第10話 恋心

 解散マッチを終え『秩山総合文化会館』から帰宅した私たちはリビングに向かった。アユミさんが祝勝会を開いてくれるのよね。

 準備が整うまで私はイタチマナちゃんを抱きしめながらソファーに腰かけて待つことにした。

 ちなみにヨーコが心を操っているので織田家の三人は、イタチマナちゃんを私の、白蛇ハクをヨーコのペットとして認識している。二匹は黒猫ノブナガと同じ扱いなので、家の中を白蛇ハクがうろちょろしていても誰も驚かない。

 ダイニングテーブルで酒を呑み始めたワタルがテレビをつけると、マナちゃんがプリ☆アニに移籍したとニュース番組で大々的に報じていた。

 マナちゃんが泣いている映像が流れたので、ヒュープロのウェブサイトは炎上し、抗議の電話が殺到したらしい。

 ヒュープロの株価暴落は必至で事務所の存続が危ぶまれるとも報じている。

 なんか大変なことになってるみたいだけど、天使を抱きしめ至福のひと時を過ごす私は、それを他人事のように聞き流す。

「マナちゃんは家に帰ったんだよね」

 カケルが心配げに聞いてきたので、

「う、うん。さっき無事に帰宅したってメールがきたわよ」

 と私は彼を安心させる。嘘も方便よね。

 やがて何度も取材の電話がかかってくるわ、カケルの家を突き止めた報道関係者が大挙して押しかけてくるわで、大騒ぎになった。

 マナちゃんのことは一切わからないと、頑とした姿勢でワタルが取材拒否をしたので、とりあえず報道関係者は引き揚げて騒ぎは収まったようだけど、どこで見張られているかわからないから外出もままならない。


 翌日、プリ☆アニの緊急会合が開かれ、メンバー全員がカケルの部屋に集まった。全員といってもマナちゃんはイタチの姿なんだけどね。

 夜中に何度も電話が鳴ったので、みんな寝不足気味で目の下にクマをつくり眠そうだ。私たちは人間より耳がいいからなおさらである。ふああぁ~。

 ノブは胡坐をかいたカケルの膝枕で、イタチマナちゃんは女の子座りする私の膝に乗ってウトウトしている。

「ご主人さにゃ~」

 カケルは「よしよし」とノブの頭を撫でながら、ほのぼのとした表情を浮かべた。

 なんかイライラするんだけど……。

「ふああぁ~。まったく、なんの用なのよ。電話のせいで寝不足なんだから、さっさと終わらせなさいよね」

 カケルのベッドに横たわるヨーコが、大きく欠伸をしながら不満をたれる。

 びくりとして大きく震えだしたイタチマナちゃんを私は抱きしめながら、

「ちょっとヨーコ、あまり口を大きく開けないでよね。マナちゃんがビビってるじゃない」

 むしゃくしゃしてヨーコにあたった。

「悪かったわね。お~~~~ぉきな口で」

 ヨーコが口を一段と大きく開けたので、マナちゃんがさらに怯える。

 本当に意地悪なんだから。私はヨーコを睨め付けた。

「まあまあ。電話の件も含めて、プリ☆アニの現状と今後について話したくて集まってもらったんだよ」

 私とヨーコの険悪な雰囲気を断ち切るようにカケルが話を切り出した。そしてノブの頭を膝の上から降ろそうとするも、彼女はカケルに抱きついて抗う。仕方ないなぁとばかりに、彼はふにゃふにゃ顔で再びノブの頭を撫でた。

 その状況にカチンときた私は、

「ちょっと、いい加減にしなさいよね!」

 とノブをカケルから無理やり引き離す。

「何するにゃ!?」

「目の前でイチャイチャされると目障りなの。カケルもカケルよ」

「いやぁ~、ノブちゃんを撫でていると何故か癒されるんだよね。まるでノブナガを撫でてるみたいなんだ。どうしてだろう?」

 悪びれた様子のないカケルに私は堪忍袋の緒が切れ、

「だからって場所柄をわきまえなさいよ!」

 思わず怒鳴りつけてしまった。

 カケルが驚いて目を見開いている。

「そんなに目くじら立てることじゃないでしょ。へんちく琳」

 一段と不機嫌そうにヨーコが横から口を出した。

「琳はやきもち焼いているにゃ」

「そ、そんなんじゃないわよ」

「だったら、ほっといて欲しいにゃ。他には誰も気にしてないんだからにゃ。それに、ご主人さまの癒しを邪魔するのは、恩を仇で返すのと同じだにゃ」

 周りを見回すと、確かに誰も気にしている様子はない。

 カケルと目が合い急に顔が火照ってきて、その場に居たたまれなくなった私は、「なら好きにしなさい!」と吐き捨てるように言って部屋を飛び出した。

 自室へ戻り鏡を見ると、耳まで紅潮していた。こんな顔、誰にも見られたくない。私はベッドの下段に横たわり頭からすっぽりと毛布をかぶった。

 親の仇である人間に恋するなんてあり得ない。そりゃあ命の恩人であるカケルに、少なからず特別な感情があるのは認めるけど、それは彼の優しさが両親と重なったからであって、決して異性として好きになったわけじゃないもの。

 それなのにどうして? 胸がドキドキして、今まで経験したことのない感覚に戸惑う。


 しばらくするとヨーコがやってきて、

「自分だけ寝てんじゃないわよ。みょうちく琳」

 と、無理やり毛布をはぎ取ろうとする。

 私は必死に抗うも、力負けして毛布を取られてしまった。

 すぐさま狸の姿に戻ったので、赤面した顔を見られずに済んだけど、私はヨーコにお尻を向けて伏せたまま前足で顔を隠した。

「私のことはほっといて」

「そうはいかないわよ。アンタのせいで会議は中断するし、カケルは責任を感じて部屋に閉じ籠っちゃったんだから。みんな部屋から追い出され、他のメンバーはリビングで待機しているのよ」

「カケルが!?」

 思わず私は叫んで振り向く。

「そうよ。かなり思いつめた感じで落ち込んでたわ。あの様子じゃ、プリ☆アニから手を引くかもしれないわね。カケルがプリ☆アニの活動すべてを支えているのよ。彼がいなければ何もできないわ。そうなったらプリ☆アニは終わりよ」

 私のせい!? どうしよう……。

 ヨーコが不安感をあおるので、私はカケルが心配で居ても立っても居られなくなった。

 急いで窓から出ると屋根を伝いカケルの部屋へ向かう。そして開いている窓からそっと中を覗き込んだ。

 すると外を眺めていたカケルと目が合い、私は驚きのあまり気を失いそうになる。

「あっ! 君はあのときの狸だね。もしかして琳ちゃんを捜してるの?」

 屋根から落ちそうになった私を、彼は慌てて両手で支え部屋の中へ入れた。

 そして目の前に私の顔を持ってきて、まじまじと見ながら、

「大丈夫かい? 体調でも悪いの?」

 と、おでこをくっつけてきた。

 ひええええっ!

 私はうろたえジタバタする。

「熱はなさそうだし、それだけ元気なら大丈夫だね」

 と、カケルは嬉しそうに微笑んだ。

 もう、紛らわしいことしないでよね。キスされるかと思ってドキドキしたじゃない。そもそも額をくっつけたところで狸の熱なんてわからないでしょ。

 だけど心配したほどカケルに気落ちした様子はなく、私はほっと胸を撫で下ろす。

 カケルは胡坐をかくと、膝の上に私を乗せて背中を優しく撫でながら、

「ごめんよ。さっきまで居たんだけどね。どうやら僕が琳ちゃんを怒らせたみたいで、部屋を出ていっちゃったんだ」

 カケルの温もりが伝わり、とても心地いい。

 ノブナガったらズルい。撫でられてるのはカケルのためみたいに言ってたけど、自分だって癒されてるじゃない。こんな気持ちいいことを独り占めしていたなんて……なんか、瞼が重くなって……。

「君のご主人様はね、僕のためにプリ☆アニのメンバーになって精一杯頑張ってくれたんだ。今のプリ☆アニがあるのは、ひとえに琳ちゃんのおかげと言っても過言じゃない。彼女はアイドルをやりたかったわけじゃないのにね。だからストレスがかなり溜まっていたんだと思う。琳ちゃんみたいないい子があんなに怒るなんて、他に考えられないもん。人が顔を真っ赤にして怒ったのを初めて見たよ。僕にとって彼女はかけがえのない存在なのに苦しめていたなんて……僕は最低だよ」

 カケルの大きな嘆息が私に勢いよく吹きかかる。

 私は彼の顔を見上げながら、それは違うわ、カケルは何も悪くない、と何度も首を横に振った。

 カケルは一瞬目が点になり、

「本当に君は人間の言葉がわかるんじゃないの?」

 と顔を綻ばせた。

 ノブの言う通りだわ。恩返しどころか、カケルに余計な心配をかけている。私のことをかけがえのない存在だと言ってくれたのに……私のバカ、バカ、バカ。カケルに謝らなくちゃ。

 私は彼の膝から急いで降りると窓の下枠に飛び乗り外へ出た。

 すぐさま自室へ向い人間の姿に化けて服を着ると、廊下からカケルの部屋へ戻る。

「カケル、話があるの。入るわよ」

 息を弾ませながら私は、カケルの返事も聞かずに部屋の扉を開けて中に入った。

「ごめんなさい。私──」

「謝るのは僕の方だよ。琳ちゃんの親切心につけ込み無理やりアイドルをやらせていたんだもの。本当にごめんね。もう十分に恩返ししてもらったから終わりにしよう」

 えっ!? 終わりって……どういうこと?

「琳ちゃんは今日でプリ☆アニを卒業。今まで本当にありがとうね」

 それって解雇ってこと? 私は必要じゃなくなったの?

 もうカケルと一緒にいられなくなると思うと、切なくなり涙が溢れ出した。


 ──私、カケルのことが好きなんだ。


 私は両親を失った悲しみと生き延びて子孫を残さなくてはならない責務で心身ともに疲弊しきっていた。ハンターに追われ死を覚悟したときカケルに助けられ、いつの間にか優しい彼に好意を抱いていたのかもしれない。だけど、それは子孫を残すことを私に託した両親を裏切ること。だからカケルへの想いは心の奥底に封じ込めてきたはずなのに、睡眠不足のせいか感情が抑えきれなくなったみたい。

「り、琳ちゃん!?」

 とめどもなく涙を流す私に、カケルは訳わからないといった表情で狼狽える。

「プリ☆アニが……みんなが好き……辞めたくない……お願いだから……」

 私はしゃくり上げて、つっかえつっかえ哀願した。

「当然でしょ。プリ☆アニは今のメンバー五人で完成形なの。誰一人欠けてもプリ☆アニでなくなる。だからアタシの許可なく脱退なんて許さないわよ」

 ヨーコの声に振り返ると、メンバーみんなが出入り口に立っていた。

「まったくだにゃ。自分だけ脱退なんて許さないにゃ」

 ノブが言うと、思いは同じとばかりにハクとマナが頷く。

「みんな……」

 私は感極まり言葉を詰まらせた。

 ヨーコは表情を和らげてパンパンと手を叩き、

「それじゃ会議を再開するから、さっさと席に着きなさい」

 と言って部屋に入り、椅子に腰かける。

 みんなも座布団に座ったので、私も涙をぬぐいながら腰を下ろす。

「本当に、ごめんなさい。私のせいで迷惑をかけちゃって──」

 カケルへの想いが悟られないように、私は平静を装い謝った。

「琳ちゃんのせいじゃないよ。みんな寝不足で情緒が不安定気味だったからね。悪いのは夜中にもかかわらず、何度も電話をかけてきた連中だよ」

「カケルの言う通りよ。でも、これも人気者の宿命なんだから、いちいち腹を立てても仕方ないでしょ」

 誰よりも機嫌の悪かったヨーコが言った。ノブがツッコめと手で合図する。

「それじゃあ会議の続きを始めるね。まずは電話についてなんだけど、報道関係者以外にスポンサーの申し出やイベントの出演依頼などもあったんだ。そこでスポンサーをつけて、楽曲の制作や振り付けなどをプロに依頼し本格的なレッスンをやろうと思うんだ」

「そんな面倒なこと必要ないわよ」

 カケルの提案をヨーコが一蹴する。

「だけど、これからは全国から多くの人がプリ☆アニ目当てにやってくるでしょ。お金を払って見に来てくれるファンのためにも、プロの指導を受けてクオリティを上げるべきだと思うんだ」

「必要ないって言ってるでしょ。しつこい男は嫌いよ」

 ヨーコに冷たくあしらわれ、しょげ込むカケルに私は助け船を出す。

「私もカケルに賛成。今の世の中アイドルは腐るほどいるから、ファンの目は肥えているわ。ただ可愛いだけじゃ男性ファンはつかないわよ。ヨーコの魅力を世に知らしめて男どもを虜にするには、どうしてもクオリティの高いパフォーマンスが必須だわ。このままじゃ親子連れにしか相手にされないけど、それでもいいの?」

 顔をしかめながらヨーコは少し考え、

「……仕方ないわね。そこまで言うのなら、やってあげるわよ」

 うまくヨーコを丸め込み、私は心の中でほくそ笑む。

 ということで、オリジナルの歌を披露できるまでステージはやらないことになった。それまではレッスンが中心である。

「どれくらいでステージは再開するのでしょうか?」

 普段無口なハクが、珍しくカケルに尋ねた。

「僕も素人だからよくわからないけど、早くても数ヶ月はかかるんじゃないかな」

「そんなに……」

 一刻も早く宮司夫妻を捜し出したいのだろう。ハクは顔を曇らせ俯く。

「何か困ることでもあるの?」

「訳あって、ある老夫婦を捜しています。男性は山奥にある小さな神社の宮司なのですが、ここ一ヶ月ほど姿を現さなくなりました。彼らはわたくしの恩人なので、とても心配しています。安否を確認したくても、どこの誰なのかわかりません。そこでプリ☆アニに加入して神社を宣伝すれば、彼らが見つかるかもしれないと考えたのです」

「それは心配だね。ハクさんはプリ☆アニの大切なメンバーだから、僕も捜すのを手伝うよ。だけどステージ活動は当分の間は無理だから、とりあえず神社を一度見に行こうか。夫婦の手がかりがあるかもしれないし、宣伝するにしても神社を知っておいた方がいいからね」

「ありがとうございます。カケルさん」

 ハクは瞳を潤ませ、ひれ伏すように頭を下げた。

 宮司夫妻に対する彼女の想いがひしひしと伝わってくる。少しでもハクの力になりたい。

「私も行っていい?」

「もちろんだよ。琳ちゃん」

 カケルが嬉しそうに答えると、

「なら、ボクもついていくにゃ」

「ノブちゃん、ありがとう。ヨーコちゃんは?」

「アタシは嫌よ。この暑いのに山奥なんて面倒くさい」

 眉をひそめ心底嫌そうに断るヨーコ。

「じゃあ、僕とハクさん、琳ちゃん、ノブちゃんの四人だね。早速明日行きたいんだけどいいかな?」

 あからさまにテンションの下がったカケルに、私たちは無言で頷く。

「で、場所はどの辺?」

 カケルがパソコンでグルグルマップを起動させハクに尋ねた。

「白蛇山の山奥なんですけど」

 すぐさまカケルは白蛇山の地図を表示させる。

 ハクは少し考えてから地図上の何も表示されてない場所を指さし、

「この辺だと思います」

 するとヨーコが画面を覗き込み「気が変わったわ。アタシも行ってあげる」と言った。

「どうしたの? 急に」

 何か思うところありげなヨーコに私が尋ねると、

「宣伝するのに相応しい場所か、リーダーのアタシが見て判断した方がいいでしょ」

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