大事なこと、大人は教えてくれなかったこと

 変なあだ名が付いていた。

 神さまのことだ。なるほど、言われてみれば「神様」というのはちょっと大仰ではあった。気の知れた同志としてはいささかいかめしすぎて、それに見た目の真っ白さもある。

 先輩たちはいろいろ考えた結果、「神さま」というのを英語っぽくことに決めた。

「コミーさん、っていうんだけどね」

 響きも可愛らしいし、似合うと思って――と小関先輩。まあ異論はないのだけれど、それだとなんか本名「小宮山さん」って感じというか、

「いや、なにもこれ以上『こ』のつく名前増やさなくても」

 という、その事実に気づいたのはでもしばらく後のこと。そのときはただ一も二もなく同意して、「確かに神さま顔かわいいですしね」という僕の言葉に当人が「ふふん」と答えて、いやより正確にはそのふふんの少し前、

「――んぁっ、急になにをいうか人前で」

 と、ぽりぽり食べてたお煎餅を吹き出して、そこに「でもかわいいでしょ実際」とフォローを入れたところでやっと「……ふっ、ふふん」となった。いろいろ手間がかかって面倒で、でもいまはあんまり気にならないというか、なにしろ懇親会という名のおやつパーティーの最中のこと。

 ただ楽しいばかりでなく、それ以上の収穫もあったのはよかった。

 疑問だったところが解決したというか、そもこの三人の先輩たち、神さまと一体どういう知り合いなのか。革命戦士にしては言動が穏やかすぎて、でもそれも聞けばなるほど簡単なこと、

「きっかけは利害の一致かな。コミーさんは同志が欲しくて、僕らには新入部員が必要だった」

 もっとも、結局うちの生徒じゃなかったんだけど――それが小坂先輩の弁で、つまり元々彼らは別の部活の所属だ。上級生が卒業してしまったおかげで三人だけになってしまい、となれば自動的に廃部、とまではいかずともでも同好会に格下げになるから、できれば避けたいと思うのは当然のこと。

「ただ、まあ見ればわかると思うけれど。僕らはほら、どうも苦手でね」

 勧誘とか、そういう人に声をかけるような行動は――というのは小平先輩の発言。正直「そうかな?」と思う部分もあったのだけれど、でもまったくわからないわけでもない。

 彼らは落ち着いていて紳士的だけれど、でも穏やかな分だけ積極性みたいなのは少ないように見えた。例えば「動」か「静」かでいうなら間違いなく後者で、それはさっき僕が泣き崩れたときの、あの狼狽うろたえた様子を思い返せばわかる。

 それでもとりあえず頑張ってみよう、と、あの並木道まで出てきたはいいものの。

 なかなか声をかける勇気も出せず、気づけば流されていた校庭の端の方。三人で固まって「無理だ」「出来ない」「難しすぎる」と敗北感を噛みしめる、そのすぐ隣でただひとり戦っていた少女。

 神さまコミーさん。利害はすぐに一致して、でもそれ以上に大きかったのは衝撃だ。

「励まされた、というのかな。物怖じしない彼女の姿は、僕たちに大事なことを教えてくれた」

 諦めちゃいけない。きっとなんとかなる。目的ははっきりしているのだから、まず突き進むことが大事なんだ――いつしか彼らは意気投合して、互いの目的を超えたところで同志となって、そしてその結果、いまに至る。

 ちょっと、いやだいぶ、なんか普通にいい話っぽかった。正直こんなのが来るとは思ってなかった。いろいろ反則というかずるいと思う。

 ただ、そのおかげでやっと理解した。そういうことか、道理で「なんか変だな」と思っていたのだ。

 つまるところ。いま、僕らが果たしたのは部の新設というより、どちらかといえば「合併」だったのだ。

 妹尾さんのやりたい創作活動と、そして先輩たちが元々やっていたこと。いや正確には僕らが混ざるより先に先輩たちと神さま、そのふたつの団体が合流していたわけで、それがなにをする部活なのかはさておきまず名称だけをいうなら、

『革命主義的神智卓上遊戯研究同好会』

 という、なんだろう、なんかよくわからないけどとにかく強そうだ。たぶん前半が神さまで、だからそっちはっといてまず後ろ半分。

 先輩たちの部活、旧称『卓上遊戯研究部』。ボードゲームとか、カードゲームとか、あとテーブルトークゲームというのもあるらしくて、そのあたりの詳細コアなところは正直よくわからない。というか、こわい。偏見にせよなんか業の深そうな感じがあって、それは先輩たちの「桐野くんも、もし興味があるなら……」みたいな、なんか「無理にとは言わないけれど」的な遠慮がちな態度が物語っていて、実際彼らと出会わなければ一生興味なんか湧かなかったと思うのだけれど、

「僕、やってみたいです。面白そう」

 という感想に嘘はない。断言できる。神さまに誓ったっていい。この先輩たちがそんなに好きなものが、これだけ目を輝かせて語るその対象が、面白くないなんてことあるわけないのだから。

 とまれ、こうして僕らはひとつになった。

 革命主義的神智卓上遊戯研究同好会と、もともと脱法的存在であったところの文芸部。正式名称、『文芸および革命主義的神智卓上遊戯研究部』。略して『文革部』の終身名誉部長はコミーさんと決まって、「ねえ君たち僕になんの恨みがあるの」というのが顧問の小野寺先生の感想、一体なんのことかわからないのだけれど彼が何を言ってどうなろうと僕らの知ったことじゃない。

 誰も困ることなくすんなり部の設立が決まって、そしてささやかな歓迎会も幕となり。


 帰り道。どこか浮ついた、興奮冷めやらぬままの、ふたりの帰路。


「しんたろう」

 電車を待つ駅のホーム、ふと僕の名前を呼ぶ神さま。

 彼女の恰好、上は妹尾さんのジャージで、下はいつもの短いスカートだ。セーラー服は学校からちょっと行ったところ、スーパーのクリーニング屋さんに出してきたとかで、あるいはそれで思い出したのかもしれない。

「ここの駅前にはスーパーがないのだな」

 急に、そんなことを言う。ホームからでも見渡せる駅前、確かにスーパーはどこにもなくて、代わりにぽつんと交番が見えた。中には泣いている女性警官と、それを怒鳴り散らすおじさん警官の姿。

 どうかしたの、という僕の問いかけ。神さまの言葉はでも、その返事になっているのかどうか微妙なところ。

 ――〝こんなことを言っては、電車に少し申し訳ないのだが〟。

「しんたろう。わたしはこの、電車というものがこう、好きではない」

 ――そりゃそうだろう、だって押し潰されて床から浮いてたんだから。

 なんて。どうやらそんな話じゃなかったみたいで、神さまは「いやそれもあるのだが」と半端な顔をする。曰く、「歌があるだろう。あれだ、きみの教えてくれたやつだ」。唐突に口ずさむそれは、きっと誰でも知ってる電車の歌。

「線路はどこまでも続いているという。どこまでもだぞ。おそろしい話だ。それはつまり、自らどこかで降りない限り、どこまでも遠くに行けてしまうということではないか」

 赤い瞳、じっと見つめる視線の先。ホームの下に真っ直ぐ敷かれた線路は、なるほどどこまでも続いているかのように見えた。

 正直、ピンとこなかった。あんまり恐ろしい気はしない、どちらかといえばたぶん困った話だ。だって子供たちが死体を探しに行くときに困る。どこまでも続いているのだとしたら、いつまで経っても死体に辿り着けない。

 そうなのか、と首をかしげる神さま。そのまま、しばらく考え込む仕草。


 ――なんだろう。

 それはいつもと同じ反応で、


 しばらくの間と、静寂の後。

 実はな、と切り出されたその話は、まるで思ってもみなかったこと。

 ――いや。


「きみの姿を見なくなってしばらく、わたしはこの線路と電車というやつを何度か逆恨みした」


 すっかり、忘れていたこと。

 あるいは、捨ててきたもの。少なくとも中学校の三年間、夏に祖父母の家に泊まることがなくなっていた間は、まったく振り返ることがなかったもの。

 僕には故郷と呼べるものがなくて、それを欲しないわけではなかったけれど。でも反面、僕は他の人よりも自由だった。考えずに済んだ。どこか遠くへ行くときに、何かを捨てるのはいつものことだ。そういうものだ。そういうものだったから、執着する必要はどこにもなかった。僕はどこへでも行けた。自由に、突然、ふらりと消えることができた。

 大切なものの、前からさえ。

「しんたろう。わたしはなんの神さまでもない。人ひとり、どうこうするような力もない。だから、本当にどこまでも行ってしまったのならば、もうわたしの手では届かないからな」

 僕に笑いかける神さまの、その向こうにずっと続く線路が見えた。

 線路の上、遠く、小さくぽつんと見えるのは、これから僕らがふたりで乗る電車。

 これは、家路だ。僕らには帰る先があって、だから降りる駅は決まっている。それは神さまも知っていて、だからもしその先にどこまでも、手の届かないところまで線路が続いたとしても。

 関係、なかった。そのはずだ。少なくとも、いまの神さまと、僕には。


 神さまは続ける。見たくなかった。電車の椅子に腰掛けるきみを、ただ見るのはなんだか辛かった。ふと僕の脳裏をよぎる、いつか見たあのオレンジ色の夕焼け。真っ赤に染まった神さまはでも、苛立ちまぎれにお巡りさんをけなした。ゴミを窓から投げ捨てるような乱暴な真似までして、そのあとはずっと車窓にへばりついて物思いにふけった。大人びて見えた横顔は、ただ顔立ちがそうだからってだけじゃない。

 荒れる心中、じわじわ湧き上がる不安を外へと向けて。

 ちゃんと、ずっと、景色が続いていること。その事実に彼女は、救いを求めた。


 電車が来る。少しずつ速度を落として、車輪の立てる音がうるさい。

 だから、聞こえなかった。きっと聞こえなかったはずなのだ。いつもよりずっと大人びた顔の、でも怯えと心細さを滲ませた彼女の、その薄い唇から発せられた質問。

 彼女が囁く。実は、ずっと気にしていたのだ、と。

 初めて出会ったのはスーパーで、そのそばには確かに駅があった。だから、一目見た瞬間にわかったはずだ。仮に神さまの目が節穴だったとして、でもそれくらいきっとわかるはず。

 フードコート。何をするでもなく、ただ座っているだけの子供。傍らの椅子の上、遠足用のリュックはそれなりの容積で、なのにパンパンに膨れていた。

 神さまが訊く。彼女が、問う。少なくとも中学の三年間、僕がずっと忘れていた、その白くて綺麗な拾い物が――。


 車輪の音。止まりかけた電車。

 聞こえるはずのない声で、僕に尋ねる。


 ――

 

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