第6話 お風呂誘導で押し問答
巨乳の女はアッテリアという名前らしい。
「アカネさんが来てくれてよかったです。前任がいなくなってから私一人では大変で」
服を譲ってくれるということなので、泉での水浴びを終えた後、アッテリアの自室に招かれた私はタンスの中を物色していた。しかしどれもこれもドレスのような構造になっていて、期待したズボンが一枚もない。制服がポロシャツにズボンだったので、初期装備のスカートは落ち着かなかったのだ。しゃがむ度にお尻がすーすーする。この際パンツが見えることは最早どうでもいい。
「夏季の水浴びなんて私一人じゃ大変だったんですよ」
前任の人はどこかに行ってしまったらしい。どこにでもいるんだなそういう人って、と思った。うちの会社にも初出勤日の翌日から音信不通になる人が結構いたな、と前世を思い出す。
「エルさんも入浴するんですか」
結局、服はアッテリアに適当に見繕ってもらった。私にはこの世界のTPOがわからないから、どれを選べば無難なのかも見当がつかない。私は着物を着付けられているがごとく腕を伸ばし、アッテリアはその周囲をぐるぐる回っている。
「ええ、夏季に日照りが続くと皮膚が固くなってしまって。エル様はああやって丸くなっておやすみになられますから、どうしてもひび割れとかしてしまうんです」
「出血とかするんですか?」
「血が出たりはしないんですが、皮がぽろぽろと剥がれてしまったり、去年は背中の部分が
「なるほど、
「ヒョーヒハ……え?」
「いえ」
「エルさんが最後に入浴したのはいつですか?」
「そうですね……今から7日程前でしょうか」
その言葉で私の介護魂に火がついた。
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『今日は気が乗らん。明日入る』
お決まりの返答はエルさんだ。ふてくされて丸くなり岩石のようになってしまっている。
「せっかく天気いいんだしさー。今日入っておこうよ。明日雨かも知れないし」
『ならば明後日入れば良い』
こういう時に限ってキレのよい返答があるのだから困る。軽量な利用者さんなら、車椅子にでも乗せて連行してしまえば、風呂の雰囲気を眺めている間にその気になってくれることもあるが、地竜さんとなるとそうは行かない。この巨体を移動させる方法があるなら今すぐ教えてほしかった。
「こんな美人と入れる機会なんて中々ないよ?」
『………』
「シカトかい」
こんなことでいちいち傷ついていたら身が持たない。図太さが重要なのだ。
『……だいたい我はお主など知らぬ』
「ひどいなー。お尻やってあげた仲じゃない」
『尻がなんだと? 訳のわからぬ事を言う小娘だ。とにかく我に水浴びする気はない。来年来い」
明日じゃないのかよ、というツッコミは飲み込んでおくことにする。私が水浴びをしている間に、すっかり私の事を忘れてしまっているらしい。
認知症の「忘れ」は、物忘れとはまた性質が違う。物忘れはうっかりだったり直ぐに思い出せないだけでよくよく考えると後で思い出せるようなもの、つまり「記憶として保存されているが読み出すのに時間がかかる」性質だとすると、認知症の忘れは「そもそも記憶として保存されていない」性質だと言える。
「お尻に腕を突っ込まれた」事が脳内に記憶されていないので、エルさんから見れば私は「出会ったばかりの女」になっている。会うなり「一緒に入浴しよう」などと言ってくる実に危ない女に映っているので、冷たくあしらわれるのも仕方がないのだ。この場合あーだこーだ説得しても悪徳商法の営業マンに口説かれているようにしか映らず、かえって警戒心を強めることもある。そんな時は荒療治だ。
「でもさー。そうやってるとまた皮膚が割れちゃうよ。割れたら痛いよー? ほらこことか」
『痛い! 小娘なにをするか』
「ほらー、傷跡になってるじゃん。このまま放って置くともっと痛いよ」
『……痛いのは嫌』
「じゃあ行こうよ。良くなるように手当してあげるから」
『主にそんな事が出来るのか』
「出来る出来る。達人だよ。ちゃんと洗って清潔にさえさせてくれればね」
『でも水に浸かるのは嫌なのだ。体が重たいのだ』
「わかった、じゃあ水に浸からなくていいよ。そこまで行ってくれたらお水かけてあげるから」
『……本当だろうな』
「本当本当、嘘つかない」
『ふん。人間は嘘ばかりつく。小娘、嘘だったら承知せんぞ』
「大丈夫だって……えっ、わっ」
エルさんは丸めた体を伸ばすと、私の股の間に後ろから首をつっこみ、そのまま立ち上がった。
「わっわっ。すごい高い!」
『あまり騒ぐと振り落とすぞ。掴まっておれ』
そう言って地竜さんはゆっくりのしのしと歩き始めた。見晴らしのいい眺めで気持ちがいい。象さんに乗る気持ちってこんな感じなんだろうなぁと思った。
「よかったね。美人とお風呂入れるよ」
『………』
「そこはシカトなのね」
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