鬼の贄のマッキー
気のせいだった。
と、いまもってなおそう言いきることができないのは、たぶん神さまのせいではないと思う。
強いて言うなら僕自身のせいで、そして強いずに言うのならたぶん母さんが悪い。あるいは元父さんというのが正確だろうか、とにかくあの人は昔から転勤ばかりで、そして僕はその度に転校を余儀なくされてきた。
だから僕には、故郷と呼べるような場所がない。
なんて、それをいまさらどうこう言う、そんなつもりはないのだけれど。でも駅からの長い上り坂、僕は神さまにそんな話をした。小さな頃からあちこち転々としてきて、例えば小学一年の夏休み、初めて神さまを拾ったあの田舎もそのうちのひとつ。おじいちゃんの家のあるところ、すなわち母さんの故郷でもあるのだけれど、僕にしてみればそれだっていくつか暮らしてきた中のひとつだ。
そしてそんな根無し草みたいな生活、もううんざりだからみんな死ねばいいのに——と、思いつきで逆上してみたのが確か去年のこと。なんでも言ってみるもので、あるいはあんまり適当言うものじゃないというか、とにかく僕はこの春から、高校進学を機にひとり暮らしを始めた。
僕がいま生活しているのは東北の小都市、いや小都市といってもかなり大きいというか事実として政令指定都市でもあるのだけれど、ともかくその郊外の小さな住宅街。
近所に大学があるだけあっておあつらえ向きの物件が多くて、その中でも特に小さくて古くて汚くて狭くてそして駅から果てしなく遠い、つまりとてつもなく安いアパートがいま現在の僕の住み家だ。
シャトー・ド・ルヴァリエ。最近になって付け替えられたその名前は正直、別にそれほどかっこいいものではないと思うのだけれど、でも単にカタカナってだけでも充分嘘くさい——それほどまでにおんぼろなアパートなものだから、結局みんな昔の名前で呼んでいる。
池田荘、二〇五号室。
二階の角部屋が僕の住居で、当然神さまなんかを上げるようなスペースはない。
というか、狭い。人間の住める空間じゃない。最初に見たときは「無理」とか「いや無理」とかあるいは「絶対に無理」とか、それ以外の感想が出て来なかったくらいで、でも結局そこに住んでいるのは——まあ仕方ない。
僕には他に選択肢がなくて、それは賃料の安さもあるのだけれど、それ以上に大きいのが大家さんの存在だ。
なんでも母さんの知人だとかなんとか。身近に頼れる大人がいる、というのは、僕みたいな人間にとっては願ってもない好条件。といっても実のところあんまり頼れる要素がないし、あと大人というにはいろいろ無理があるというか僕とそう変わらない年齢のように思えるのだけれど、でも入居以来、彼女にはなんだかんだお世話になりっぱなしで——。
そして、それが問題だ。
ここ池田荘の大家さん、いつも僕のことを気にかけてくれる彼女——
「な、なんだ。なんなのだ。なぜこんな人里に鬼がおる」
と、なんか大変失礼なことを呟いて、そして真っ青な顔でガクガクブルブル震えて最終的には泣いた。後に「泣いてない」と神さまは言い張るのだけれど、でもこればっかりはしょうがない。
なにしろ事の次第が次第、そして他でもないこの大家さん、たまきさんのやることなのだから。
駅からの道のり、長い長いなんとか坂を上り終えた僕らが真っ先に向かったのはたまきさんのところで、理由は至って単純なこと。
神さまなんてものを拾ってしまった以上は報告の義務があり、またそうでなくてもいつもの習慣だ。ちゃんと「ただいま」を言うのはいつの間にか出来上がっていた暗黙のルールで、そしてたまきさんの部屋は僕の部屋と違い、広くて住みやすくてとても居心地がいい。
オーナーの特権というやつか、たまきさんの部屋は他のそれとは少し趣が違う。
池田荘の一階、もともとは四部屋だったはずのそこを丸ごとぶち抜いてそのほとんどを(彼女自身の住居部分を除いて)ひと繋がりにして、曰く「その方がおしゃれだから」とのこと——どうも
なんのお店か、それをひとことで言うならたぶん「お店」で、他には表現のしようもない。
というか、知らない。わからない。何度聞いても理解できた試しがなくて、きっとたまきさん自身よくわかっていないんだろうとは思うのだけれど、まあ世の中には知らない方がいいことだってある。
さしあたっては「喫茶店」とでもしておくこととして、ともかく神さまを連れて踏み込んだ店内——そのカウンターの奥にいつもの通り、たまきさんは僕の帰りを迎えてくれた。
「あっ、
と、彼女は優しく微笑もうとしてなぜか唐突にビリビリ感電して、それはどうやら壊れた電子レンジを直そうとしてのこと、機械音痴のくせに下手に分解なんてするからそういう羽目になるのだけれど、でもその程度はいつものことだしどうでもいい。
問題は僕の隣で萎縮、というか完全にすくみ上がってしまった様子の神さまで、でもそれはたまきさんの「イヤァァァーーーーッ!」という絶叫に気圧されてのことでは——ある。明らかにあるのだけれど、でもそれだけだったらたぶん泣くまでは行かなかったはずだ。
ちょっとどう説明していいのかわからないのだけれど、彼女、たまきさんはなんというか、不思議な人だ。
ぱっと見は僕ともそう変わらない年齢、でも年上であることは明らかで、それは雰囲気というか物腰というか——語弊を厭わず言ってしまうのであれば、たまきさんは「大人のお姉さん」という言葉、そのステレオタイプをそのまま体現したような人物だと思う。
ハキハキと明るく快活な性格、そのくせどこか落ち着いた余裕のようなものがあって、そしてそれは見た目にも表れている。束ねた黒髪を肩のあたりに垂らして、いかにも店員さんといった風情の前掛けエプロン、ぱっと見「かっこいい」タイプだけにその柔和な笑顔がとても印象深くて、そのうえちょっとそそっかしいところがあるというかまあ平たく言うならこれが〝ドジっ子〟ってやつか、
「ギャァァァァァァァァーーーーーーーーーッ!」
なんて、学校帰りの僕をビリビリ感電しながら出迎えるのはもう毎日のこと。そういえばこないだはわりと洒落にならない大火傷を負ったりもしていて、「まったくたまきさんはおっちょこちょいだなあ」とか、和やかに笑っている場合では、もちろんない。
「やめてください。さすがに心臓に悪いです」
ていうか白目剥いてましたよ、とお店のブレーカーを落とす僕に、なんか「は……も、もうあかんかと思た……」と息も絶え絶えなたまきさん。確かにもうあかんことこの上ない状況ではあったけれど、でもこの人は一体何回死にかけたら満足するのだろう。
「いやいや慎っちゃん、うちだって別にね、好きで死にかけてるわけじゃないからね」
そりゃそうだろう、好きこのんで死にかけられたって困る。「だよね」と満足げに頷くたまきさん、この立ち直りの早さはまあ美点だと思う。
すっくと起き上がったその姿はいかにもスレンダーというか、いや明らかにそれ以上というか、遠目に見る分には普通の「きれいなお姉さん」そのものだと思うのだけれど、でも若干縮尺がおかしいというか、
「いやいや慎っちゃん、うちだって別にね、好きでこんなに
という、そのたまきさんの言葉の通り。
身の丈八尺、天をも衝かんばかりのその見事な背丈は、やっぱり何度見ても見慣れることがないというかぶっちゃけ怖い。一応一七〇センチはあるはずの僕でさえ見上げるような姿勢になってしまうのだから、僕よりおよそ一〇センチから二〇センチは低い神さま、彼女にとってはきっと尚更のことで、
「し、しんたろう。これはだめだ。いけないものだ。きみは迂闊に近寄ってはいけない」
と、意外にもというか健気にもというか、僕を庇うようにして踏み出された一歩。細い脚がガクガク震えていて、そっか神さまでも怖いものは怖いんだ——なんて、なんとなく親近感のようなものを感じるうちに、神さまの白い喉が「ごくり」と生唾を飲み下すのが見えて、
「し、失礼した。わたしは、その、神さまだ。別段なんの神さまというわけでもないが、しかし貴殿の縄張りを荒らそうだなどというつもりは決して」
自己紹介、なのかと思えばどうやら必死の説得、あるいは命乞いといったほうが正確だろうか。ちなみに後に神さまの語ったところによれば、このとき彼女は鬼というものに初めて出会ったらしく、
「これまでに見てきたのはせいぜい小鬼の類、だがちゃんとした鬼がここまで恐ろしいものとは、さすがのわたしも思っていなかった」
とのこと、なんか消えないトラウマを思い出すかのような語り口はまあいいとして、でもそれは鬼とかじゃなくてただのたまきさんだ。僕がいつもお世話になっている大家さんで、まあ大まかな分類ではおおよそ鬼になるのかもわからないけれど、それにしたってたぶんちゃんとしてないほうの鬼じゃないかって思う。
とまれ、困ったのは僕よりもきっと当のたまきさんの方で、
「えっ。ま、慎っちゃん。なにこれ。なんかえらい振動してるけど」
おっかなびっくりつついたりつまんだり、そしてそのせいで神さまが小声で「ごめんなさい」とか「食べないで」とか言ったり、なんかもういろいろ面倒くさい。とりあえず「なにこれ」という質問への答えとして、
「神さま」
とだけ答えてみた結果、なんか「だよね」と納得したような返事。さっきの立ち直りの早さにくわえて、こういう話の早いところもまたたまきさんの美点だ。
「あのね、レンジがね、アレしちゃったもんで。その、コーヒーくらいしか出せませんが」
とにかくどうぞ、と差し出されたコーヒー、それはたまきさんに曰く「神さまはお客様だから」とのこと。なるほど微妙に惜しいというか逆というか、たぶんこの神さまは文無しなんじゃないかって気がするのだけれど、どうやらそういう問題でもないのか、神さまはじっとコーヒーを見つめて、
「いや、いけない。そういうのはあまりよろしくない。黒いし、湯気も出ておるし、それになにやらよい香りまでする。わたしなんぞには勿体ない」
と、ただでさえ青かった顔をさらに蒼白にする。
意味がわからないけれど、まあ当然の話。聞けば神さまというものにも、なにやら序列のようなものがあるらしく、
「わたしはなんの神さまでもない。だからきっと、
おずおずとそう漏らす神さまに、「そうなの?」となぜか僕に水を向けるたまきさん。そんなの知らない。適当に答える。
「まあいいんじゃない。どうでも。ほら、人類皆平等って言うし」
神さまと鬼を相手にいう言葉でもないけれど——というか、よく考えたら「人類皆兄弟」だった気がするのだけれど。とにかく「そうか」「だよね」と話がまとまって、「えっそんな適当でいいんだ」と思ったのだけれど、でも適当に答えちゃった人間の言えたことでもない。
ともかく、そのひとことで神さまの処遇が決まった。
具体的にはたまきさんが飼うことになった。
「いやいや慎っちゃん。拾ったの慎っちゃんだし、そこは慎っちゃんが責任を持って」
とかなんとか言うわりに、でも勝手に風呂に入れてみたり自分の部屋着を着せてみたり、いまはせっせと神さまの髪を乾かしたりして、まあ悪いことをしているわけじゃないから別に構わないのだけれど、しかしこの人の面倒見のよさは一体なんなんだろう。いや僕も随分お世話になったというか、むしろ現在進行系でお世話になっている最中なのだけれど、しかしその辺りは神さまに曰く、
「しんたろう、油断はいけない。いくら位が高くまた一見親切そうに見えても、しかし鬼はあくまで鬼なのだ」
とのこと。付け加えて言うことには「神さまであるわたしはともかく、きみは人だからな」という話で、どうやら鬼というのは人に仇なす存在らしい。
「いざという時はわたしが盾になる。わたしに構わず、きみだけでも逃げるのだ」
約束だぞ、と凛々しい顔で。そう僕に耳打ちしたのが確か夕飯の直前くらいで、そして結論から言えばそれが最後だった。いまやすっかりおとなしいというか、「はいできあがりー」と髪を乾かし終えたたまきさんの、
「でもいいなあ。きみ、髪の毛すっごいきれいだね。きらきらしてる」
と、長い銀髪の先端をひとつまみ、蛍光灯の明かりにすかして眺めるその横顔を、無言のままただじっと見つめるその眼差し。まるで何かを思いつめたように潤んでいるばかりか、心なしかその頬が桜色に染まっているのがわかって、こういうのをきっと、
「すごい。なんかもう完全に女の顔してる」
と、思わず漏れ出たその言葉に、「うん? どしたの慎っちゃん」とたまきさん。髪の毛をつまんだ姿勢はそのままに、いつもの陽気な顔だけがくりんとこちらを向いて、そしてその一連の仕草さえただぽやーっと見上げるばかりの神さま。なんだろう、背景に「トゥクン……」って文字が浮かんで見えるというか、たまきさんも僕のことはいいから目の前のトゥクンに気づいてあげるべきだと思う。
「やっぱりこれ、責任とるのは僕じゃないような」
その最終的な結論に、でもたまきさんは案の定「そうなの?」と返して、まったく鈍感さというのは本当に罪だ。とりあえず「だって管理人さんですし」とか「あと大人ですし」とか適当並べて、そしてその結果、
「だよね」
と話がまとまった。返事がひとつ足りないのは仕方がない、そっちは相変わらずトゥクンしたままだ。たぶん今夜一晩はずっとこの調子だと思う。可哀想だけれどまあ致し方なし、というか、実をいえば少し困っていたところだったのだ。
いくらなんでも僕の部屋に泊めるというのは、さすがに気がひけるというか倫理的にどうなのというかもう単純に狭い。場所がない。物理的にどうにもならない以上はもう宙吊りにでもするより他になく、それを「まあビジュアル的にはある意味御神体っぽいし」みたいな、さすがにそこまで罰当たりな真似もできない。
――よかった。たまきさんのおかげでどうにかなったというか、なるほど世の中捨てたものじゃない。
「まあ細かいことについては
それじゃおやすみなさい、と就寝の挨拶を告げて、そのまま一階の店舗を後にする。ちなみにこのお店、閉店後はそのまま住人のためのリビングダイニングになって、いや別にそういう決まりがあるわけじゃないらしいのだけれどでもなんかいつの間にか流れでそうなっていたとかで、事実いまたまきさんが神さまで遊んでいたのも、店内隅っこにあるお座敷コーナーでのことだ。僕はテーブルで宿題なんかをやっていることが多くて、だって自室では物理的に不可能なのだからしようがない。
帰り着いた自室。二階の一番奥、角部屋の二〇五号室。
相変わらず狭くて暗くて心なしか変な匂いまでするその部屋の中央、僕は布団に潜り込んで瞼を閉じる。昔から寝付きは良い方で、というか布団に入った瞬間もう朝になってるとかザラで、でも今日ばかりはさすがにそう簡単にはいかないというか、どうにも浮ついた感じがするのが自分でもわかる。
なんだろう――いや、神さまのせいだ、っていうのはわかっているのだけれど。
変なもの拾うんじゃなかった、と、率直な感想をいうならきっとそうなる。ただ僕は神さまのことが決して嫌いじゃなくて、それは「綺麗だから」というのもあるけどでもそれを除いてもそうで、ただなによりも嬉しい感じがしたのは、彼女が何も変わっていなかったところだ。
懐かしい旧友にたまたま出くわしたみたいな、そんな予期せぬ小さな幸運のような何か。
もっとも、神さまにばかりかまけている場合でもないのだけれど。
当然だ。僕だって新生活を始めたばかりの身の上、まだ慣れないことやわからないことが山ほどある。ただ引越しや環境の変化にはもともと慣れているのもあってか、おそらく人よりは気楽に過ごせている方だとは思うけれど。
高校での生活は、正直、楽しい。いや楽しいとか楽しくないとか言うにはまだ早すぎる時期ではあるのだけれど、でも今の時点でもう十分すぎるくらい楽しいのだから仕方がない。授業の内容も、休み時間のおふざけも、放課後の行動範囲だってもう中学生のそれではなくて、ちょっとおこがましくはあるのだけれど――一歩か二歩くらいはきっと大人になった、そんな実感が確かにある。
ここ池田荘での暮らしも楽しくて、たまきさんだって親切で、正直もう何も言うことはない。すごい。楽しい。満ち足りるというのはこういうことかと、そう言うとなんか達観した老人みたいだけれどそうではなくて、どちらかといえば僕は舞い上がっていた。新生活のおかげかもう完全にハイで、目に映るものすべてがきらきら輝いて見えて、そういえば昔から引っ越しのたびにこんな風になっていたような気がするのだけれど、まあとにかく僕は、甘かった。
若かった。というか、馬鹿だった。多少、一歩か二歩程度大人になったくらいで、何もかもが全部変わったってわけでもないのに。
思い知る。いくら年月を経たところで結局、僕は僕でしかないのだ、ということ。
変わっていないのは彼女だけじゃなくて、むしろどちらかといえば僕の方だ。あの頃、何も知らないままになんかノリだけで神さまを拾った、六歳の自分とまったく同じ。でなければどうしていま再び、同じ拾い物をするっていうんだろう。
かつて何度も拾ってそしてその度に捨てた、もう忘れたはずの僕の思い出。それが一体どういうものかはともかく、でもちゃんと冷静に考えてさえいれば、きっとわかったはずなのだ。
翌日以降。当然の帰結というか案の定というか、僕はそれを理解することになる。
神さま、というもの。
それは
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