第11話 告白

 翌朝、何やら外が騒がしくて私は目を覚ました。寝ぼけ眼で窓の外を見やると、家の前はマスコミや一般人でごった返していた。

 ベッドの上段に寝ていたヨーコが不機嫌そうに上半身を起こし、

「ふあああっ。なんなのよ。早朝から騒がしいわね」

「大変よ。外に多くのマスコミが来ていて、人だかりができてるの。これじゃ神社に行けないわ」

「仕方ないわね。アタシに任せなさい。いい考えがあるから」

 ため息交じりに言ってヨーコは下段をのぞき込み、横たわるイタチマナちゃんを睨みつける。殺気を感じたのか、飛び起きて怯えるイタチマナちゃん

 私はヨーコの指示に従い、ワタルが運転する車で外出した。報道関係と思われるバイクがついてきたけど、途中で公衆トイレに寄っただけで帰宅する。しばらくすると外の様子が慌ただしくなり、誰もいなくなった。

 私はカバンに隠したイタチマナちゃんを公衆トイレに置いてきたのよね。人間の姿でマナちゃんが、場所を特定できる画像付きツイートをスマホから投稿して、自らおとりとなったのである。彼女は次々と場所を移動して、今日一日マスコミなどを誘き出す。

 ヨーコの目論見どおりにことが進み、私たちはハクの神社へと向かった。

 ワタルが運転する車に揺られて、ぼんやりと外の風景を眺めながら私は昨夜の夢を思い出していた。

 カケルと出会う前は幾度となく見ていた、両親が殺されたときの夢である。

「ふあ~っ」

 悪夢にうなされ夜中に目が覚めてしまい、寝不足なのよね。



 四ヶ月前、私と両親は猟犬に追われていた。

 もし敵がハンターだけなら、変化へんげでやり過ごすこともできたんだけど、犬には通用しない。

 山中の道なき道を疾走する両親に、私は遅れぬよう必死についていく。

 やがてパパとママは、お互いの顔を見合わせて頷くと、減速して私と並走した。

「近くまで犬が迫っている。このままだと、じきに追いつかれ三匹ともみんな殺されてしまう。パパたちがおとりになって犬を引き付けるから、その間に琳は岩穴まで逃げなさい」

「私だけ逃げるなんて嫌よ。パパとママにもしもの事があったら──」

「琳が十分に逃れたら、パパたちは鳥に化けて逃げるから心配ない。さすがに空までは、犬も追いかけてはこられないからな。飛ぶ方が速いから、先に岩穴へ行き待っているよ。何も考えず、ひたすら岩穴目指して走り続けるんだ。いいね」

 微塵も不安を感じさせないパパの言動に、私の憂いは完全に払拭され、

「うん。わかった」

 と元気に返事した。

 しばらく目を細めて私を見つめていた両親は、徐々に速度を緩めて立ち止まる。

 急いで遠くへ離れないと、パパとママが逃げられない。

 私はその場から脱兎のごとく走り去った。


 岩穴の入り口は、大人の狸がちょうど入れるくらいの大きさで、犬とかに追いかけられたとき逃げ込む場所だ。

 十分ほど死にもの狂いで山野を馳せ、なんとか岩穴に辿り着いた。

「パパ、ママ!」と叫びながら穴に飛び込むも、返事はなかった。

 聞こえるのは、私の激しい息づかいだけ。

 どうやら私の方が早く着いたみたいね。

 力を出し切った私は、崩れるように倒れ伏す。

 薄暗い穴の中は広く、奥深く続いている。

 奥の暗闇に目をやると、以前パパに言われたことが頭をよぎった。


『もし、琳が一匹で岩穴ここに避難したときは、穴の奥で身を潜めているんだよ』


 パパの指示に従い、私は初めて穴の奥へ足を踏み入れる。

 最奥まで行くと、何やら封筒らしきものがあった。

 暗くてよく見えないので、それをくわえて出入り口まで戻り地面に置く。

 そこにはパパの字で、『琳へ』と書かれていた。

 封は開いているけど、狸のままでは中身を確認しづらい。

 再び封筒を銜えた私は、おずおずと穴の外へ出て人間の姿になり、中身を取り出して目を通す。

 それは両親が私に宛てた、二枚の手紙だった。


『琳を身ごもったときは天候不順でエサがとても少なかったの。四匹の子を宿していたママは、やむを得ずパパと一緒に人里へ降りて農作物に手を出した。きっと他の動物たちも同じだったのだと思う。被害に悩まされた農家がハンターを雇ってたらしく、ママとパパは待ち伏せていた彼らに見つかってしまい、猟犬に追われて命からがら山へ逃げ帰った。ママは栄養失調に加え猟犬に追われたため無理がたたったのかもしれない。最初の三匹は死産だった。深い悲しみで絶望の淵に突き落とされたわ。でも最後に生まれた琳は、今にも絶えそうな息遣いだけど精一杯生きようとしていた。どんなことがあっても、この子だけは無事に育て上げると固く誓い、ママとパパは琳を懸命に舐め続けた。その思いが通じたのか、峠を越えた琳は快方に向かい、そして健やかに育ってくれたわね。本当に嬉しかったわ』


 一枚目はママの筆跡で私が生まれたときのことが綴られていた。


『琳はパパとママにたくさんの幸せを与えてくれたね。生きて生まれてきてくれて本当にありがとう。パパとママの娘になってくれたことに心から感謝しているよ』


 二枚目はパパの筆跡だった。

 どんなに両親が私を愛しているのか身に染みてわかり、熱いものが込み上げてくる。


『残念だけど、琳がこれを読んでいるということは、もうパパとママはこの世にはいないはずだ』


 ──な、何を言っているの!? パパ。

 すぐには文章の意味を理解できなかった。

 ううん、理解したくなかったのだろう。

 その部分を何度も読み返してみたけど、両親が死んでいるとしか読み取れない。

 そんな……。

 全身から血の気が引くのを感じ昏倒しそうになるも、私は震える手でその続きを読んだ。


『独りぼっちにして済まない。だけど、琳には変化へんげの術や生きていくすべなどを教えてあるから、パパたちがいなくても大丈夫だと信じているよ。最後に、パパとママから最愛の娘へお願いだ。どんなことがあっても生き抜いて、文福の血筋を絶やさないで欲しい。精一杯生きて、幸せになるんだよ。パパとママは、いつも琳を見守っているからね』


 信じたくない。パパとママが、もうこの世にいないなんて──


 とめどもなく涙を流しながら手紙を封筒にしまうと、私は狸の姿になり穴へ戻った。

 そして、ひたすら両親の無事を祈り待ち続けた。


 だけど三日経ってもパパとママは姿を現さなかった。

 私は徐々に冷静さを取り戻し、両親と別れたときのことを思い出していた。

 鳥に化けて逃げるから大丈夫とパパは言ったわ。

 パパが嘘をつくとは思えないけど、私は両親が鳥に化けたのを見たことがない。

 たとえ鳥になることができたとしても、どこでハンターが見ているかわからない状況で、化けられなかったのかもしれない。だって妖怪の存在は、決して人間に知られてはならないことだもの。

 いずれにしても途中に幾つか避難場所があるにも関わらず、わざわざ遠い岩穴へ行くように指示したのは、パパとママが死を覚悟していたからに違いない。だって、ここには両親の遺書とも言える手紙があるのだから。

 受け入れがたいけど、私は両親の死を認めざるを得なかった。

 パパとママは、命にかえて私を守ってくれたのだ。

 とても悲しくて辛いのに、もう涙は枯れ果てて流れることはなかった。



 昨夜の夢は、さらに酷いものだった。

 殺された両親のもとへ駆け寄ると、待ち伏せていたハンターが、私に向けて銃を発砲した。

 そのとき身を挺して私を守ろうとしたカケルが、撃たれて死んでしまう夢だ。


 もう、私のために大切な人を失いたくない──


 白蛇山の途中まで行くと道が狭くなり、私たちは車を降りて歩いた。

 まだ車で行けそうだけど、この先にUターンできる場所があるかわからない。

 車は一旦家に引き返して、私たちが帰るときに迎えに来てもらうことになった。

 そこからの一本道を、歩いて四、五十分のところに神社はあるらしい。

 みんなハイキング気分だけど、私はカケルを避けるように一人先頭を歩いた。

 彼のことが好きだと気づいてから、いくら平静を装っていても意識してぎこちなくなってしまう。

「琳ちゃん、そんなに張り切るとバテちゃうよ。みんなと楽しく話しながら行こうよ」

「気にしなくていいのよ、カケル。ぽっちゃ琳は、少し痩せた方がいいんだから」

 ヨーコなりに私を気遣ってくれたのだろう。たぶん……。

 七十代後半の老夫婦ぐうじふさいには、この山道はきついわね。ほんとに痩せそうだもの。

 歩き出して二十分ほど経ったころだろうか。

 突然、前方から野犬の群れが現れ、けたたましく吠えながら突進してきた。

 私は慌てて逃げようとするも、足が竦んで動けない。

「琳ちゃん、逃げて!」

 後方のカケルが叫びながら駆け上がってくる。

 どうしよう。このままだとカケルの前で狸に戻っちゃう。

 もう彼と一緒にいられなくなる。

 そんなの嫌よ、絶対にバレたくない。

 必死にこらえるも犬に飛び掛かられ、私は狸に戻ってしまった。

 同時にカケルが私の前へ飛び出し犬に体当たり。

 そして、「向こうへ行け!」と叫びながら、ボディバッグを大きく振り回し犬をけん制する。

「琳ちゃん。今のうちに安全な場所へ逃げて」

 助かった。どうやら間一髪カケルに見られずに済んだみたい。

 急いで人間の姿に化けようとしたときだった。

「琳ちゃん、早く!」

 カケルが振り向き、私を見て目をぱちくりさせる。

 とっさにヨーコが私とカケルの間に立ち、

「よそ見をしない。犬に襲われるわよ!」

 と、カケルの頭を掴んで強引にグイッと前に向けた。

 今にも飛び掛からんばかりに吠えたてていた犬たちが、急に怯えだしキャンキャン叫びながら一目散に逃げ出す。

 どうやら九尾の狐ヨーコに恐れをなしたらしい。

 彼女は振り向き小声で、「早くしなさい」と、人間の姿になるように促した。

「ヨーコちゃん、もう大丈夫だから手を放してくれない? それと、さっき琳ちゃんなんだけど……ヨーコちゃん!?」

 必死に振り向こうとするカケルだが、そうはさせまいと彼の頭をがっちりと掴み抗うヨーコ。

 なんとか私は人間に化けると、急いで服を着て身なりを整えた。

 それを確認したヨーコが手を放すとカケルは振り返り、じっと私を見ながら首を傾げる。

「さっき、琳ちゃんが狸みたいな動物に見えたんだけど……」

「そんなことあるわけないでしょ。それより左腕怪我してるじゃない。見せなさい」

 ヨーコはわざとぞんざいにカケルの左腕を掴んで話を逸らす。

「痛っ……犬に飛びかかったときに噛まれたんだよ」

 たまらずカケルは顔をゆがめた。

「狂犬病になったら大変、引き返すわよ」

「僕は大丈夫だよ。それにせっかくここまで来たんだし──」

 カケルの言う通りにして、みんなと一緒に行けば、こんなことにはならなかった。

 私が一人で先に行ったから──

「ごめんなさい。ごめんなさい、カケル。私のせいで……」

「琳ちゃんのせいじゃないよ。それに、これくらい大したことないから」

 心配かけまいと無理に微笑むカケル。

「お願いだから引き返そう。ね、カケル」

 私は目を潤ませて哀願した。

「……うん。わかったよ。じゃあ、お父さんに連絡して迎えに来てもらうね」

 カケルがスマホを取り出し操作していると、三十歳くらいの男性が道を降りてきた。ガタイのいい大男である。

「君たち、こんなところで何をしているんだい?」

「野犬に襲われて怪我したんです。電話してお父さんに迎えにきてもらおうと思って」

「それは大変だったね。この辺は野犬が多いから気をつけないと。どれ、私に見せてごらん」

 カケルの傷を見た大男は顔色を変え、

「これは早く手当てした方がいい。野犬はどんな病気を持っているかわからないからね。私はこの山を管理している者なんだけど、近くに小屋があるから、そこで応急処置をしよう。車もあるから近くの病院まで送って行くよ。小屋まで歩けるかい?」

「はい。ありがとうございます」

「気にしなくていいよ。これも私の仕事だからね」

 いかにも人の良さそうな笑みを浮かべる大男。

 彼の後についていくと、すぐに平屋建ての建物が見えてきた。

「ここだよ。さあ、みんなも入って椅子に腰かけて休んで」

 大男がドアを開け、中に入るように促す。室内には木製の丸いテーブルとその周りに丸太の椅子がある。奥にドアが二つあり、片方はトイレで、もう片方には関係者以外立入禁止とある。私たちが席に着くと立入禁止のドアが開いて、五十歳くらいの男性が出てきた。白髪まじりのボサボサ頭で、青白く痩せた顔に度の強い黒縁メガネをかけている。そのあとから、二十代くらいの男性が三名出てきた。ごくごく普通の青年である。

「お邪魔してま……」

 そこまで言いかけて、男たちの手に拳銃があるのに気づき、私は思わず立ち上がった。

「動くなっ! 化け物」

 大男が叫んで、私に拳銃を向ける。

「そいつか。化け物は」

 最年長の男が大男に尋ねた。

「そうなんですよ、開祖。人が近づかぬように放してあった猟犬が騒いだので様子を見に外へ出たら、この小娘が狸になったのを目撃したんです。そのあと、また人間の姿になったんだけど、間違いないですよ」

 見られていた!! どうしよう。

 目を見張るカケルと視線が合い、私は全身から血の気が引くのを感じた。

「死にたくなかったら三つ数えるまでに狸になれ。三……」

 威圧的に言って大男がゆっくりとカウントする。

 私のことをかけがえのない存在だと言ってくれたのに、狸だと知ったらカケルは──

「二……」

 絶対に狸の姿を見られたくない。

 私はぎゅっと目を閉じて両手で顔を覆い、恐怖で狸に戻りそうなのを必死にこらえる。

「一……」

「やめろ!」

 カケルが叫び、銃口の前に身を挺した。

「そんじゃ仕方ない。まずは坊主の方から殺す」

 昨夜の夢がフラッシュバックし、「やめて!」と叫ぶやいなや、私は狸の姿に戻っていた。

「ひっ、ひっ、ひっ。ほら言った通りでしょ」

 大男が自慢げに言うと、開祖と呼ばれる男が「ふむ」と頷く。

 振り向いたカケルは、私を見て言葉を失い瞠目した。

 胸が張り裂けそうな悲しみで、私は涙を抑えることができない。

「こいつは狸の妖怪なんですかね。それとも他の妖怪が狸や人間に化けているんですか?」

 大男が開祖に尋ねた。

「狸だろう。ワシの長年の研究で狸は何かに化けても、犬に吠えられたりすれば元の姿に戻ってしまうらしいからな。となると他のガキどもは狸じゃないのか? だが、坊主以外は狸に驚いてないところを見ると、狸だと知っていたか……それとも他の妖怪か?」

 開祖は顎に手を当てながら、ヨーコたちをじっと観察する。

「アンタたちだって、驚かなかったじゃない」

 冷静にヨーコが、開祖にツッコんだ。

「すでにワシは古の妖怪を蘇らせている。妖怪が存在することを実証したのだ。今さら驚きはせんよ」

「それで酒呑童子と九尾の狐が、この地に蘇ったってわけね。ついてきて正解だったわ」

「貴様、どうしてそれを!?」

「つれないわね。もうアタシのこと忘れちゃったの? よくアタシの顔を見て思い出してちょうだい」

 男たちが一斉にヨーコの顔を覗き込む。

「ふん。そんなおかしな顔、見覚えない……」

 開祖が言い終える前にヨーコが目を光らせたので、男たちは妖術にかかって放心状態となる。

「──でしょうね。人間の姿は見せてないんだから」

 そう付け加えたヨーコは、続いて開祖に尋問を行い、情報を引き出した。

 彼は子どものころに妖怪を目撃したらしい。だけど誰にも信じてもらえず、嘘つき呼ばわりされイジメられていた。それ以来、妖怪の存在を証明して見返してやろうと、妖怪研究に人生を捧げてきたらしい。なかなか成果を出せずにいた開祖は、古の妖怪を蘇らせて存在を証明しようとした。しかし誰にも理解されず学会を除名されてしまう。復讐を誓った開祖は、日本三大悪妖怪を蘇らせて人々を襲わせようと、妖怪を崇拝するカルト集団をつくった。現在の構成員は、ここにいる五名のみらしい。

 ヨーコが殺気の帯びた目を光らせると、見る見るうちに男たちは血の気を失い、絶叫しながら怯えだす。

 そして地面をのたうち回り、口から泡を吹いて気絶した。

「どうなったの!?」

 私が尋ねると、ヨーコは悪魔のような笑みを浮かべ、

「幻覚で恐怖を見せてやったの。アタシを虚仮にしたから物凄~く恐ろしいやつをね。しばらくは意識を戻さないはずよ」

「だったら、なんで最初からやってくれないのよ。カケルに狸だってバレちゃったじゃない!」

「はぁ!? 自分の身も守れないくせに文句を言うんじゃないわよ。それにカケルの記憶を消せば済むことでしょ」

 そっか。ヨーコは私たちを守るために動けなかったのね。下手に動けば発砲され、犠牲者が出る危険性があった。それなのに私は……。

「ヨーコ、ごめん──」

「ちょっ、ちょっと、ヨーコちゃん……これは一体……何がどうなっているの!? 説明して欲しいんだけど……」

 カケルはかなり動転してるようで、絞り出すような声で話に割り込んできた。

「見ての通りよ。琳は狸の妖怪なの。ちなみにアタシは九尾の狐、ノブはカケルの飼い猫ノブナガ、ハクは白蛇が人間に化けているの」

 さらに驚いた様子でカケルはメンバーを見回した。

 だがすぐにカケルは私たちが妖怪である事実を受け入れたようである。いや、受け入れざるを得ないと言うべきなのかもしれない。だって狸の私が人間の言葉を喋っているのを、彼は目の当たりにしているのだから。

「さっき、僕の記憶を消すと言ってたけど……」

「アタシは妖術で人間の心を操れるの。消すと言っても本当に消すわけじゃなくて、妖怪の記憶を思い出さないように封印するだけ。だから心配ないわよ」

「どうしても記憶を消さないとダメ? 決して誰にも喋らないから」

「カケルを信じないわけじゃない。でも本人の意思に関係なく情報を引き出すことは可能なの。もし妖怪の存在が人間に知られたら大変なことになるわ」

「どうなるの?」

「妖力の悪用をもくろむ人間によって、多くの動物や妖怪が実験の犠牲になるわね。そうなるのを恐れた妖怪たちが、秘密を知った人間を消そうとするでしょう。カケルの命も狙われるかもしれないわ」

「そうなんだ……残念だけど仕方ないか。まだ死にたくないし、みんなが実験の犠牲になるのだけは、絶対に避けなくちゃならないもの」

「じゃあ記憶を消すから座ってちょうだい」

 椅子に腰を下ろしたカケルに、ヨーコが歩み寄る。

「ちょっと、待つにゃ!」

 そう叫び素早い動きでテーブルを飛び越えたノブは、カケルに抱きついた。

「今しかボクの想いを伝えられないから、ご主人さまに聞いて欲しいにゃ」

「ノブ……ナガ……?」

 カケルが確かめるように口にすると、ノブは彼を見つめながら頷いた。

「ボクは四姉妹の三女として生を享けたんだにゃ。ママの愛情に包まれて幸せだったにゃ。けど二週間ほどしてボクたちはママから引き離され、ひと気のない場所に捨てられたにゃ。雪が舞う真冬、訳もわからず恐ろしくて、ボクたちはダンボールの中からひたすら泣き叫んだにゃ。ママ、どこにゃ。お腹すいたにゃ。寒いにゃ。でも誰も助けにきてくれなかったにゃ。みんなで身を寄せ合うも、厳しい寒さに耐え切れず姉妹は次々と息絶えたにゃ。それから数日、ようやく人間の子どもたちが気づいてくれたにゃ。ボクは最後の力を振り絞り必死に叫んだけど、彼らは『うわ、汚ねぇ』と言って去っていったにゃ。姉妹の亡骸に囲まれたボクは、濡れてやせ細り排泄物で汚れていたにゃ。観念して目を閉じると、やがてお迎えがきたにゃ。体がふわふわと浮いて温かくなり、姉妹のもとにいくのだと悟ったにゃ。薄く目を開けると神様がボクを懐に入れて天国に向かってるのが朧げに見えたにゃ。だけど辿り着いた先は天国ではなく、動物病院だったにゃ。神様だと思っていたのはご主人さまで、汚れたボクを懐に入れて動物病院に駆け込んでくれたんだにゃ」

 カケルらしいと思った。だって、私のことも命懸けで助けてくれたんだもの。

「衰弱しきったボクを診て獣医は手遅れだと匙を投げるも、ご主人さまは諦めなかったにゃ。ボクを家に連れて帰り三日三晩ほとんど眠らずに看護してくれたにゃ。けどその甲斐もなくボクは命果てたにゃ。するとご主人さまは何も悪くないのに、ごめんよと何度も謝り大粒の涙をながしてくれたにゃ。ああ、この優しい少年を、これ以上悲しませたくない。死んではならない──そう強く念じたボクは、化け猫となり息を吹き返したにゃ。それから数えきれないほどの愛情を注いでくれてボクはとても幸せにゃ。心から感謝しているにゃ。だから大好きなご主人さまに恩返しをしたいけど、何をして欲しいにゃ?」

「恩返しなんて必要ない。ノブナガは、もう大切な家族なんだから。ノブナガが幸せならそれで充分だよ」

「ご主人さにゃ……ボクを家族にしてくれてありがとうにゃ。大好きにゃ」

 涙ぐみながらノブは情愛たっぷりにカケルの頬を舐めた。

 カケルも愛おしそうにノブを抱きしめる。

 彼女のピュアな思いに心を打たれ、やきもちを焼いた自分が恥ずかしくなった。そして私も素直に胸中を打ち明け謝りたいという衝動に駆られた。

「カケル、私も聞いて欲しいことがあるの。人間の姿になるから目をつぶってくれる」

 カケルが目を閉じたので、私は人間に化けると服を着て身なりを整えた。

「もう目を開けていいわよ」

 ゆっくりと目を開け、私に微笑むカケル。

 私は大きく息を吐いて心を落ち着けると、

「今私が生きていられるのは、カケルが何度も命を救ってくれたおかげよ。本当にありがとう。カケルには感謝しても感謝しきれないわ。それにも拘らずノブにやきもち焼いてカケルに心配かけちゃったわね。本当にごめんなさい」

「やきもち? どうして?」

 本心からわからないといった表情で、カケルは首を傾げた。

 もう、鈍感なんだから。女心を察してよね。

「私、カケルが……」

 初めての告白に顔が上気して耳まで熱くなってきた。胸のドキドキが加速して気後れする。だけど怖気づいてはいられない。私の恋心を伝えられるのは、今しかないんだもの。


「カケルのことが、好きだから──」

「…………………………………………………………」


 意を決して告白したのに、カケルの反応は意外なものだった。

 何を言っているの? と言わんばかりに不可解な面持ちをしている。

 あああああああああああああああああああっ。

 私って本当にバカ、バカ、バカ。大バカ者よ。

 自分の立場もわきまえず告白するなんて軽率すぎたわ。

 いくら人間の格好をしてるとはいえ、さっきまで狸の姿を晒していたのよ。

 人間にとって滑稽なイメージの狸に告られたのだもの、ドン引きされて当然だわ。

 早くカケルの記憶を消してとばかりに縋るような目でヨーコを見やると、彼女は意地悪げな笑みを浮かべていた。

 ひええええええええええええええええええぇ。

 完全に晒し者だわ。

 もう誰でもいいから、ここにいるみんなの記憶を消してえええええぇ~っ!

「あ、あの、琳ちゃん……」

 取り乱す私にカケルは困ったように声をかけた。

「ごめんなさい。私、化け狸なのに迷惑よね」

「ち、違うんだ。言葉の意味が理解できなかったというか、琳ちゃんは女の子にしか興味がないと思ってたから」

 あうっ。やはり、まだ誤解は解けてなかったのね。

 私はぶんぶんと首を振って強く否定する。

「そうなんだ。ありがとう。正直とても嬉しいよ。だって琳ちゃんは、かけがえのない存在に変わりないもの」

 狸だとわかっても、かけがえのない存在だと言ってくれた。

 頬をかきながら照れ笑いするカケルを見て、私は感極まり涙が溢れ出す。

「カケル──」

「にゃああああああっ! ヨーコ、とっととご主人さまの記憶を消すにゃ!」

 私とカケルの間に割って入ったノブが叫んだ。

「そうね。カケルがアタシ以外の女の子に興味を示すのは許せないもの」

「ご、誤解だよ。僕はヨーコちゃん一筋だからね」

 慌てて取り繕うカケル。

「どうかしら。じゃあ記憶を消すから私の目を見てちょうだい」

「その前に一つだけ教えて、ヨーコちゃん。怒らないでね。もしかしてだけど……初めて出会ったとき、僕に妖術をかけたの?」

 真剣な眼差しで問うカケルに、ヨーコは一瞬目を見張り悲しげな表情を浮かべた。

 一呼吸おいて再びカケルの目を見据えたヨーコは、瞳を柔らかく光らせる。

「妖術でアタシを好きになるようにしたの。カケルの人生を狂わせてしまったわね。ごめんなさい」

 もし妖術をかけられていなかったら、カケルはクラスメートから陰口を叩かれたり、避けられたりすることはなかっただろう。

 優しい彼の性格なら、誰からも好かれていたに違いないもの。

「そんなことないよ。だって妖術を使わなくても……きっとヨーコちゃんのことを好きになっていたもの……それに、プリ☆アニのみんなに……出会えてよかった……ありが……とう…………」

 意識が遠のきふらつくカケルの上半身を、ヨーコは愛おしそうに抱きとめる。

 まるで愛し合う者同士が抱擁するように、幸せそうな表情を浮かべる二人。

 感極まったのかヨーコはカケルを力強く抱きしめると、愛情にみちた眼差しで大粒の涙を零した。

 もしかしてヨーコもカケルのことを!?

 しばらく声をかけられずにいると、動揺を隠せない私に気づいたヨーコが、茶目っ気たっぷりに舌を出す。

 えっ!? 私を揶揄っているの? それとも──

「それじゃ、後始末をするわよ」

 内心穏やかでない私をよそに、ヨーコはあっけらかんと言った。


 彼女の指示に従い、私たちはカケルを建物の外に運び出す。そして彼を目覚めさせると、野犬に襲われたと警察に通報させた。すると二十分ほどでパトカーと救急車がやってきて、カケルは病院に搬送された。警官が野犬を捜して扉が半分開いた小屋に入り、カルト集団の男たちが倒れているのを発見、拳銃を所持していたので全員御用となった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ぽんぽこ☆りん 千耀 @ponpoco-rin

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ