第11話 認知症の人と家族と相談員

 認知症とは、「認知機能を始めとする脳の機能低下によって日常生活に支障をきたす症候群の総称」だ。認知症とはかなり広義であり、原因も様々で、周辺症状もこれまた様々だ。認知症=○○と限定的に語るには、ときに多くの誤解を生む可能性があることを知っておかなければならない。


 最も多いのがアルツハイマー型認知症と呼ばれるもので、ある時より脳が萎縮を始め、脳機能が著しく低下する事によって発症する。


 他にも病気だったり事故によって直接脳の一部が破壊された場合などにも、同様の症状を発症させることもある。


『ボケとは違うのか』


「加齢によるボケと混同される症状もあります。でもそうですね、例えば歳をとって物忘れが激しくなっても、食べ物じゃないものを間違えて食べたりしないですよね。認知症が重篤化じゅうとくかするとそれが起こります」


 異食いしょく誤食ごしょくとも呼ばれるこれが発生するようになると食事の介助等が必要になってくる。これは脳の認知機能に支障をきたすことで、「食べ物なのかそうでないのか」の区別認識が出来ない為に発生する。大抵の場合は味覚も緩慢になってきているため、例えばティッシュなんかを口に含んでもそのまま白米を食べるがごとく飲み込んでしまったりする。この場合、誤食・誤飲の可能性のある物は手の届く所に置かない等の対策をしないと、命にかかわる事態になりかねない。


「エルさんの場合ですと、例えばそこらへんの岩を精霊石と間違えて食べちゃうとか」


『そんなことが起こり得るのか』


「ええ。ただ私の見立てだとそれは当分先だと思います。それよりも私が心配しているのが、不穏ふおん状態と徘徊はいかいですね」


 認知機能に支障をきたすことで引き出されやすい感情症状に、不穏がある。

 不穏は不安と言えばわかりやすいだろうか。負の感情の塊になってしまうと言えば大げさだがわかりやすいかも知れない。


 例えば自分の家に帰ってくると人は安心する。いくら服を脱ぎ散らかそうが素っ裸になろうが、プライベートと身の安全が保たれているからだ。

 では町中で素っ裸にされてしまったらどう思うだろうか?

 強烈な不安感情に支配され、なんとか人目を避け、死に物狂いで衣類を入手しようとするのではないだろうか。

 そんな状況に置かれれば、普段の自分なら絶対にしないような行動を取ってしまうかも、と想像に容易い。


 不穏状態はこの心理状態に近いかも知れない。今現在自分のいる場所・状況が正確に把握できない為、安心出来ないのだ。焦燥感しょうそうかんに駆られたその人は何をしていても落ち着かなくなり、感情的になる。それが断続的に続くと、今度は夜間不眠になる。


 そしてその不穏から逃れ、いち早く安心できる場所に辿り着きたい。


 その想いから発生するのが徘徊である。


「エルさんの徘徊が始まってしまうと、あの翼でどこまで行かれるかわかりませんし、それを止める方法が無いんですよね」


 健康な歩行機能を有することを健脚けんきゃくと言うが、健脚の方が徘徊した場合、数時間に渡って歩き続けることが可能なために、家族が気づいた時には既に十数キロ離れた隣町で保護されていた、なんて話が大げさではなく身近に存在する。数時間歩き続けてしまうのは疲れるという感覚が正しく認識できなくなってしまっているからだ。


「幸か不幸か、エルさんは後ろ足があまり良くないので、その頃には長距離の移動は難しくなっていると思います」


 エルさんは10メートルを超す巨体だ。セスナ機ほどの大きさの物体が見境なく走ったり飛行を続けたらどんな事態になるか、想像してみてほしい。


『なんということだ……』


 イルさんは顔が真っ青である。


『父はもと大地の王。恵まれた体躯に今なお強く残る精霊力がある。それが周囲に及ぼす影響は絶大だ。そんなことになれば私は……』


 私は反省した。私の説明がイルさんをひどく落ち込ませてしまったのだ。


「大丈夫ですよ。そのために私がいますから。エルさんの支援は可能な限りやりますし、変化はご報告いたします。何か不安なことがあったら相談して下さいね」


 私は生活相談員みたいだな、と思いながらイルさんを励ますのだった。


 生活相談員とは、施設と家族を結ぶ橋渡し役であり、施設の窓口であると共に家族の強い味方である。施設での利用者の様子などをご家族に報告したり、また相談された内容に応じて施設でのアプローチを変えていったりする重要なポジションだ。


『すまぬ。私が弱気になっていては話にならないな。心遣いに感謝する』


「いえいえ。一緒に模索していきましょう」


『実に心強い。前任はアテにならなくて困っていたのだ。私を見て腰を抜かしていたし、今となっては父とちゃんと接していたのかも疑わしい』


 アッテリアといいイルさんといい、前任は余程の人間だったのだろう。私はさすがにそれよりはマシだと思いたい。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る