カノ
薄い雲の直下は空気が澄みきっているが、その温度は身を切るように冷たい。それがドラゴンの背中の上ともなると、吹き抜ける風であっという間に体温を奪われてしまう。
「うぅー、さぶっ」
私は今、現大地の王イル・キャピタンさんの背中に乗って、遥か上空を飛行している。眼下には豊かな自然が航空地図のように小さく広がり、眼前には上半分が白く化粧された山々が見える。その奥の景色は一面が白銀の世界だ。
『すまぬなアカネよ。あの山を超えたら一度高度を下げる。それまでの辛抱だ』
「はーい。へ、へ、……へぶちゅっ!」
そんな上空は恐ろしく寒く、アッテリアが貸してくれた毛皮のコートも、もはや焼け石に水。やはり人間は空を飛ぶようには出来ていないのだ。おかげでくしゃみが止まらず、今度は私が風邪を引きそうだ。
テトを呼び出し、イルさんへの伝言を頼んだ翌日。早朝からイルさんは駆けつけてくれた。氷の精霊石がひんやりしているという確証が取れた上で、その採取の旅に同行してくれたのだ。
『そういうことなら私に任せなさい。氷の竜王には面識がある。父のこととなれば、協力してくれるだろう』
聞けばイルさんの翼なら半日で到着できるとのこと。相変わらず頼りがいのある男らしいイルさんのお言葉に甘える形で、私はその背中に
イルさんの飛行は
『しかしお前には驚かされる。氷の精霊石で常時物を冷やしておくなど、そうそう思いつかぬ。やはりそれもお前の世界のものなのか?』
「ええ、そうなんです。私の世界ではそれが一家に一台はあって、それが生活の中心になってますね。お肉なんかも、数日は持たせられるんですよ」
『ほう、それは利便性が高いな。我らドラゴンの食生活には関連が薄そうだが、人間の食事は多様性があるからな。しかし、それが一般に根付くことには、ならんだろうが」
「そうですかね?」
『氷の精霊石は入手性に問題がある。まぁ、行ってみればそれもわかろう。では一旦おりるぞ』
白化粧の山脈を超えると、眼下は一面白銀に覆われていた。奥の一際高い山の麓に、イルさんは滑空していった。
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降りた所は氷の洞窟の入り口だった。山肌に雪が乗っている他の部分と違って、ここだけは氷で出来た床に雪がトッピングされている、と言ったほうが正しい。奥を見渡せばエルさんの住処の氷バージョンと言った感じで、洞窟の壁面は青く透き通った氷、そこに結晶のようになっている塊がボコボコと埋まっており、それが淡く輝いている。
「はえー、なんとも神秘的な……」
こういうのを現実世界で
とある利用者さんの趣味がカメラで、定年後に各地を回って撮影したという写真の中に、これに近いものがあった。認知症を患っていた彼だが、何かあると必ずその写真を見ていたにが印象深かった。最期は
こういった症状にならない為にも、高齢者は日常的な動作を自身で行い、最低限の動的性能を確保する必要がある。介護は、高齢者自身の負担を減らすだけではなく、積極的に活動を促し、そのために歩行介助などを行っていくという機能維持の側面も重要視される。
そして体を動かすにはやはり動機が必要になる。これには「どこどこに行ってみたい」というのが一番わかり易い。彼の場合は「もう一度氷穴に行く」。これが一番の効果だった。それは残念ながら叶わなかったが。
「こりゃあ魅了されちゃうのもわかるね」
全てがアクアブルーの世界は神秘的で美しい。洞窟の中は風が吹き込んで来ない分、思ったよりは寒くない。私はイルさんに跨ったままその中を進んでいく。
『壁に埋まっている塊が氷の精霊石だ。これはこういった場所で取れるのだが、大抵そこには氷竜が住み着いている。人間がこれを使おうと思ったらわざわざここまで出向き、氷竜に許しを得た上でこの重い石を持って帰らなければならない。しかもかなり冷たいのに、だ』
「なるほどねー。それは確かに非現実的かも」
氷の壁面によって私の声は不思議に響き渡る。
『そういうことだ。画期的な方法があっても、それを自身で実現できなければ普及はしない。ちなみに、この氷穴に住んでるのが、現氷の精霊王だ』
「え、そうなの? 心の準備が……」
『話は私がつけよう。お前は私の上で跨っていればよい』
やっぱりイルさんは頼れるなぁ。こんな上司がほしかったな、現実で。そしたらオフィス・ラブ出来たのに。一体私は何を言っているのだろうか。
最奥には、やはりエルさんの住処と同じく巨大な縦穴が作られており、氷の壁面にきらきらと輝く半透明の塊が沢山埋まっている。その中央に氷の台座があって、その上に全身がアクアマリンのようなドラゴンが佇んでいた。
『大地の王イル・キャピタン。氷の王に用があって参った』
イルさんのその声がけに、気だるそうに首から振り返ったドラゴンはどこか妖艶な仕草だ。あ、このドラゴン女の人だ、と思った時だった。
『……もう名前も呼んでくれないのね。イル。冷たいじゃない。人間の女なんて背中に乗せて……あたしへのあてつけ?』
若しハスキーでセクシーな声は私ですらドキドキするものだった。そしてその声の主は首を伸ばして私を睨めつけて、衝撃的な一言を言い放った。
『あたしは氷竜のサンタマリア。そこの無神経な地竜の、昔の女よ』
色気満載の氷竜の王は、盛大に過去の恋愛にとらわれた、こじらせ系女子だった。
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