第16話 ドラゴンの晩酌の楽しみ方

 晩ごはん、と言ってもその内容は実に質素だ。

 地竜さん向けに作った穀物のスープ(今日は羊肉では無く牛肉を代わりに入れてある)と、やたらと硬くて風味の強いパン。エルさんはパンの代わりに精霊石、といった献立だ。


 そして主役は酒である。


 木樽を傾けアッテリアの家から拝借してきた木製のジョッキに注ぐと、もうそれは文字通りビールな感じの液体が音を立てた。豊潤な香りやその泡立ちといい、かなり上質な酒に見える。ぐいっと飲み干すと、やっぱり懐かしいあの苦味とのどごし。冷えてなくても不思議と美味しいこの酒に、私はすぐに虜になった。


「プハー!うめー!」


 女子力恥じらいなんのそのである。やたらとエロいネグリジェで地べたにあぐらをかき酒をあおる。現実なら痴女まっしぐらの下品な行為だが、開放感がなんだかたまらない。


「では我もひとつ」


 エルさんはそういって首を下げてくる。さてどうやって飲むのかなと思っていたら、酒ダルに設けられた取っ手を鼻に引っ掛けてそのまま高くまで持ち上げ、ぺろーんと伸ばした舌でゆっくり傾けていく。酒ダルからこぼれた酒は見事その舌を伝って口の中に注がれていく。舌を器用に流しそうめんの竹筒のように駆使している。なるほど、その手があったか。


『くぅ! たまらぬ!』


 1つ目の酒ダルはあっという間にすっからかんになってしまった。まぁ巨体を考えれば致し方ないことではあるけれど。


 しかしエルさんはいい顔をしている。ここ二日間で一番幸せそうな顔つきだ。


「お、イケる口だねぇ」


 私は酔っ払ったおじさんのようにジョッキをかざした。エルさんもそれに合わせて空っぽの酒ダルをぶらぶらと揺すっている。


『当たり前よ小娘。この程度じゃ嗜む程度だ』


「小娘じゃなくてアカネよアカネ! 今日こそは名前覚えてもらうのが条件だからね。そのお酒は!」


『そうかそうか。アカネというのかお主は。よかろう、この大地の王エル・キャピタンの名に誓って、その名を覚えようじゃないか』


 エルさんはすっかりご機嫌だ。さっき私が名乗ったこと等すっかり忘れてしまっているようだ。


「よく言った! じゃあ機嫌のいいアカネちゃんはもう一個、あげちゃおうかなー」


 ちなみに高齢になると人の名前を覚えるのが非常に難しくなってくる。比較的介護度の低いデイサービス利用者でさえ、職員の名前を覚えている人は少数だ。逆に名前をしっかり覚えられる人は社会性を十分に有しており、パッと見では介護の必要性を見抜くことが難しい、それほどに健常な人だったりする。認知症ともなればその名前を覚えてもらうことは本当に一苦労だ。努力に努力を重ねても、名前を覚えてもられればラッキー程度だろう。


『おおアカネとやら。話が分かるではないか。どれ』


 それでも私はエルさんに名前を覚えてもらいたかった。


 私には介護職員としての自負がある。前世と比べて何世紀も遅れているであろうこの世界で、専門的な角度からエルさんに携わる人間はおそらく私が最初で最後だ。やがて彼の記憶が混濁こんだくし人の区別がつかなくなる日が訪れようとも、一番最後まで覚えているのが私の名前であってほしい。それこそが、私がその人と寄り添った証なのだ。そのためなら例え無礼であっても厚かましくあっても、誰に後ろ指さされようとも構わない。出来る限り寄り添って、その人の人生の一部になる。これが私のポリシーなのだ。


「どう? この際だからアッテリアさんも」


「いえ、私はあまり……」


『なんだアッテリアよ。付き合いが悪いではないか。時を過ぎれば旬などあっという間だ』


 アッテリアは気持ちよさそうなエルさんと私を見比べて、溜息をついた。


「エル様の勧めとあれば、せっかくなので頂戴します」



 こうして夜は更けていった。


 興が乗ったエルさんはいろんな話をしてくれた。そのほとんどが世界を回って恵みを与えた話だったけど、エルフと呼ばれる耳の長い人間族が住む樹海や、氷山の中から生まれる氷竜、そして前地王の偉業の数々。


 私はこの世界に興味を持ち始めていた。ただ流されるまま生きるのはもったいない。きっとこの世界にも素敵な魅力が詰まってる。


 酒には不思議な力がある。

 そして酒は人生を豊かにする。


 そんな魅力を噛み締めながら、私はジョッキをあおいだ。



 

 $$$




「でねぇ、そんときあいつなんて言ったとおもうぅー? ねぇエルさまぁ。きいてるぅ? なんだよ年増としまかよっ、ですって! あんまりじゃないですかぁ? 私はすっごい一生懸命働いてきたのにぃ……ねぇエルさまぁ」


『そうかそうか。お前の魅力がわからんとは、ナニに自信がない男だったのではないか? 我が言ってやろう、100年後に出直してこいと』


「エルさまぁ、100年たったら、わたし骨と皮だけになっちゃいますぅ」


『それこそまさに骨抜きってか、ぐははははぁ』


「やだぁあもうエルさまぁったらぁん」


 眼の前には泥酔した女とドラゴン。

 女はドラゴンにまたがりながら妖艶な腰つきでその巨大な乳をこすりつけている。

 対するドラゴンは笑う度に天井に向かって火を吐き続けていた。


 気がついたときにはこうなっていた。あたりを見回せば5つあった酒樽はいつのまにか全て空っぽになっており、私のネグリジェがそこらへんで土に寝そべっている。見下ろせば私の乳にはその境界線をなぞるようにスープで落書きがされていた。


「酒を飲んだら大変ってこういうことかい……」


 私はアッテリアとの約束である「事態の収拾」を放り投げ、一人泉へ水浴びに向かった。


「この乳の落書き、絶対アッテリアだな」


 女は乳で決まるんじゃないんだよ。ちくしょう。


 私はそう心の中で叫びながら、二度とアッテリアに酒を飲まさないと誓った。

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