男の子の急所

 お昼のお店は満場一致で決まった。

 実にあっさりしたもので、僕からすればそれは意外なことだ。いくつもお店が並んでいて、そして協調性があるやらないやら、まるで判然としないこの面子のこと。絶対割れると、そして揉めると、それくらいの覚悟は必要だった。さしあたり、僕が取りまとめるしかない。

「どこにしましょう。比較的空いてるお店がいいですかね」

 思い切り誘導を織り交ぜたその質問に、でもみんなの答えは意外にもというか、

「ハンバーグがよい」

「中華とかないっけ」

「あっ、ウッ、わ、和食」

 と、ぴったり完全に一致して、お昼は一番空いているオムライス屋さんに決まった。よかった。オムライスならある意味ハンバーグみたいなものだし、もちろん中華の歴史にないとは言い切れなくて、そしてここは日本だから必然的に和食だ。

 なにより一番重要かつ、一見しただけで理解できる事実として、

「メニューがオムライスと甘味スイーツオンリーですし、お店の内装や食器類も暖色系で明るい感じですから」

 抗いきれぬ誘惑、僕はどうしても見てみたかった。このいかにも可愛らしく女子っぽいガーリーなお店、その真ん中でもぐもぐオムライスを食べる、あの飢えた狼みたいな人相の悪いイケメンを。「そうか」「だよね」「うんッ」と心がひとつにまとまって、そしてその結果、

「こんな店があったのか。だが惜しいな、通うにはさすがに少し遠い」

 ものすごく好評だった。実はオムライスが好物とか初めて聞く話で、曰く「古い話だ。あいつの得意料理でな」とかなんとか、『あいつ』が何者かは知らないけどどうせ今頃はダムの底だ。気にするだけ無意味だ。

「にしても創さん、すごい量買い込みましたね。何冊あるんです、その袋の中」

 無理矢理、ただ話の腰を折るためだけに振った話題。それすら「あいつは小説が好きだった」とほとんどごり押し合戦の様相を呈して、でも正直なところ意外な答えではあった。

 小説。確かにぱっと見た感じ、文庫サイズの本が何冊も、という感じだけれど。

 袋の中はどうやらすべて文芸作品らしく、まるで似合わないのはもとより部屋のどこに置いているんだろう。なんでも「なんてことはないさ。最近は電子書籍で買うことも多い」とかで、なんか普通に本読みっぽい知的な空気を醸しまくってるのが解せないのだけれど、でも彼のことは心底どうでもいい。

「そうか。まあ、だろうな。別に俺は、人に自慢できるような人生を送ってきたわけでもない」

 むしろ後悔と懺悔ばかりさ――ごり押し合戦を諦めた彼の、その表情が語っている。「わかったこちらが大人になって一歩引こう」という、そんな感情とは正反対のあからさまに拗ねた面差し。未練がましく僕の顔をちらちら眺める、その瞳が若干涙目というか完全に「かまって」と語っていて、まあ要するにそういうところだ。

 ――どうしてこの人はいつもこう、まるでわかってくれないのか。

 興味がない、わけじゃない。でも絶対に知りたくない、だって知るたびにぼろぼろメッキが剥がれていくから。

 最初に出会ったその瞬間、あの一目見た姿のままの貴方イケメンでいて欲しい。一方的な押し付けでしかないとわかっていても、でも自分の中の幻想が崩れていくのはどうしたって切ない。

 普段、あんまり自覚することはないのだけれど。でも僕も一応男なのだと、そう意識するのは決まって彼と話している時だ。男である僕の目から見て、この身近な『格好いい大人の男』であるはずの彼には、少なからず理想や憧れを重ねてしまう。

 顔のいいイケメン。そういうのは自分なんかの手の決して届かないところで、別の世界でずっとイケメンしていてほしい。

 例えば身近に、仮に一緒に暮らしたりなんかして、この人が靴下をそこらに脱ぎ散らかしたままにする人だとわかったりしたら。悲劇だ。そんなことは知りたくなかった。そんな思いをするくらいなら、ただずっと遠くから眺めているだけでよかった。大人になるって悲しいことだ。

「おい待て慎。どうしてお前は俺の過去を何もかもダムに沈めた上に、靴下までそこらに脱ぎ散らかしている扱いにするんだ」

 わかった悪かった、今度からちゃんと洗濯かごに入れる――だとか。結局脱ぎ散らかしてるんじゃないですか、と、そう返すのがいまは精一杯だ。この人はいつもそうだ、どうしてわかってくれないんだろう。僕が言っているのはもっと本質的な話なのに。

 いつか伝わる日が来るのか。あんまり期待はできないけれど、でもその日のために一応調べておこう。おいしいオムライスの作り方。絶対『あいつ』よりもおいしいものを作って、そしてきっと僕は彼を叱るのだ。「食器くらい流し台に出しておいてくださいよ」、って。仕方のないひと。苦笑が漏れる。それを容認してしまう自分にも。

「――と、いうわけで。ダムのことは本当にどうでもいいので、いい加減教えてくれませんか」

 僕らは今日、いったいどこまで行くつもりなのか――。

 お昼ご飯の後、店舗を出てすぐのこと。すでに時刻は午後一時を回っていて、もちろん買い物には十分なのだけれど、でもどう考えたってこれは『買い物』じゃない。

 もうレンジを選んでいる時間はなさそうだ、と、さっきそんな話まで出ていたから。

「慎。お前、出発前の話聞いてなかったのか」

 呆れたような声。聞いていた。今日はみんなでお買い物に出かけるって話で、でも創さんは「そうじゃない」と首を振る。目線をやった先、洋菓子屋さんパティスリーの店先でふたり、持ち帰りの品を選ぶのはたまきさんと神さま。

 さっきのオムライス屋さん、結局食後のデザートは取り止めにして、だってこんなに混んでたら気が引ける。ちなみにちょろみさんは甘いものは要らないそうで、それはダイエット中というかどこまでもむちむちのおさまらない尻および太ももを気にしてのこと。だったらこれから先の道中、車の中で食べたらいいよねって話になった。創さんはコーヒーがあればいいそうだし、僕は別になんでもよかった。なにもなくてもいいのだけれど、今の気分だとどちらかといえば僕もコーヒー、だから僕と創さんはいま、洋菓子店から少し離れたコーヒーショップにいた。

「神さま、また赤いの買うのかな」

 という、それは別にどうでもよかった。いちごのシュークリームかエクレアあたりと予想して、でも「だからそれはどうでもいい」と創さん。言っていただろう、と彼の見つめる先、それはどうやら神さまのことみたいだ。なにを、と聞いて、そしてようやく答えが返る。

 ――「黒部ダムを見にはいけないだろうか」、と。

 確かに、聞いた。言っていた。一度だけ、ポツリと控えめにそんなことを言って、そしてその瞬間周囲に緊張が走った。黒部ダム。薄々予想はしていたけれど、でもいくらなんでも遠すぎる。少なくとも日帰りはまず不可能で、でも今から宿なんか取れるはずもない。

 それを、しかし、この男は、まさか。

 無茶に決まってるでしょう泊まりの用意なんかしてませんよなに考えてんですかこの顔だけ男、と、そう叱りつけたのはでも、早計だった。

「今ごろ言われても遅いというか、そもそも言い出しっぺは、慎。お前だろう?」

 あのとき全員察したものと思った。それが創さんの言い分で、つまり通じていないのは僕だけだった。というか別に隠していたわけではなかったようで、事実、普通に行き先を言っていた。それも、僕がだ。「黒部ダムはさすがに遠いから、行けたとしても――」。何の気なしに、ただぼそりと。会話の流れの中、あくまで「仮に」の話でしかなかった、そのつもりだったはずの目的地。

 僕らは今日、いったいどこまで行くつもりなのか。

 思えばなるほど、心細いものだ。どこかへ行くのは決まりきっているのに、その向かう先がはっきりと見えない不安。でも僕の場合、「どこへ連れて行かれるかわからない」という、そこにはなにも心配はなかった。だって、そんなの慣れっこだ。どこへ着こうとなんとでもなる、だから僕自身がどこへ向かっているのかは、あんまり不安に感じた記憶がない。

 いまわかった。

 電車の中、夕焼けに染まった神さまの、あのとき胸に抱えていたであろう不安。

 おんなじだ。子供の頃、夏が来て、おじいちゃんの家に泊まりに行って、そして神さまを拾う度。綺麗な拾い物を眺める毎に、その儚げな白さに見入るその度に。感じていた何か予感のようなそれは、でも誰にも相談できなかった。当然だ。だってまだ幼かったあの頃の僕は、それをどう表現していいのかわからなかったのだから。

 そのまま、いつか、どこか遠くへ。

 あのなにもない田舎の風景に、まるで紛れて消えてしまうみたいに。

 僕の大事な拾い物は、突然いなくなってしまうんじゃないか――。


 神さまは、儚かった。どこか浮世離れした、地に足がついていないような印象があって、それは僕を何度も不安にさせた。彼女は言っていた。『どうして存在しているやらわからん』。なぜいるのか、なんなのかわからない神さまの、その向かう先もやっぱり見えなくて、それでも時間は流れている。いずれ、どこかへ辿り着く。でもその『どこか』は一体、どこなのだろう。

 子供なりにわかっていたのは、そこは『彼女』の向かう先。

 その『いつか』の『どこか』、彼女の隣に僕はいないんだろうな、という、事実。


「いや、おい、その、待ってくれ。急にそんな、こう、真剣すぎることを言われてもだな」

 と、創さんの顔だけが言っていた。言葉にはしない、それは彼がどうやら理解していたからで、伊達にダムの底には沈んでいない。

 その手のことに関しては、間違いなく先輩であるところの彼。この相坂創という男は、僕のその恥ずかしい自家撞着さえ、ただのひとかけらも切り捨てることなく、そのまままるごと受け止めて、笑った。

「視野狭窄ってやつだ。だったら一緒にいるうちに、好き勝手どこまでも行けばいい」

 これから行く先がその終着点どこかか、それは保証できないがな――手元の携帯電話スマートフォン、地図で確認された行き先は、なるほど黒部ダムじゃない。黒部じゃないけど、でもなるほど。なにもダムって黒部だけじゃないと、それは僕自身の言ったこと。

 近所というには少し遠い、でも県内の、たぶん一番大きなダム。

 単純な話だ。恥ずかしい。僕の目は完全に節穴で、勝手に見失いかけていた。

「元々、『ダム見たい』って話だったろう。送ってやるさ。言ったはずだ、面倒ごとは俺とたまきがなんとでもすると。どこかに行ってしまうのが嫌だったら、手でも握っておけばいい」

 さっき、あの子がお前にしたみたいにな――そう笑う彼の、その目を見るのが恥ずかしい。あるいは、悔しい。大人なんてあてにならないと、その頑固で強固な僕の信念、笑顔ひとつでぐらつかせてくれるのだからまったく『格好いい大人のイケメン』はずるい。

 憧れは、弱みだ。最大の急所だ。少しでも理想を重ねてしまえば、もう多少のことには目を瞑ることができてしまう。ずるい男と、そして現金な僕。自覚が頬を赤くするから、こんなの目を背ける以外にない。

 早足に駆け出たコーヒーショップの外、紙箱を手に僕を待っていた神さま。

 僕の、白くて綺麗な拾い物。

 しんたろう、と僕を呼ぶ声。いや、僕はしんたろうではないのだけれど。でも稀に、いやちょくちょく見る光景で、彼女は僕を見つけると、ただなんとなく名前を呼ぶ。わかる気がした。用事もないのにただ呼んで、それはきっと神さまの中、何かを確かめる行為なのだ。

「神さま、おまたせ。ごめん、なんか思ったより混んでて」

 あとイケメン野郎の話が無駄に長くて。適当な、とってつけたようなその謝罪は、でも実際にとってつけたもの。なんだって同じだ、神さまに言葉をかけることが目的なら。

 ただ、いまはもうひとつ。せっかくこんなところにいるんだ、いまくらいは別に、いいだろう。

 今度こそ、ちゃんと、本当に。


 僕は拾う。

 自分の手で。その白くてか細い、彼女の手を。

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