えげつないラブ

 瞬殺だった。

 放課後の生徒相談室、目の前に三人の男子生徒。ノルマは達成した。速攻だった。事態を把握できない僕の隣、「どうだ」と得意げに胸を張っていたはずの彼女は、でも悲しいかなどこにも見当たらない。

「シミ抜き、早くしたほうがいいから」

 という理由で妹尾さんとふたり、そのままどこかへ中座したからだ。なるほど正しい、というか本当はお昼休みに僕がそうすべきだったことで、その点は反省するのだけれどでもこの状況はいくらなんでもやめてほしいというか、

「あの、すいません。なんていうか、ええと。その、はじめまして」

 目の前に、まったく初対面の男子が三人。お互い何も知らない状態で僕は、一体なにをどうすればいいのだろう。


 とりあえず椅子を勧めながら、僕は内心で状況を整理する。

 お昼休みのあと。午後の授業に関してはまあ、眠かった以外の感想はない。

 ぎりぎりうたた寝せずに乗り切れたのは、まあ一応隣の妹尾さんのおかげだ。彼女は授業中、よく僕にどうでもいい雑談を振ってくる。とはいえ堂々と私語なんかできるはずもないから、それはくっつけた机と机の真ん中、広げた教科書の余白を使って行われる。

『お昼休み、窓からの転落事故があったって』

 とか、そんなことは別にどうだっていい。なんでも結構な流血沙汰だったとかで、でもたまたま近くにいた女の子のおかげですぐ救急車が来たとかなんとか。確かにサイレンの音は聞いたような気がして、でも正直「よかったね」以上の感想はない。冷たいようだけれど所詮は他人事、このクラスが平和なら僕はそれでいい。

『でも、やっと退院してきたばかりなのに』

 というのも僕には関係なかった。事故に興味はない。火事なら喜んで駆けつけるけど。というか人の教科書に一切のためらいなくもりもり落書きすんのやめてほしくて、なによりどうしてそんな瑣末な事故の話題なんか必死になるのか、

「おいそこー、なにしてるー」

 と、案の定遊んでるのが先生にバレて、びくりと身をすくめる妹尾さん。書きかけの落書き、「びくり」のおかげで歪んだそれは、おそらく「兵」の字か何かだろうか。なるほど兵。なんなんだろう兵。戦か。いくら考えても謎は深まるばかりで、そのおかげかどうにか居眠りせずに済んだ。

 迎えた放課後。戦が起こるとすればここからで、僕は妹尾さんと連れ立って教室を出た。

「大丈夫。こんなこともあろうかと、実は強力な援軍を呼んでおいたから」

 僕からの説明はその程度で、だってややこしすぎるんだからしょうがない。妹尾さんの反応はいつもの通りだ。「きりのくん、すごい」。信用されているやらいないやら、まるで判然としないのだけれどでも悪い気はしない。

 言っちゃなんだけど妹尾さんは地味で、なるほど見るからに「文芸部」って感じの女子で、そしてそういう子のごく稀に見せるこの控えめかつ柔らかい笑顔は、もう他のことを何もかも全部どうでもよくさせてしまうような魔力がある。

 というわけで、どうでもよくなった。僕がすごいという事実以外は。

 自信満々、堂々と足を踏み入れた生徒相談室。瞬間、中から響いたのは神さまの声だ。

「えい、えい、応ー!」

 鬨の声。見覚えのあるヘルメットに、振り上げられるプラカード。神さま。その小さな後ろ姿の向こう、三人の男子が拳を突き上げているのが見えて、

「なにこれ」

 という僕の感想、それに答えるものはでも誰もいない。

「だめ、早くしないと落ちなくなる」

 神さまの制服に残った血痕、それに気づいた妹尾さんが、神さまの手を引いて駆けて行く。結果、その場に残されたのは僕とあと拳を振り上げた三人。なにこれ。僕一体どうしたらいいの――答えが返るどころか問うべき相手すらいなくて、こうなったらもうしようがない。

「よく集まってくれた。此度の戦、すべてはお主らの働きにかかっておる」

 とも言えない。言えないけどでもどう見たってそうで、なにしろ相手は初対面の生徒だ。それも三人、いやこれを本当に三人と数えていいのか、正直初めて見たからなんとも言えないのだけれど、

「えっ、うそ忍者だ」

 というのがまったく初見の感想、でも結果的には僕の勘違いだった。申し訳ない。申し訳ないのだけれどでも悪いのはこの忍者の方だ。こんなの勘違いするに決まっていて、だってどう頑張ってもこんなの分身の術だ。

 上級生。後で知ったところによると二年生。一応言うけど、三人ともだ。

 背は総じて僕よりも低くて、というか総じるも何も全員一緒だ。背丈も、ちょっとふくよかな体つきも、なんか薄味な印象の顔つきからもじゃもじゃの短髪に至るまで、もう何から何まで完全に合同なばかりかなんとあろうことか眼鏡まで同一、もしかして僕はあたまがおかしくなったんだろうかと、そんな疑念はでも自己紹介で軽く吹き飛んだ。

せきです」

さかです」

だいらです」

 なんで名前まで似てるんだふざけるなこの馬鹿、と、そう言うわけにもいかなくてもう「桐野です」とほとんど半泣きで答えて、そして、

「桐野くん」

「桐野くんか」

「桐野くんだね」

 という三つの声、その聞き分けまでつかないからもうだめだった。

 なんだこれ。なんなのこいつら。本当にふざけた馬鹿だったらまだよかったものを、どうにもこの人たちそんな簡単なものじゃないというか、

「うん、いい名前だね、はじめまして桐野くん」

「話は聞いてるから、そう緊張しなくていいからね」

「どうかな、高校での生活は。この時期はまだ色々慣れてなくて大変だよね」

 優しい。ものすごく親切で丁寧で、だってなんか僕のためにわざわざお茶やお菓子まで用意してたくらいで、なんだろう、もう直感的にわかってしまう。

 にこにこと和やかな、人の良い笑顔で僕のことを細やかに気遣う、その態度に嫌味なところが何ひとつない。滲み出る無害さ、柔らかい「よろしく」の一声からはっきりと伝わる善性。彼ら同士の間で交わされる言葉のひとつひとつさえ、もう明らかに僕が締め出されることのないよう配慮されたもので、ともすればうっかり見過ごしてしまいそうなその見えない親切、それが僕の胸に深く深く突き刺さったというか、

「ありがとうございばっ」

 泣いた。泣きながら椅子から崩れ落ちて、そして今度こそ本当にもうだめだと思った。

 だって心配そうに駆け寄ってくる、その姿がもう完全に――きっとこういう事態には慣れていないのだろう、駆け寄りはしたもののどうしていいかわからない、そんな困り果てた表情でただオロオロする、その様子から伝わる「あっこの人たち僕なんかのこと本気で心配してくれてる」感。

 だめだった。ずるい。こんなの卑怯だ。「その、大丈夫、大丈夫だから」「どうか落ち着いて、うん落ち着いて」「ああどうしたら、どうしよう」なんてもう、僕の周りでただあたふたするだけのその振る舞いが、まるで暖かな聖母の祝福みたいに、僕の心の内側へと染み込んでくるのがわかる。

「ずびばぜん……ちが、ちがうんです……僕、うれ、嬉しっ、くて……」

 精一杯だった。それだけ伝えるのが。伝わってくれたかは自信がないのだけれど、でもこの先輩たちだったら大丈夫だと思えた。安心があった。信頼、なんていうのはまだおこがましいけど、でもきっといつかはてらいなく言える、そんな関係を彼らと築けたらと思った。

 落ち着くまでには少し時間がかかって、でも神さまと妹尾さんはまだ戻らない。

 その代わり、と言っていいのか、遅れてここ生徒相談室に姿を現したのは――まあ一応呼んでいた相手だ、当然というかわかっていたことなのだけれど、

「えぇ……なにこれ、どういう状況……」

 小野寺先生。そのとき僕は先輩たちとかなり打ち解けていて、いやまだ緊張の方が大きかったからほとんど「はい」と「ありがとうございます」しか言えていなかったのだけれど、でも先輩たちは本当に優しかった。用意してくれた歓迎のためのお菓子、それを代わる代わる、

「これはどうかな、僕の好きなお菓子なんだ」

「桐野くんは甘いものが好きなんだね」

「気に入ってくれたみたいで嬉しいな」

 みたいに勧めてくれて、でもその美しく尊い光景をしてこの三下教師、

「あのさ桐野君。君、何サーの姫なの」

 みたいに言うのだから失礼な話だ。この男は心が薄汚れていると、現代社会の生んだいびつ怪物モンスターなんだと、そう思ったけれどでも先輩たちの前だ。そういうネガティブな発言はあんまりしたくなくて、だから先生に答えたのは先輩たちだ。

「おや先生、これはまずいところを見られてしまいました」

「相談室を借りるのに、目的がおやつというのは流石にいけませんね」

「となると、僕らは不良生徒ということになりますか」

 ははは、なんて、あんまり悪びれた様子もなく。先輩たちはさすがに先輩で、先生が相手でも気後れするようなところがなかった。

 気がつけば始まっていたこのおやつパーティ、もしかして校則違反なのかと思ったけれどそんなことはなくて、この学校は基本的に飲食が自由だ。なんでも校則はかなりゆるい方だとか、例えば髪型や服装を注意されるみたいなこともなくて、現に髪を染めている生徒だって見かけたことがある。

「いやぁ、まあそりゃね。だいたい制服だって別に、絶対着なきゃいけないものでもないし」

 実質校則なんてないのと一緒だよ、と小野寺先生。なるほど道理で、と今更ながらに得心する。稀にどう見ても違う制服の生徒を見かけることがあったのは、つまりそういうことだったのか。

「例えば、部活動の設立基準も相当ゆるいからね。申請なんか簡単に通るよ、部員を五人集めさえすれば」

 逆に言えば、五人に満たない限りはどうあがいても無理ということ。にも関わらず妹尾さんは相当無茶をしたというか、どうも書類上はすでに文芸部が設立されてしまっているみたいで、そうなるともう校則がどうとかいう話では済まない。学校側から公式に承認される活動費、いわゆる部費が存在する以上はもはや普通に犯罪、

「だから、よかった……本当、本っ当に助かった……!」

 そう膝をついて涙を流すこの新人教師を、これ以上どうして責めることができるだろう。今わかった、彼は妹尾さんの涙に負けたわけじゃない。教員室、何度も突撃しては泣く妹尾さんをどうにかするために、他の先生らが作り上げた「わかってるよなぁお前?」という空気に負けたのだ。

 ――えげつないな……。

 そう思った。大人が。社会が。教員室内で密かに繰り広げられる政治ゲームと、なによりそれを知り尽くした上で完璧に使いこなす隣の席の少女が。

 思わず先生のそばに屈みこんで、そして「嫌な事件でしたね」と優しく背中をさする。

 予想外の言葉だったのか、先生は一瞬驚いたような顔をして、そしてその先はただ大声をあげて泣いた。心の壁の崩れる音を聞いた気がして、だから僕はただ「よかった」と思った。うん、これでいい。僕はいいことをした。彼は顧問で、つまりこれからも付き合いは続く。弱り切ったいまのうち、こうして心に楔を打ち込んでおけば、多少は思った通りに動かせる気がした。

 こうして、無事に文芸部は設立された。

 いや、本当に無事だ。無事すぎてかえって怖いくらいで、でもなんらかのどんでん返しが待ってるなんてこともなかった。早くも揃った五人分の入部届、いや正確にはもう一枚あるのだけれど――ただ五人分、というところに間違いはなくて、だって数える単位が違う。

 五人と、一柱ひとり

 この学校の生徒じゃないから、正式に受理されるものではないのだけれど。

「がんばろうね、かみさま」

 ようやく戻ってきた妹尾さん。そのかたわら、上だけ指定ジャージに着替えた真っ白な少女。張られた胸と、右肩に担いだプラカード。左腕、小脇に抱えたヘルメットと、そして手に握られた一枚の紙。

「まかせろ。なんせ、神さまだからな、わたしは」

 ふふん、と差し出されたそれはでも、どうしてか先生ではなく僕の方へ。そっか手伸ばすとヘルメット落ちちゃうもんね、なんて、どうやらそんな話ではなかったようだ。

「どうだ。しんたろう、これでわたしは、きみに同志を作ってやれたな」

 ただ、得意げにするだけでなく。自信に満ち、なにより本当に嬉しそうな笑顔で。

 こんなのどうしろっていうんだろう、だって込み上げてきたのはとても懐かしい感覚。見ているだけで僕まで嬉しくなってしまって、だから僕から言えるのはただ「ありがとう」だけだ。

 ――それはきっと、僕らの間に交わされた約束。

 神さまと、神さまの連れてきた三人の同志。それと妹尾さんとあと一応小野寺先生と、そして他でもない僕自身。


 この七人。

 この先、放課後を共に分かち合えるのは、なんだか幸せなことのように思えた。

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