大人(のお姉さん)にも見えているフードコート

 そのとき感じたこの気持ちを、でも僕はどう表現すればいいのだろう。


 不意打ちだった。突然で申し訳ないのだけれど、でも本当にそれは唐突だった。『超かわいい!』、そう事前に聞いていたはずで、予想だってしていたつもりなのに。思わず駆け寄りたくなるくらい、その姿はあまりに美しかった。


 綺麗だ、と思った。一言でいうならきっとそうだ。


 フードコートの隅っこ、椅子の上。睨み付けるような目つきでじっとたこ焼き屋さんを見つめる、そのどこか思いつめた様子の、でも寂しげな姿。僕は知らなかった。なにもかも。彼女、この白い少女についてなんの知識もなくて、だからこの瞬間ようやくひとつ、神さまのことについて理解できた気がした。

 綺麗だ、と。

 最初から、それだけは知っていたはずなのに。まるでいま初めて知ったような気がした。本当だ。どう言ったら伝わるんだろう、胸の奥がなんだか弾けそうで、綺麗なものを見ているのにこころもとなくて、なんだか泣き出してしまいたくなるほどに、その白い姿はなにより美しかった。

「――しんたろう!」

 声が響く。こちらに気づいた神さまの、その聞き慣れた、強くしなやかな声音。彼女の方から僕を見つけて、そして真っ直ぐ駆け寄ってくる。

 本当に、真っ直ぐ。迷いなく、弾けるみたいに、ぱたぱたと。

 さっきまでの不安げな、周囲に警戒を振りまくかのような面差しが。でもその瞬間、まるで迷子の子供が親を見つけたときのように輝いて、それは安心感と不安が混ざったような、とても言い表せないし見たこともない表情。

 ――やめてほしい。特に理由はないけれど、でも泣きたいのは僕の方なのに。

 僕の腕、まるで飛び込んでくるみたいにしがみついて、そのままぐりっと頭を押し付けてくる。

 遅い、と、いままで何をしていたのだ、と。

 そんなことを言うから、僕はただ「どうしたの」とだけ尋ねる。わかっていた、どうしたなんて聞くまでもない。だってこんなに綺麗なんだ、彼女にとってそれはきっと、生まれて初めてのことのはず。


「はずかしい!」


 きっと胸の裡をそのまんま、ただ丸ごと吐き出したみたいなその言葉。

 わかる気がした。下ろしたての服に身を包んだその真っ白い少女は、混み合う休日のフードコート、ひとりだけピカピカ輝いて見えた。まるで別人、とは思わない。神さまだ。明らかに神さまで、ただ装いを変えただけなのに、でもいつもとはまるで印象が違った。

 きれい目というのか、どことなくフォーマル寄りな印象のジャンパースカート。生地は黒く丈は膝下くらいで、フロントボタンの銀色が目に眩しい。白のブラウスはふわふわと、装飾のおかげか可愛らしいのにでも華美過ぎない印象、なにより髪型が違っていた。

 真っ白なストレートのロングヘア、普段はただそのまま下ろしているだけのそれを、左右だけ後頭部でハーフアップに結んで、きっとそこまで大きな差があるわけでもないのに、でもそれだけでずいぶん印象が違った。すっきりと、洗練された、なんだか遠い国のお嬢様みたいに見えて、だからその白い髪も赤い瞳も、すべてが予定調和みたいに自然にまとまっていた。

 似合うとか、似合わないとか。

 もうそんな話じゃなかったし、そもそういう言葉それ自体を忘れた。何も言葉が出てこなかった。白昼夢でも見ているかのような、なんだか足元の覚束ない感覚があった。

「しんたろう。どうしよう、はずかしい……自分がこう、自分でなくなったような感じがする」

 僕の肩口におでこをぐりぐり押し付けながら、そんなくぐもった声を出す。神さま。あべこべだと思った。だって本当ならなにひとつ、きっとどこに出したって恥ずかしくないいまの神さまは――でもきっと、まったく慣れていないのだ。

 元々が突飛な、どうしても注目を集めてしまう存在である彼女。好奇の視線はむしろあるのが普通で、なのにいま彼女へと注がれるそれは、どう見たって普段のそれとは違う。

 こういうときこそ「ふふん」でいいのに、なんて。

 間違ってはいないと思うのだけれど、でもそう言ったところできっと答えは「だって」とかだ。

 気持ちはわかるというか、知っている。

 着慣れない、パリッとしたよそ行きの服。例えば七五三とか小学校の入学式みたいな、そういうとき子供ってこんな風になる。はずかしい。褒められているのに、いや褒められるのが逆に恥ずかしくて、それは僕にも身に覚えがあった。父さんの足にしがみついて離れられなくなって、だからきっとそんな感じなんだと思う。

 引き剥がす気にはなれなかった。別にこのまま、神さまの好きにしてもらって構わないのだけれど、でもかける言葉が見つからないのが困る。あとは、こう、多少の照れも。いや多少どころかかなりというか、正直「はずかしい!」は僕の方で、でも同時に嬉しさというかなんというか、

『どうだふふん』

 みたいな、そんな誇らしい気持ちの方が大きいから不満はなかった。これは僕のだ、僕が拾った。どうだうらやましいか綺麗だろう、みたいな。我ながらこう、わりと傲慢なうえに器が小さい。結局そこだけは子供の頃のままだと、なにひとつ大人になんかなっていないと自覚する。

 できればもっと、このまま見せびらかしたいところではあるけれど。

 でもこれ以上、周囲の注目を集めるのは可哀想だ。

「――というわけで、できればやめてあげてください。そんなすごい目でぎろぎろ見るの」

 僕だってぎろぎろ見たいんですからと、その言葉に「うっ、あっごッごめん……」と返って、そして視界の先のフードコート、隅っこの椅子に腰掛けたたまきさん。にこにこしながらなんか携帯電話スマートフォンをいじって、

『どうよ』

 ときた。どうよもこうよもない、なるほどその得意げな顔もよくわかる。

『お疲れさまです。お化粧までしてあげたんですね。すごい』

『ちょっとだけね。で、どうよ! ご感想を!』

『心臓止まるかと思いました。想像のはるか上でしたね。パーフェクトです』

 とても綺麗で、と打ちかけて、消す。急に恥ずかしくなってきた。別になにも嘘はついていないし、言えといわれれば何遍だって繰り返せるのだけれど。

『神っちゃん自身もすっごい気に入って、ふたりでぐるぐる踊りながらちょうハイテンションで買ったのに、なんかそのあと急になんも喋んなくなっちゃって』

 さらに『ちょっと不安でした』と来て、なるほど、と思う。ぐるぐる踊りながら。なにしたんだろう。何度想像しても頭の中に浮かぶのはインド映画のような絵面で、まあ実際その通りインド映画してたかさもなくば神さまがハンマー投げみたいになったかのいずれかだと思うのだけれど、とりあえず無事みたいだからそれはいい。

 たまきさんを手招きする。タイミングがいいのか悪いのか、そのときようやく創さんからも返信レスポンスがあった。『すまん。もう少しかかる』。ちょうどいい。簡潔に返信する。

『先行ってます。詳しい場所はあとで』

 そう打とうとして、でも神さまが邪魔でうまくいかないので二文字で諦めた。すぐ隣、たまきさんとちょろみさん、ふたりの方に向き直る。

「移動しましょう。ここ、だめです。人通り多すぎて、神さまが」

 お昼ごはん。ちょうど真上がレストラン街で、どの店でもたぶんフードコートのテーブルよりはマシだ。ここは開放感がありすぎるうえにたこ焼き屋さんまであって、そして神さまはおそらくのこと――これは少し後、ふとした瞬間に気づいたのだけれど。

 たまたま、目線の先にあったたこ焼き屋さん。それに縋るしかなかったのだと思う。

 ただ耐える以外にない、正体不明の不安の中。八つ当たりの敵意と憎悪を向けることで羞恥をこらえて、つまりたこ焼き屋さんにも悪いしこの子の情操教育にもよくない。

 僕の腕、しがみついたままの真っ白な頭。そこにぽんと手を乗せて、その体温の高さに少し驚く。そういえば前もそうだった、お昼休みの生徒相談室。舌に絡みつく白い指、あのときは神さまの顔があまりに近くて、あんまり考える余裕もなかったのだけれど――。

 本当に、ドキドキした。

 あの狭くて薄暗い小さな部屋が、まるで僕と神さまだけの異世界のようで。

 違いがあるとすれば、そこだろうか。僕は子供のままで、きっと大人になんかなっていないと思うけれど。でもすべてがあの頃と同じだと、そういうわけにはいかないのもわかる。僕の腕、しがみついたままの白い女の子。かつて、こんなことはなかった。

 初めての経験で、なんだかすごく歩きにくい。

「いやいや慎っちゃん。拾ったのは慎っちゃんなんだから、そこは慎っちゃんが、ね」

 責任を持って、とかなんとか。この人はずるい。卑怯だ。そんな大人のお姉さんみたいな顔をされては、僕からはもう何も言えなくなる。ただ綺麗なものを綺麗と言う、それすらなんだか恥ずかしくなって、だからこの人には言わずにおく。

 僕がいま、どれだけ困っているか。行く先は決まっていて、それはエスカレーターを登った先。そう遠くもない、歩いてすぐの場所なのに。

 歩きにくい。動けない。これじゃ、どこへも行けそうにない。

 ――最初から、こうしてくれたらわかりやすかったのに。

「あのさ、神さま。ご飯だから。歩きにくいから、もうちょっと」

「はずかしい」

 離れる気配のない拾い物。もちろん剥がすつもりはなくて、だからってご飯抜きというのはさすがにあんまりすぎる。無理矢理歩く、そのぎこちない一歩一歩。別に、は行かない。エスカレータまでのわずかな距離。

 気づいた。腕にくっついていたおかげだろう、それはいつの間にか、ごくごく自然に――まったく意識すらしなくなっていたこと。

 小さな歩幅。

 合わせる、なんて感覚は、もうそれ自体が懐かしくなっていた。

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