私が介護福祉士になったワケ

第17話 アカネのむかしばなし

 小学五年生の時、父が入院した。


 当時の私は父とひどく折り合いが悪く、女子でありながら反抗期真っ只中だった。若くして会社役員を務める父は厳格でありまた成果主義で、幼い私がどんな努力をしても興味を惹くことが出来なかった。私は父が家で笑っている所を見たことがない。そんな父に腫れ物に触るように接する母を見て育った私は、いつの間にか父の機嫌を伺う習慣が身についていた。いかに父の逆鱗に触れずに日々を過ごすか。私の家での生活は全てそこに集約されていた。


 そんな父を見舞いに行ったある日。私の知らない父がそこにいた。


 看護婦の問いかけに対して屈託のない笑顔で返答する父は、知的で社交的で、素敵に見えた。そんな父の魅力を私や母が引き出せていないことにひどく傷ついた。それと同時に、そんな父の魅力をいとも容易く引き出した看護婦に嫉妬した。


 ――私のお父さんを取らないで。


 根っこから毛嫌いしていたはずなのに、そんな言葉が出かかった自分に戸惑った。


 中学生になったある日。その感情が憧れだという事に気が付いた。患者に対して親身に接し笑顔を引き出すその存在は天使に見えた。自分の頭がそう理解した時、私の進路は決まっていた。


 高校生になって進路相談の日。看護師を目指すことを母に打ち明けた。その頃父は体調を崩しやすくなっており、無理をしては度々入退院を繰り返していた。厳格な父の背中が少しだけ小さく見えるようになったのもこの頃だ。母は、お父さんの為に無理しなくていいのよ、と言った。私は、自分の為だ、と答えた。その後、父の書斎を訪ね自分の意志を伝えた。やりたいようにやってみろ。背中から聞こえたのは初めての肯定の言葉だった。


 看護学校ではがむしゃらに勉強した。実習には誰よりも積極的に参加した。身体を鍛えて体力をつけ、いつか来るであろう夜勤に備えて夜の母校に忍び込み肝を鍛えた。


 就職活動を送っていたある日。祖父が亡くなった。ガンだった。

 月に一度は顔を合わせていたはずなのに。私は看護学校に通う身でありながらその兆候に全く気が付かなかった。危篤状態だと呼び出された時、全身の黄疸おうだんを見た私は泣き崩れた。私は一体何をやっていたのだろう。父はそんな私のそばで黙って背中をさすってくれていた。


 私は就職先を介護業界に決めた。大手の大学病院への就職も難しくない、と先生から言われたが私は曲げなかった。複合型施設への就職が決まった時、父は一度だけ酒を一緒に飲んでくれた。


 勤め始めは本当に辛かった。大学病院等と比べて圧倒的に看護師が少なく、多くの業務を一人でやらなければならない。教えてくれる先輩は私と入れ替わる形でシフトが組まれていた。習う為にほとんど毎日会社にいて、ひどい時には空いた居室で寝泊まりまでしていた。そこで利用者さんと会話することが息抜きにもなっていた。だけど心も体も、ギリギリの状態だった。慣れればなんとかなる。そう自分に言い聞かせていた。


 そんな時、父が倒れた。

 知らない病名だった。肺の機能が落ち、酸素吸引が欠かせない状態になっていた。やがてこういう日が来るということを知らないのは私だけだった。どうして言ってくれなかったの。泣きながら言う私に父は言った。


 ――お前の邪魔になりたくなかった。


 翌朝。父は死んだ。酸素吸引システムの電源は切られていた。私はその病室で発狂した。


 それからの私は荒れた。家に帰ると訳もなく喚き散らし、あらゆる物を破壊した。うるさいと怒鳴り込んできたお隣さんに馬乗りになったりもした。毎日のように酒を飲んだ。煙草も吸った。取り憑かれたように父が飲んでいたものばかりを選んでいた。母の気持ちなんて考える余裕は無かった。一ヶ月後、母は新しい男を作って出ていった。


 それからというもの、私は死んだようになっていた。あれほど憧れた看護婦の仕事になんの希望も見いだせなくなっていた。延々と並ぶ体温とバイタル数字に吐き気がした。こんなものに何の意味があるんだ。私は完全に自暴自棄だった。


 そんな私を見かねて事務長が声をかけて来た。


 ――介護職をやってみないか。


 私は休暇をもらい、施設に寝泊まりした。そんな私の行動に気でも触れたのかと他の職員はよそよそしかったが、利用者さんは暖かく接してくれた。私の話を聞き、一緒に泣きもしてくれた。話してくれる経験談は為になったし、私に発見と感動をくれた。利用者さんとの時間だけが、私の後悔を癒してくれた。



$$$




 目が痛いほどの光量で目が覚めると、ガラスの無い窓の外は嘘のような青空が広がっていた。


「んあぁ…あ。んー、頭いてー…」


 久し振りに味わうこの感じは間違いなく二日酔いだ。なんなら今すぐ指二本を口に突っ込んで戻してやりたいくらいだ。


 そんな事を考えながら乳を触ると、張りのある柔肌がやけに心地よかった。そこまできて寝ぼけていた頭がようやく覚醒し、異世界転生三日目の朝だと認識する。ララムの酒は飲み口が軽いがなかなか後に来るらしい。よほど寝苦しかったのか、ほとんどすっぽんぽんになってしまっている。


「んーいい朝」


 隣の家の煙突からは煙が立ち上っている。アッテリアが地竜さんの朝ごはんを作っているのだろう。


「平和が一番だよねー。やっぱり」


 それにしても随分懐かしい夢を見ていた気がする。どんな夢かはあまり思い出せないけど、深くは気にしないことにする。感傷にふけるにはあまりにももったいない、いい天気だから。だってもう、後悔しないって決めたから。


「今日も一日いい日でありますよーに」


 手を合わせると、脱ぎ散らかした服を握りしめて、歩き出した。

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