第9話 決戦の行方
そして、いよいよ投票日。
私たちはワタルの車で決戦の場である『秩山総合文化会館』へ向かった。
会場が近づくにつれて不安になり、
「私たち勝てるよね」
「うん。大丈夫。あんなに頑張ったし、手ごたえも十分にあったもん」
隣のカケルに尋ねると、いつもの優しい笑顔で答えてくれた。
「そうよ。私とパパも客席から精一杯応援するからね」
助手席のアユミさんが、振り向いて励ましてくれた。
今日はプリ☆アニの解散がかかった大事な日なのでアユミさんも応援に加わってくれた。ヨーコのファンクラブ会員No三の彼女は、気合十分の出で立ちである。織田家はみんな同じ格好で、プリ☆アニ全員のカラー四色で彩られたハッピやハチマキを着用して、グループ名がプリントされたウチワを持っている。ちなみにウチワはカケルがプリンタで印刷して、ハッピとハチマキはアユミさんの手作りだそうだ。本当に器用な
私たちは目的地の駐車場でカケルの両親と別れ、一足先に楽屋へ向かった。アユミさんたちは、座席を確保してから楽屋に顔を出すらしい。
会場の外は大勢の人でごった返していて、TV局の取材もたくさん来ている。
「凄い……私たち、こんなに注目されていたの!?」
あまりの人の多さに、私は少し気後れしてしまう。
「いくらなんでも、これはおかしいよ。何かあったのかな?」
カケルが怪訝そうに答えた。
「みんなアタシ目当てに集まったのよ。この絶世美少女を世間がほっとくわけないもの。ほーほっほっほっほっ」
「あっ、プリ☆アニが来たぞ!」
取材クルーの一人がヨーコの高笑いに気づき、指さしながら叫んだ。すると報道陣が押し寄せてきて、あっという間に私たちは取り囲まれてしまった。何本ものマイクがヨーコに向けられる。
「君、プリ☆アニのリーダーだよね。話を聞かせてくれる?」
若い男性記者が代表して尋ねた。
「いいわよ。なんでも聞いてちょうだい」
「もう勝負は見えているけど──」
「そうね。この勝負、アタシたちの圧勝よ。ほーほっほっほっほっ」
記者はぽかんと口を開け、呆れ顔をした。
「えっと……君、本気で勝てると思ってるの?」
「はぁ!? このアタシが率いるプリ☆アニが、負けるわけないでしょ」
ヨーコは肩をすくめ呆れまじりに返した。
記者たちが顔を見合わせ鼻で笑う。
相手は最大手芸能事務所が手掛けたアイドルグループ。確かに圧勝は言い過ぎかもしれないけど勝つ自信はある。だって私たちは毎日懸命に宣伝して、あんなにも観衆を沸かせることができたんだもの。対する秩山♡ラバーズは、最初にポスターを持って商店街などをまわっただけらしい。相手よりも頑張ったという自負がある。
「君たちが何人束になってもマナちゃんに勝てるわけないだろ」
「マナちゃん?」
さも当然といったふうの記者にヨーコが聞き返す。きっとメンバー全員が同じように思っただろう。
「マナちゃんって、どういうことですか!?」
顔色を変えたカケルが記者に詰め寄り問い質した。
「君たち知らないの? 秩山♡ラバーズに、
「そんな……嘘だろ……」
カケルは愕然として力なく呟いた。
「本当だよ。でなきゃ我々取材陣が大挙して押しかけるわけないだろ。こんなローカルアイドルのイベントなんかに」
小馬鹿にしたような記者の態度にヨーコはムッとして、
「ちょっと、そのマナって誰なのよ?」
と、彼のネクタイを乱暴に掴んだ。
「き、君。知らないの? インターネットの世界的なランキングサイトで、三年連続世界一の美少女に選ばれた国民的アイドルだよ。日本はもとより世界中に大勢のファンがいて、彼女を超える美少女は未来永劫現れないとも言われているんだ」
「ふん。未来永劫じゃなくて三年の間違いよ。だって次から世界一の座はアタシの指定席になるんだもの」
記者たちは開いた口がふさがらないといった顔をしている。ちなみに私もよ。
「ヒュープロの車が来たぞ!」
誰かが叫んだとたん一斉に報道陣がそちらへ向かい、私たちの周りには誰もいなくなった。
「ねぇ。マナって子、知ってた?」
私が尋ねると、ノブとハクは首を横に振った。
「ふん。たとえ誰であろうが関係ないわ。このアタシが負けるわけないもの」
「いくらヨーコちゃんでも今回ばかりは相手が悪すぎるよ」
カケルは失望の色を浮かべ、か細い声で口にした。
「それ、どういうこと?」
楽屋へ向かいながら、カケルがマナちゃんについて説明してくれた。
「絶大な人気で若者なら知らない人はいないはずなのに、まさかここに四人もいたなんて。愛称は『マナぴょん』で、彼女も自身のことをそう呼んでいる。弱小芸能事務所のヒュープロを最大手に伸し上げたのは、彼女のおかげと言っても過言ではないんだ。彼女はソロで活動しているんだけど、コンサートでは最低でも四万人は動員していて、チケットは即完売の人気ぶり。だから大きなスタジアムとかでないとコンサートはやらないんだ。それにも拘らずローカルアイドルに加わり、キャパが千人しかない会場のステージに立つなんて、あり得ないはずなんだけど……」
「カケル。アタシとその子のどっちが可愛い?」
ヨーコは顔をカケルの目の前に突き出して尋ねた。
私なら吹き出すところだけど、カケルは照れて顔を真っ赤にしながら、
「も、もちろんヨーコちゃんだよ。と僕は思うんだけど、世間一般では……う~ん……互角なのかな」
カケルの美的感覚は当てにならないのよね。母親ゆずりなのか、それともヨーコに操られてるせいかわからないけど、普通とは掛け離れてるもの。
「なら問題ないじゃない。どっちが真の美少女か、世に知らしめてやるわ。ほーほっほっほっほっ」
勝利を疑わないヨーコがひとり気を吐く。相手を見なくても完敗なのは目に見えているけど。
そこに前方からヒュープロの横嶋社長と黒いスーツ姿の女性、そして一人の少女がやってきた。
女性は三十歳くらいで眼鏡をかけ、いかにもデキる女といった感じである。
少女は小柄で全体的に幼さが残り、十二、三歳くらいだろうか。
鼻と口は小ぶりなのに、目はくりくりと大きくて愛くるしい。
シュシュでツインテールにしている桃色の巻き髪を、ぴょこぴょこさせながらやってくる。
ひと目で私は、彼女がマナちゃんだと確信した。
あちこちにフリルやリボンがふんだんにあしらわれ、ピンクを基調としたロリータファッションが、とても似合っている。
まさに天使だわ。ハクが神ならマナちゃんは天使よ。
あまりの可愛さに目を奪われ、抱きしめたくなった私は、我知らず彼女に近づいていく。
まるでゾンビから逃げるように、マナちゃんはオドオドと社長の陰に隠れた。
「卑怯じゃないですか! マナちゃんもメンバーだと知ってたら、こんな勝負受けなかったのに!」
カケルが横嶋社長に詰め寄り猛抗議する。
彼と出会って一ヶ月ちょっとになるけど、いつも優しくて決して怒ることはないと思っていた。そんなカケルが感情を剥き出しにしている。
「勘違いされては困るな。もともと参加させるつもりはなかったんだよ。しかし君たちが想定以上に健闘してくれたおかげで、計画を変更せざるを得なくなった。我々は最大手芸能事務所としての面子があるからね。君たちみたいなど素人に一票たりとも与えるわけにはいかない。だが現状のまま完封勝利しても地元民の納得を得られないだろう。だから、急遽マナを投入することになったんだ。それに切り札は最後までとっておくもの。よく覚えておくんだな」
「この勝負、初めから結果は決まっていた。出来レースだったんですね」
そうだと言わんばかりに社長は口の端を吊り上げる。
つまり審査員はヒュープロの息がかかってるってこと?
考えが甘かった。
この二週間、私たちは横嶋社長の手のひらの上で踊らされていたのだ。
みんなで一生懸命頑張ってきたのに、すべてが水の泡となってしまった。
「プリ☆アニを利用したんですね」
「人聞きの悪いことを言わないでくれ。まあ宣伝目的だとは認めるけどね。秩山♡ラバーズのファンは十代から二十代の若者が中心だ。君たちが親子連れに宣伝してくれたおかげで広く知れ渡った。感謝しているよ。だけど君たちだってTVで放送され、最後に一花咲かせることができたんだ。ただ消え去るより、どれだけマシか。束の間とはいえ大勢の報道陣に囲まれ、満更でもなかっただろ。もうそんなことは二度とないぞ。罪を犯して警察沙汰になれば話は別だがな」
横嶋社長は皮肉っぽくニヤリとした。
「それはどうかしら。決着がつけば勝利したアタシたちを、もっと多くの報道陣が囲むはずよ」
横嶋社長の
もしかして彼女は審査員が買収されてることを理解してないのかしら?
「ふっ。なかなか面白い子だ。その強気な性格、嫌いじゃない。だが君は何もわかっていない、ただの愚か者だ。使えないな」
横嶋社長はヨーコから他のメンバーに視線を移すと表情を緩めた。
「君たち三人は、解散したら秩山♡ラバーズのメンバーになりなさい。中心メンバーとして十分に通用する。人気次第で国民的アイドルにもなれるぞ」
「ちょっと、何
「この子たちは君と違ってルックスもいいし、アイドルとして十分に通用する。せっかくの素質を、君のせいで潰すつもりか」
ヨーコはわなわなと身を震わせ、
「はああぁ!? さっきからずいぶんと虚仮にして──」
「せっかくですが、お断りします。私は、ヨーコがリーダーのプリ☆アニでなければ、アイドルをやるつもりはありません」
今にも九尾の狐になって噛みつきそうな見幕のヨーコを、私は手で制して言い放った。
「ボクもだにゃ」
「わたくしも同じです」
当然といった口振りで、ノブとハクが続いた。
ちなみに私はカケルへ恩返しができなくなるからで、ノブはマタタビがもらえなくなるし、ハクは宮司を探せなくなるからだ。
そうとは露知らずヨーコはメンバーから絶大な信頼を寄せられてると勘違いしたらしい。
彼女は細い目をぱちくりさせながら、私たちの顔を見ている。
「ふん、当然よ。勝手に脱退なんて許さないんだから……」
まるで潤んだ瞳を隠すように、ヨーコは顔を背けて呟いた。
「まあいい。よく考えて気が変わったら、いつでも連絡をくれたまえ。好待遇で迎えるよ」
自信ありげに白い歯を見せ、横嶋社長は去っていく。
「──っていうか、アタシたちが勝つんだから、自分の心配をしなさいよね!」
彼の背中に向かって、ヨーコは怒声を浴びせた。
びくっとしたマナちゃんが、脱兎のごとく横嶋社長とスーツの女性を抜き去る。
「あっ、マナ。楽屋はここよ」
女性が部屋を指さしながらマナちゃんを呼び止めた。
「マネージャー。マナぴょんはステージを確認してくるのぉ」
「時間までに戻ってくるのよ。いいわね」
「わかったのぉ」
マナちゃんは逃げるように走り去った。
* * * * *
横嶋社長とマネージャーは楽屋に入り扉を閉めると、顔を見合わせて思い切り笑った。
「見たか、リーダーのお多福面。あの顔を目の前にして、ワタシは吹き出しそうになるのをこらえるので精一杯だったよ」
横嶋社長は涙目で笑いながらマネージャーに囁く。
「ええ、社長。私なんか、ずっと視線を逸らして腕組みしながらお腹をつねっていましたわ」
マネージャーは腹を抱えながら小声で返した。
「よくあの面で臆面もなくアイドルだと名乗れるものだ。その上マナに勝つつもりでいるのだから救いようのない愚者だ」
二人は散々ヨーコを嘲笑った。
こき下ろしが一段落するとマネージャーは真剣な面持ちで、
「それにしても社長、少々困ったことになりましたね。これまでのように地元のアイドルグループを潰して使えそうな娘を引き抜く企み、今回は一筋縄ではいきそうにないですよ」
「ああ、そうだな。あの三人はローカルアイドルには勿体ないくらいの上玉だ。三人でユニットを組ませれば、マナに次ぐ稼ぎ頭になる。なんとしても我が社に引き込みたいところだが、どういうわけかお多福に全幅の信頼を寄せているからな。今まで我が社の誘いに靡かなかった娘はいなかったのだが──」
二人は顔を寄せ合い、ひそひそと悪巧みを画策した。
「社長。提案なのですが、我が社のお笑い部門に、あのお多福を引き込むのはどうでしょうか。リーダーが所属すれば、他の三人もついてくると思います」
「それはいい。お多福面のアップだけで半年は稼げるだろう。使えなくなったらお払い箱にすればいいのだからな」
「ただ、お多福が素直に受け入れるかどうか。社長が散々彼女を怒らせてしまいましたからね」
「ワタシは本当のことを述べただけだよ。だが問題ない。契約金で一千万円を提示すれば、二つ返事で飛びついてくるだろう」
「たかが十七・八の小娘に、それもあんなお多福に一千万もですか? 私の年収の倍なんて、ずいぶんと太っ腹ですね」
彼女は皮肉まじりに言った。
「マナが手中にある限り我々は天下を取り続けられる。彼女には三千億円の価値があるからな。たかが一千万、我が社にははした金に過ぎない。それにあのお多福ならお笑い番組で引っ張りだこになるのは確実だ。すぐに回収できる。バラドルとして売り出し、適当に歌を歌わせてやれば本人も納得がいくだろう」
「さすが社長、そこまで考えていたなんて感服しましたわ」
* * * * *
彼らは私たちに聞こえないように密談したつもりなのだろう。
でも私たちは人間より聴覚が優れているから、聞こえちゃうのよね。
聞き捨てならないことを言われた当人は、
「きいいいいいっ! 誰がお多福よ! 見てなさい! けちょんけちょんにして、絶対にぎゃふんと言わせてやるんだから!」
と、顔を真っ赤にしながら地団駄を踏んでいる。
いきなり激高したヨーコに、カケルはおたおたするばかり。
「どう、どう、どう。落ち着いてちょうだい。ヨーコ」
私がなだめるも、ヨーコの怒りは一向に収まりそうにない。
仕方ないので私とノブが彼女の両腕を抱えて引きずりながらプリ☆アニの楽屋に入った。
私たちの部屋は定員10名の洋室で、鏡台が四つ備え付けらえれ、室内中央には六人掛けのテーブルがある。
楽屋は四つあり、プリ☆アニとヒュープロは両端の部屋である。その間にトイレとシャワー室があるので、双方の楽屋は少し離れていた。
ヨーコは悪態をつきながら、ヒュープロ側の壁を蹴り続けている。
そんな彼女とは対照的に、私たちはすっかり意気消沈してテーブルの椅子に腰かけた。
ただでさえマナちゃんには敵わないのに、審査員はすべて買収されているのだ。すでに勝敗は決している。
「もう、これでおしまいなのね」
私はテーブルに突っ伏して、ため息まじりに呟いた。
「いいえ。まだ一つだけ解散を回避する手立てがあります」
しゃんと座るハクが厳しい表情で言った。
ヨーコを除いた、みんなの視線がハクに集まる。
シャイな彼女は、注目されてオドオドとしながらも続けた。
「投票が公正でないと世間に告発するのです。そうすれば勝負は無効になるでしょう」
でも証拠がなければ、かえって私たちの往生際が悪いと非難されるだけ。
「どうやって不正を証明するの?」
「横嶋社長は、完封勝利で地元民を納得させるためにマナさんを投入したと言ってました。つまり誰も私たちに投票しないということです。それを逆手に取るのです」
「どういうこと?」
「もし美少女コンテストならマナさんの圧勝でしょう。ですがこれはアイドルグループの対決です。歌唱力やダンスなど総合的に評価されるはず。もちろん可愛さはとても重要な要素ですが、審査基準の一つに過ぎません。わたくしたちが最高のパフォーマンスを披露すれば、一票も得られないという審査結果に観客は疑問を抱くでしょう。そこで不正を訴えれば、人々は耳を貸してくれるはずです」
ハクはテーブルに両手をつき前のめりで強く訴えた。
どんなことがあっても解散だけは避けたい──そんな思いがひしひしと伝わってくる。
確かにハクの言う通りなのかもしれない。この二週間、宣伝活動で観客の心を掴んできた。パフォーマンスで相手に引けを取らない自信はある。
でもヒュープロが進出した地域では、もともと活動していたローカルアイドルが間違いなく消滅しているとカケルは言ってた。たとえ解散を免れても、この先の活動は大変厳しいものになるだろう。ただ解散が先延ばしになるだけなのかもしれない。
思いあぐねていると、片足を引きずりながらヨーコがやってきて、バンッ! と強くテーブルを叩いた。
どうやら壁を蹴りすぎて足を痛めたらしく、顔を歪めている。
「何湿っぽくなってんのよ。プリ☆アニは絶対に負けないわ。みんな一生懸命やったんだから自信を持ちなさいよね。あんなに親子連れが喜んでくれたじゃない。どんなことがあっても、みんなの努力は無駄にさせない。だからアタシを信じて大船に乗ったつもりでいなさい」
柄にもなく殊勝なことを言うヨーコに、私は心を動かされた。
「そうよね。ヨーコとハクの言う通りだわ。最後まで諦めず精一杯やりましょう」
先のことを考えても仕方ないもの。それに勝つのは無理でも、解散を阻止するのはできそうな気がしてきた。だって二人が大丈夫だと言ってるのだから。これって前向きに捉えれば神様と神使の啓示よね。
* * * * *
「確か楽屋はこの辺のはずだけど……ここかしら?」
アユミがドアをノックすると「はい。どうぞ」と中から女性の声がした。
「? 失礼します」
ドアを開け室内を覗き込むと、そこにいたのは見知らぬ男女だった。
「まぁ、どうしましょう。部屋を間違えたみたい。ごめんなさい」
てへっと舌を出したアユミは、ドアを閉めると改めて張り紙を確認した。
(ほんと私ってドジなんだから。プリ☆アニじゃなくて、ヒュープロ様って書いてあるじゃない。あれ? ヒュープロって、どこかで聞いたことがあるような……気のせいかしら?)
アユミが数歩進んだとき、バンッと勢いよくドアが開き男性が飛び出してきた。
「お嬢さん、お待ちなさい」
「はい?」
おもむろに振り返ったアユミは、にこやかに首を傾げる。
「君は神を信じるか? ワタシは信じる。いや、君と出会って信じるようになった。何故なら、降臨した女神が微笑んでいるのを、ワタシは目の当たりにしているのだからね。こんなところで立ち話もなんだから、我々の将来について部屋の中でじっくり話をしよう」
「えっと~ごめんなさい。宗教には興味ないので……」
アユミは少し困ったような表情で断った。
「いや、怪しい宗教の勧誘じゃなくて、ワタシは最大手芸能事務所・ヒュープロの横嶋です。メディアに度々取り上げられ、やり手のイケメン社長として女性に人気あるんだけど知らないかな? その社長が直々に君をスカウトしているんだ。君はアイドルになるために生まれてきた」
そう言いながら横嶋社長は名刺を差し出す。
「まぁ、そうだったんですか。でも私にはアイドルなんて無理ですわ。ごめんなさい」
やんわりとお辞儀をして断ると、体を反転させ立ち去ろうとするアユミ。
横嶋社長は素早くアユミの斜め前に回り込み、片手を壁について彼女の行く手を阻む。高身長の横嶋社長は、壁ドン状態で小柄のアユミを見下ろした。そしてキメ顔をつくると彼女に顎クイをして瞳を見つめながら、
「君は自分がどれだけ可愛いのかわかってない。君ならトップクラスのアイドルになれる。このワタシが保証するよ。何故なら社長という立場柄、数多の美人タレントを商品として扱ってきたにもかかわらず、君のファンになってしまったのだからね」
「あのぉ~、でもぉ~」
アユミが返答に困っていると、ワタルがやってきて声をかけた。
「ん? どうした?」
あからさまに苛ついた表情で舌打ちした横嶋社長は、
「どこの誰だか知らんが、今とても重要な話をしている。邪魔しないでくれたまえ」
しっしっ! と動物を追い払うような仕草でワタルをあしらう。
「パパ。私、アイドルにならないかってスカウトされたの」
アユミがそう言うと、横嶋社長はアホ面になり「パ、パパ?」と素っ頓狂な声を発した。
(信じられん。こんな地味な父親から、こんなにも可愛い娘が生まれたなんて。きっと突然変異か100%母親似なのだろう)
すぐにキメ顔を作り直すと、
「こ、これは大変失礼致しました。とてもお若いので、まさかお父様とは思いも寄らず、御無礼をお許しください。ワタシは最大手芸能事務所・ヒュープロのイケメン社長で横嶋という者です。あまりにも娘さんが可愛らしいので、ウチの事務所に所属していただきたいと──」
ワタルは少し困ったように頬をかきながら、
「アユミちゃんは娘じゃなくて嫁なんですけど……」
横嶋社長は更なるアホ面で、「よ、嫁? 妻? 奥さん?」と素っ頓狂な声でアユミに尋ねた。
「はい」と、アユミは嬉しそうに左手を口元にあて結婚指輪を示す。
横嶋社長は顎に手を当て考えるような仕草でアユミとワタルを見比べ、
(確かにこれだけ可愛ければ周りが放っておかないのはわかるが、どうしてこんなアホ面の冴えない中年男性と……もしかして何か弱みでも握られているのか? それとも借金のかたに無理やり結婚させられたとか? きっとそうだ。それしか考えられん)
自己完結すると彼はアユミの手を握り締め、
「かわいそうに。だがもう安心したまえ。君の借金はすべて我が社が肩代わりする。金に物を言わせて人の幸せを奪うような卑劣な奴とは、すぐに別れさせてあげるからね」
「はい? ? ?」
アユミが疑問符を浮かべているとカケルがやってきて声をかけた。
「どうしたの? 母さん」
横嶋社長は三度目のアホ面で、「か、母さん? ママ? お袋?」と……以下省略。
(色白でキメが細かくハリと潤いがある肌。あどけなさが垣間見える彼女は、どう見ても二十代前半だろう。十六歳で産んだとしても子どもは七歳くらいだ。こんなに大きな子がいるはずはない。いや待てよ。最近の子は発育がいいから、こう見えても実は小学生なのかもしれないな)
「君、何歳? まだ低学年だよね」
カケルは基本的に偏見や先入観を持たず、他人を悪く思わない性格である。だがヨーコを散々虚仮にしてプリ☆アニを潰そうとする横嶋社長には、かなり心証が悪かった。だから身長が一六九センチで、どこからどう見ても高校生だと自覚しているカケルは、彼がおちょくってると思い不機嫌そうに答えた。
「十六歳の高校一年生ですけど」
それを聞いて横嶋社長は、アユミは七歳くらいでカケルを産んだことになると逆算した。そんなバカなと思ったが、すぐさま得心したとばかりに頷きアユミに尋ねた。
「そっか。彼は旦那さんの連れ子なんですね」
「いいえ。カケルは私の産んだ子ですけど」
四度目のアホ面を披露した横嶋社長は、
「し、失礼ですが、お嬢さ……お母さんはお幾つなんですか?」
「うふふっ。な・い・しょ」
アユミが可愛らしくウインクすると、横嶋社長はぽっと頬を赤らめた。
「こう見えて三十七歳なんですよ。見えないでしょ」
ワタルが自慢げに答えた。
横嶋社長は信じられんといった表情で「三十七!?」と呟いた。
ワタルは、何度もアホ面とキメ顔を繰り返す横嶋社長を器用な人だと感心した。
カケルは、解散マッチが決まるとすぐにヒュープロをネットで調べた。いつ潰れてもおかしくない弱小事務所だったヒュープロは、三年前にマナが所属してから業績は右肩上がりで事業を手広く展開している。株式の上場も果たし資産は三千億円を超え、横嶋社長は政財界にも顔が広い。時代の寵児ともてはやされマスコミに幾度となく取り上げられる有名人である。一方で業界一のプレイボーイとして浮き名は後を絶たず、弄ばれる女優も多いという噂もある。
先ほどまでプリ☆アニの
「みんなが待ってるから行くよ」
カケルは、両親を連れてプリ☆アニの楽屋へ向かおうとした。
アユミが「それじゃ」と会釈すると横嶋社長は、
「待ってくれ。歳なんか関係ない。いくら出せば君を救える。一億円か? それとも──」
「一億? 何の話?」
怪訝そうにカケルはアユミに尋ねた。
「ママね、あの人にアイドルにならないかって誘われたの。なんでもヒューなんとかという最大手芸能事務所の社長さんだそうよ」
「さすが我が嫁、アユミちゃんだろ」
(高一の息子がいる三十七歳のおばさんを、アイドルにスカウトする芸能事務所がどこにある!?)
目の前にあるとは露知らず内心でツッコんだカケルは、やはりアユミは揶揄われているんだと確信した。
自慢げな両親にカケルは呆れ顔で、
「あのさぁ、ヒュープロは今日プリ☆アニが解散をかけて対戦する相手の事務所なんだよ。わかってるの?」
「まぁ、そうなの。つまり私たち家族の怨敵になるのね。それでは百億円積まれてもお断りするしかないわね」
にこやかにアユミは断った。
「ひゃ、百億……」
アユミの借金が百億円だと勘違いした横嶋社長は、払えない額ではないが、さすがに二の足を踏む。
これ以上両親が横嶋社長になぶられるのを避けたいカケルは、
「さあ、行くよ」
と二人の手を取り少し強引に引っ張って楽屋へ向かう。
「彼が我々の怨敵だったのか。でもそんなふうには見えなかったな。顔芸をして、なかなか面白い人だったぞ。さすが最大手芸能事務所の社長は違うな」
プリ☆アニの運命がかかってるというのに、能天気な父親にカケルは大きなため息を零す。
* * * * *
身支度を終えた私たちは、舞台袖に移動して出番を待った。
そっと客席を覗き見ると、全体がピンクで埋め尽くされていた。
マナちゃんのカラーを纏ったファンだとカケルが教えてくれた。彼らは『ファンぴょん』と呼ばれているのだそうだ。
ファンぴょんは国内だけで三百万人を超えるとも言われ、中には熱狂的で過激なファンも少なからずいるらしい。時々問題を起こしてニュースになってるそうだ。
TVカメラが何台もあり、ローカルTVでは生放送されている。
そんな状況でプリ☆アニは、最高のパフォーマンスをしなければならない。
私たちは一様に緊張した面持ちになる中、ヨーコだけはいつもと変わらぬ尊大な表情を浮かべている。
「もしかして妖術で勝つつもり?」
私はヨーコの耳元で尋ねた。
「はぁ? このアタシを見くびらないでよね。妖術なんか使わなくても実力で勝つに決まってるでしょ。伊達に千年近くも絶世美女として伝説になってないわよ。新旧絶世美少女対決を制するのは、このア・タ・シ」
ヨーコは意気揚々とVサインを出す。
横嶋社長の言う通りだわ。ヨーコは何もわかってない。彼女は自分が絶世美少女だと信じ込んでいる。二年前まで毒石になってたから、千年前とは美の基準が大きく変わってることに気づいてないんだわ。
彼女の殊勝な言葉に感動して、私が乗った大船は泥船だった。
私はかちかち山の性悪狸か!?
幕が上がりステージ中央に男性司会者が現れる。
「──それでは、対戦する秩山♡ラバーズとプリ☆アニの登場です。皆様、拍手でお迎えください」
司会者がグループ双方の登場を促した。
ステージの上手から秩山♡ラバーズが、下手からプリ☆アニが、それぞれリーダーを先頭に登場。
観客席から盛大な拍手と歓声が沸き上がった。
そのすべてがマナちゃんに向けられたものだと私は確信した。
ステージ中央にヨーコとマナちゃんが並ぶと、歓声がせせら笑いへと変わる。
勝負にならないのは一目瞭然といった笑いだ。
「今朝のニュースでご存知かと思いますが、マナぴょんこと天舞蒔菜さんが秩山♡ラバーズのリーダーとして加わりました」
司会者に紹介されマナちゃんが笑顔で両手を振ると、ホールは割れんばかりの歓声に包まれた。
続いて解散マッチについて説明が行われた。
審査方法は、各グループが一曲ずつ披露して、どちらが地元に相応しいか審査員が投票するというもの。審査員は地元を代表する企業や商店の十五名で構成されている。その中には私たちが宣伝で回った酒屋の店主もいた。客席の最前列にいる審査員が順次紹介され、その企業や商店のPR映像がスクリーンに映し出された。TVの放映に加えマナちゃんが参加したことで、相当な宣伝効果が期待される。つまり審査員は宣伝してもらう見返りに秩山♡ラバーズに投票するのだろう。
「では、それぞれのリーダーに意気込みを伺いたいと思います。まずは秩山♡ラバーズのリーダー、マナさん。一言どうぞ」
司会者にマイクを向けられたマナちゃんは、
「今日はマナぴょんのために、こんなにたくさん集まってくれて、ありがとうなのぉ。マナぴょんは地元のために一生懸命頑張るのぉ。だから審査員の皆さん、秩山♡ラバーズに投票お願いなのぉ」
彼女が投げキッスをすると、会場のボルテージが一気に上がり歓声が収まらなくなった。
「皆様、どうかお静かにお願いします。では次にプリ☆アニのリーダー、ヨーコさん。一言どうぞ」
司会者はヨーコにマイクを向けた。
「特にないわ。だって私たちプリ☆アニが負けるわけないもの」
観客から嘲笑やブーイングが沸き起こる。
「えっと……その自信は、どこからくるのでしょうか?」
苦笑いの司会者が尋ねた。
「このアタシがいるからに決まってるでしょ。アタシたちは少数精鋭なの。数が多ければいいってもんじゃないわ」
ヨーコの挑発的な態度にファンぴょんの、えげつないヤジが飛び交う。激しく罵声を浴びせられ晒し者となったヨーコ。
観客のほとんどがヨーコを、私たちを敵視している。ここは私たちのホームなのに完全アウェーと化していた。私は会場の雰囲気に呑まれ、まるで世界を敵に回したような錯覚に陥った。
かつては美貌で男性を虜にしてきたヨーコにとって、どれだけ耐え難い屈辱か容易に想像がつく。それでも臆することなく毅然としている彼女に、私はどことなく頼もしさを感じた。
先手は秩山♡ラバーズなので、私たちは舞台袖に下がった。
マナちゃんがステージ中央に移動し、その後ろに秩山♡ラバーズのメンバーが、お披露目のときとは違う薄いピンクの衣装でスタンバイする。
「ここで訂正がございます。秩山♡ラバーズのデビュー曲を予定しておりましたが、急遽加わったマナさんが、まだ曲を覚えてないとのこと。そこで曲目をマナさんの大ヒット曲『桜色のハピネス』に変更させていただきます。では、どうぞ──」
イントロが鳴り始め司会者が袖にはける。
大歓声とともに観客が総立ちになり、一斉にペンライトが灯された。薄暗い会場が淡い桜色に染まる。会場はスモークが焚かれ、幾つものレーザー光線とバルーンが飛び交う。マナちゃんの可愛らしい歌声とノリのいい曲に合わせてペンライトが振られ、掛け声とともに突き上げられた。千人にも及ぶ観衆が一糸乱れぬ応援をする姿は壮観である。
私は他のアイドルがどんなふうにコンサートをしているのかまったく知らなかった。
これが世界一の美少女アイドルのライブなの!?
──すべての面で次元が違いすぎる。どんなに頑張っても敵わない。
それはノブとハクも同じらしく、愕然とした表情を浮かべている。
一縷の望みが絶たれ足が震えだした私は、頽れそうになり思わずカケルの腕に縋りついた。
「大丈夫!? 琳ちゃん」
私を気に掛けながらも、カケルは落胆の表情で、
「まいったよ。さすがヒュープロの社長。抜け目がないというか、ここまで徹底するとは。曲目を変更したのは策略だよ。だって秩山♡ラバーズのメンバーがバックダンサーとして、息の合った見事な踊りをしているのも、衣裳がピンクなのも、数日前から準備していた証だもの。それに『桜色のハピネス』はマナちゃんの最大のヒット曲で、彼女のコンサートで最も盛り上がる曲なんだ。そのステージを見せつけ格の違いを示すことでプリ☆アニのやる気を削ぐつもりなんだろう」
見事に私は横嶋社長の術中にはまり怖けづいてしまった。
歌い終わったマナちゃんは、大歓声の中、手を振りながら舞台袖に引き上げる。
「さあ、行くわよ」
と不敵な笑みでメンバーに声をかけるヨーコ。
「やるだけ無駄よ。私は行かない」
臆病風に吹かれた私は、絞り出すような声で拒否した。
「はぁ!? 最後まで諦めず精一杯やると言ったのは、どこの誰よ」
ヨーコが苛ついたように返した。
「私はヨーコみたいな能天気じゃないの。ちゃんとプリ☆アニの置かれた状況を把握しているわ。以前プリ☆アニは学芸会以下のお遊びだって横嶋社長に評されたけど、その通りよ。どうあがいても無様な姿を晒すだけ」
「ふん。そんな格好していて、今さら何が無様な姿よ」
彼女は私の股間にぶら下がる大きな金袋を指さし鼻で笑った。
「ヨーコのせいでしょ! 好きでこんな格好してるんじゃないわ」
「それでも恩返しのために、その格好で道化役に徹すると決めたんでしょ。恩返しを途中で投げ出すつもり? なら勝手にすればいいわ」
ヨーコは吐き捨てるように言って舞台に向かう。
ノブは私を一瞥してヨーコに続いた。
「琳さん。必ず来てくださいね」
心配げにハクは言うと、ノブの後に続いた。
カケルの腕にしがみついたままの私に、彼は優しい口調で、
「確かにマナちゃんのステージに比べたら、プリ☆アニはお粗末と言われても仕方ない。でも決して学芸会以下のお遊びじゃないよ。だって多くの親子連れが、あんなにも喜んでくれたじゃないか。それは琳ちゃんをはじめ、メンバーのひたむきな姿が観客を惹きつけたんだと思う。そんなプリ☆アニを僕は誇りに思っている。だから最後のステージを精一杯まっとうしてほしい」
カケルの期待に応えたい。彼を失望させたくない。でもマナちゃんのライブを目の当たりにして、力の差をまざまざと思い知らされた。すっかり心が折れてしまっている。
「さあ、琳ちゃん。
カケルにそっと背中を押され、おぼつかない足取りで歩み出すと、どうにか自分のポジションに辿り着いた。
「準備ができたようですね。では歌っていただきましょう。プリ☆アニの『証城寺の狸囃子』です。どうぞ」
イントロが始まるも、マナちゃんと同じ音響設備を使ってるとは思えないほど、音質が酷く感じられた。これも横嶋社長の仕業?
私は滑稽な踊りでアピールしなければならないのに、竦みあがってしまい立っているのがやっと。
ノブのアクロバチックな動きはキレがなく、ハクは声に張りがない。
千人もの観衆が私たちを敵視している。彼らのブーイングや罵声、ヤジが大轟音となって私たちに襲いかかり萎縮させた。
観客の声援は力を与えてくれるけど、その逆は力を奪うのだと身をもって感じた。
怖い。今すぐこの場から逃げ出したい──
救いを求めて舞台袖に目を向けると、カケルが心配げに見守っていた。
助けて、カケル。
こらえきれず私は彼のもとへ向かおうと一歩踏み出したときだった。
「ぽんぽこのおねえちゃ~ん! がんばれ~っ! まけるな~っ!」
大ブーイングの中、微かな声援が耳に届き、私は根が生えたように動けなくなった。
その声は他のメンバーにも届いたらしく、みんな見開いた目で同じ方向を見ている。
私はズレた眼鏡を正して、メンバーの視線の先をたどった。すると観客席一階の最奥に、母親の心葉さんに肩車されて懸命に叫んでるマーくんの姿があった。
この二週間、暑い中マーくんは幾度となくプリ☆アニの応援に来てくれた。お友達を何人も連れてきてくれて一緒に盛り上げてくれたよね。マーくんが楽しそうに踊ると、他の子たちが釣られて踊り出した。幼い君に、どんなに力を与えられ助けられたことか。
そのマーくんは今、お友達と一緒に嗚咽しながら必死に声援を送ってくれている。私たちを心から必要としてくれているのだ。
母親たちも自分の子を肩車しながら応援してくれている。
いつも屈託のない笑顔で私たちに力をくれたマーくん。
ブーイングや罵声が飛び交い、私なんかよりずっと怖い思いをしていたはずなのに、懸命に応援してくれている。
大轟音でマーくんたちの声援はかき消され周りの観客でさえ聞き取れないだろう。でも私たちにはちゃんと届いているよ。もう逃げない。これ以上、彼らに悲しい思いをさせるわけにはいかないもの。
私は満面の笑みでマーくんたちに向けて大きく両手を振った。
するとマーくんたちが嬉しそうに手を振り応えてくれた。
いつものように私は明るく滑稽な道化を演じる。ノブやハクも調子を取り戻したようだ。
観客席の二階ではカケルの両親が声援を送ってくれている。さすが夫婦と言うべきかピッタリと息の合ったヲタ芸で、周囲は圧倒されている。もしかしたらドン引きしている? 特に可愛いアユミさんのキレのあるヲタ芸はひと際目立ち、男性の目を引いていた。
私がカケルの両親に手を振ると、ワタルはにっと笑い親指を立てて返す。
演じてる間は無我夢中で気にならなかったけど、演目を終えたとたんファンぴょんのブーイングや審査員の酷評が耳になだれ込み現実に引き戻された。
『まったく比べ物にならないですな』
『稚拙でお粗末としか言いようがない』
『まだ園児のお遊戯の方が盛り上がりますよ』
『全員一致で秩山♡ラバーズに決まりですね』
どんなに精一杯頑張っても審査員やファンぴょんの心を揺さぶることはできなかった。わかってたことだけど涙が溢れ出す。私きっと酷い顔してる。こんな顔マーくんに見せられない。私はお辞儀して、くしゃくしゃの泣き顔を隠した。
マーくんたちもプリ☆アニの負けを理解してるだろう。私のせいだ。私が彼らを巻き込まなければ、辛い思いをさせずに済んだのだもの。心が痛くて涙が止まらない。ごめんね。みんな……。
司会者に促されて秩山♡ラバーズのメンバーがマナちゃんを先頭に上手から現れる。すると私たちに対するブーイングがマナちゃんの勝利を祝福する歓声に変わった。それに応えるように彼女は目を細め手を振る。それぞれリーダーを中央にして相対するグループが横一列に並んだ。
「いつまでそうしてるつもり? 力を尽くしたのなら顔を上げて堂々としなさい」
首を垂れ続ける私をヨーコが戒めた。
私はカケルとヨーコに命を助けられ、プリ☆アニで恩返しするつもりだった。それなのに──
「ごめんね、ヨーコ。私、ちっとも役に立てなくて……」
自分が情けなくて、申し訳なくて、おさまりかけた涙がぽたぽたと零れ落ちる。
「ふん。上出来よ。最高のパフォーマンスだったわ」
意外な返しに思わずヨーコの顔を見やると、
「さ、最初はグダグダで酷かったけど」
と付け加え、照れ隠しか彼女はぷいっと横を向いてしまう。
そのまま隣のマナちゃんに八つ当たりでもしたのか、秩山♡ラバーズのリーダーは色を変え震え出した。
ヨーコの顔越しに、舞台袖からこちらを見ている横嶋社長の姿が目に入った。
すべては思惑通りと言わんばかりの薄笑いを浮かべている。
* * * * *
「それでは審査結果の発表です。審査員のお手元には、それぞれのグループ名が記された札があります。秩山市にとって必要と思われるグループ名の札を選んで……どうやらもうどちらにするか決まったようですね」
司会者が審査員を見渡すと、みんな秩山♡ラバーズと書かれた札を手にしていて、プリ☆アニの札はテーブルの上に置かれていた。
「では、一斉に札を上げて──」
「ちょっと待ってなのぉ!」
マナは右手を高々と挙げて叫び、司会進行を妨げた。
「ど、どうかしましたか?」
驚いた様子で司会者は彼女にマイクを向けた。
「あのぉ……そのぉ……ごめんなさいなのぉ。マナぴょんは秩山♡ラバーズからプリ☆アニに移籍することになったのぉ」
その意味を誰しもが理解できず、会場は一瞬静まり返る。
「はっ、はっ、はっ。冗談……ですよね?」
さすがの司会者も動揺を隠せない声で尋ねた。
「本気なのぉ。もうマナぴょんは、秩山♡ラバーズのリーダーではなく、プリ☆アニのメンバーなのぉ。事務所も辞めるのぉ。だからプリ☆アニに投票してほしいのぉ」
ごめんなさいと、マナは深々と腰を折った。
会場が色めき立ち、横嶋社長が血相を変えて舞台に現れた。腰が抜けたのか、彼は幾度となく転びながらもなんとかマナのもとに辿り着く。滅多に拝めないようなアホ面でマナを必死に説得するも、なかなか彼女は首を縦に振らない。しまいには彼女の足元で土下座して拝んだり、泣き落とそうとしたりする始末である。なりふり構わず懇願すること十数分、大きなため息とともに立ち上がった横嶋社長は、司会者からマイクを奪い取ると平静を装い、
「ごほん。皆さん、大変申し訳ないのですが、今回のイベントはここで中止とさせていただきます」
深々と頭を下げ謝罪するも、観客から大ブーイングを浴び、彼は呆然と立ち尽くした。
ヨーコは横嶋社長からマイクを奪い取るとTVカメラに向かって、
「さすが最大手芸能事務所の社長ですわね。大勢の観客や取材陣を集めておきながら旗色が悪くなるとイベントを中止させるなんて、傍若無人ぶりもハンパないわ。ほーほっほっほっほっ」
高笑いするヨーコから、横嶋社長は無理やりマイクを奪い返すとスイッチを切った。
「貴様、マナに何をした!?」
「別に~ぃ。でも一つだけ教えてあげるわ。切り札は最後の最後までとっておくもの。よ~く覚えておくことね。ほーほっほっほっほっ」
「くっ、このクソガキが、舐めたこと抜かしてんじゃねーぞ!!」
鬼のような形相で横嶋社長が、ヨーコの胸倉を乱暴に掴みあげる。
「見苦しいですわよ。TVで生放送されてること忘れてんじゃないの?」
しれっとヨーコが言うと、しまったというような表情で手を放した横嶋社長は、冷静さを取り戻そうと深く息をした。
「マナを引き抜くなんて卑怯だぞ」
「はあ? ウチのメンバーを引き抜こうとしたくせに、よく言えるわね」
「マナと貴様のメンバーを一緒にするな。マナは別格なんだ。貴様らが何百人束になってもマナには敵わない。彼女は芸能界の、いや人類の宝なんだぞ!」
両手の拳を握りしめ横嶋社長が力説する。
「そんなことよりイベントを続けるの? それとも中止して世間の批判を浴びる?」
「わかった。取引をしよう。我々は負けを認めて完全に撤退する。そしてプリ☆アニを全面的に支援しようじゃないか。メジャーデビューを約束し、今後の活動費用はすべて我が社が持とう。高級マンションに専用のマイクロバスと運転手も用意する。そのかわりマナを返してくれ」
「さ~て、ど~しようかな~。マナはどうしたい?」
もったいぶるような口振りでヨーコはマナに振った。
「あのぉ……ヨーコさんが、それでも良ければなのぉ」
「なんか、お腹空いてきちゃったな~。ふああああぁ~」
おどおどするマナに向けて、ヨーコは大きく欠伸した。
「ひいいいいいぃ、やはりごめんなさいなのぉ。社長、マナぴょんのことは諦めて欲しいのぉ」
マナは戦慄し、その愛くるしい瞳を潤ませ謝った。
「何故なんだ!? マナ、理由を聞かせてくれ!」
横嶋社長は彼女の両肩を力強く掴み揺さぶる。
「本当に……本当に、ごめんなさいなのぉ」
マナが両手で顔を覆い泣きながら謝ると、会場が騒然となった。
「横嶋死ね!」「マナぴょんに触れるな! ぶっ殺すぞ!」「ヒュープロ潰す!」
ファンぴょんの過激なヤジに怯んだ横嶋社長は、マナから手を放して後退りする。
「あ~らら、泣かしちゃった。全国のファンに、この光景がどう映るのかしらね。これはもうマナのファンを敵に回しちゃったも同然よね~。事務所ヤバくな~い?」
「貴様! このままでは済まさんぞっ!」
嫌みたらしい口振りのヨーコを、横嶋社長は憎悪のこもった目で睨みつける。
「まったく往生際が悪いわね。しつこい男は嫌われるわよ。そんなんだからマナに見限られたんじゃない」
「マナ……」と呟いた横嶋社長は、情けない顔で縋るようにマナを見つめるも、彼女に視線を逸らされてしまう。
マナを失ったショックで横嶋社長はその場に頽れた。舞台袖で成り行きを見守っていた女性マネージャーが大慌てで舞台に現れ、生きた屍のような横嶋社長を肩に抱えて舞台袖に引き上げる。
「えっと……どうしたら……とりあえず続けましょうか。では審査員の皆様、札を上げてください」
司会者は戸惑いながらもイベントを再開した。
予想だにしなかった展開で呆気に取られていた審査員たちは、いきなり司会者に振られて思わず手にしていた札を掲げる。
「解散マッチの勝者は満場一致で秩山♡ラバーズとなりました。おめでとうございます」
司会者は気を取り直して淡々と告げた。
ヨーコは暗殺者のような眼でギラリとマナを射竦める。
するとマナは肩をびくりと震わせ、その場に泣き崩れた。
とたんにファンぴょんから審査員に激しい怒号が飛び交う。
物が投げつけられ、後ろのファンぴょんに羽交い絞めにされてしまう審査員も。
彼らは戦慄し慌ててプリ☆アニの札に持ち替え、自分はマナの味方だといわんばかりに観衆やTVカメラに猛アピール。
「た、大変失礼しました。審査結果の訂正がございます。解散マッチは満場一致でプリ☆アニの勝利となりました。おめでとうございます。皆様、マナさんとプリ☆アニに、そして審査員に盛大な拍手をお願いします」
司会者が機転を利かせたので、怒号は割れんばかりの拍手に変わった。
* * * * *
するとヨーコが言った通り大勢の報道陣が押し寄せてきた。私はマナちゃんの手を引いて、みんなと一緒に楽屋へ逃げ帰った。
この分では報道陣に待ち伏せされて帰宅は困難かもしれない。カケルは出口を確認しに行った。
マナちゃんは、ヨーコから最も離れた片隅で小動物のように震えている。
「大丈夫?」
私が声をかけると、彼女は愛くるしい瞳を潤ませじっと見返してきた。
ううっ。可愛すぎる。
思わず抱きしめそうになるのを私は必死にこらえ、
「それにしても、どうして
「ヨーコさんに、鞍替えしないと食べちゃうって脅されたのぉ」
消えそうな声でマナちゃんは答える。
「ヨーコ……あなた酒呑童子と同じで婦女を食べるのね」
鋭い牙の鬼に襲われた恐怖が蘇り、私はマナちゃんと抱き合いながら、部屋の片隅でブルブルと震えた。
「はぁ? 食べないって言ったでしょ。特に狸みたいな下手物はね」
そう言ってヨーコは、テーブルに置いてあるお菓子を口いっぱいに頬張る。
「じゃあ、どうしてマナちゃんに食べちゃうって言ったのよ」
「狐はイタチを捕食するのよ」
ヨーコは口をもぐもぐさせながら答えた。
「そんなこと聞いてるんじゃ……もしかしてマナちゃんはイタチなの?」
私が尋ねると、マナちゃんはこくりと頷いた。
ノブとハクに視線を向けると、わかっていたとばかりに頷く。
またしても私だけ気づかなかったなんて、地味にショックだわ。
「いつになったら妖怪を見分けられるようになるのかしら。へんちく琳のポンコツ琳は」
ヨーコに小馬鹿にされた私は頬を膨らませ、
「何よ。ヨーコなんか実力で勝つって嘯いたくせに、偉そうに言わないでよね。マナちゃんを脅しただけじゃない」
「イタチは狐に捕食される。それが弱肉強食の世界における力の差よ」
マナちゃんを横目で見ながら、ぺろりと舌なめずりするヨーコ。
蒼白になり大きく震え上がるマナちゃんを、私はぎゅっと抱きしめ、
「心配しなくても大丈夫よ。口ではあんなこと言ってるけど、ヨーコはメンバーを大切にしているの。私をオモチャ扱いしてたのに、命懸けで酒呑童子から守ってくれたんだから。もうマナちゃんもプリ☆アニの大切なメンバーの一員なんだもの」
「ほんとなのぉ?」
私がマナちゃんの耳元で囁くと、彼女は安堵の表情を浮かべ、キラキラした眼差しで見つめてきた。
か、可愛すぎる~。
鼻息を荒くしながら私はマナちゃんに頬ずりする。
「うん。絶対にマナちゃんを食べたりしないから、安心していいのよ」
「それはどうかしらね」
もぐもぐとお菓子を食べながら、ヨーコが茶々を入れた。
「ヨーコ、マナちゃんを揶揄しないでよね。こんなに怯えて、かわいそうでしょ」
「ふん。何がかわいそうよ。猫をかぶった、ぶりっ子じゃない。イタチは意外と凶暴なんだから。特に最後っ屁なんか最悪よ。少しはハクを見習ったらどう? 蛇は、狐や狸に加えイタチも天敵なのに、私たちに囲まれていても平然としているわ。時には猫にだって襲われることもあるのにね、ハク」
閉鎖された室内で周りを天敵に囲まれたハク。とんだとばっちりをくらい、蛇なのに、まるで蛇に睨まれた蛙のようである。
ハクが私たちと距離を置いていたのは、天敵として警戒していたからなんだわ。彼女がいつもオドオドして視線を逸らすのは、てっきりシャイなんだと思ってたけど、私たちを恐れていたからなのね。
そういえば私たちにはいつも引きつった表情だったけど、カケルには優しい表情を見せていたっけ。
もちろん私たち(少なくとも私)は、彼女のことを大切な仲間だと思ってるから、捕食対象には見てない。
「大丈夫よ、ハク。誰も取って食おうとはしないから」
「それはどうかしらね」
「ちょっと、ヨーコ。茶々を入れるのはやめてって言ってるでしょ。ハク、冗談だから気にしちゃだめよ」
私の声が聞こえていないのか、ハクは死んだ魚のような目でぴくりともしない。
「ヨーコ!」
強い口調で私が咎めると、
「な、何よ。冗談に決まってるでしょ。ハクはアタシのオモチャなんだから、食べたりしないわよ」
ヨーコは、ふてくされた口調で返した。
私は、ハクに危害を加えないことを他のメンバーにも明言してもらい、彼女を安心させようとしたのだが、
「ノブもハクを襲ったりしないわよね」
「もちろんだにゃ。メンバーのハクがいなくなれば、きっとご主人さまが心配するにゃ。だから襲いたいけど我慢するにゃ」
我慢するのかい!! 一抹の不安が……。
「もちろん、マナちゃんも──」
くりくりと愛くるしかった彼女の瞳が、獲物を狙う鋭い目つきになっている。
「そんな目でハクを見ちゃダメ!」と、慌ててマナちゃんの顔を両手で掴み私に向けた。
「どうしてなのぉ? マナぴょんは蛇が大好物なのぉ。それに狸だって蛇を美味しそうに食べているのを見たことあるのぉ」
彼女はヨダレを垂らしながら可愛らしく首を傾げる。
「そ、それはそうだけど……」
ハクに視線を向けると、彼女は白目を剥いて今にも昏倒しそうである。
私はぶんぶんと頭を振り、
「ハクは大切な仲間よ。獲物じゃないの。だから──」
「心配しなくても、マナはハクに何もしないわよ。アタシのオモチャに手を出せば、
窘める私の言葉を制し、ヨーコが鋭い視線でマナちゃんに釘を刺す。
「も、も、もちろんなのぉ……ハ、ハクは大切な仲間だから、とっても美味しそうだけど我慢するのぉ」
自分も被食者であることを思い出したマナちゃんは、歯をガタガタいわせながら返す。
ちゃんと我慢できるのかしら? ノブより、こっちの方が心配だわ。
「ハク、みんなもこう言っているから安心してちょうだい」
私が声をかけると、引きつった薄笑いを浮かべたハクは、まるで蛇の抜け殻のようである。
とうとう
帰る場所がなくなったマナちゃんは、カケルの家で同居することになった。
ヨーコが自分のペットにすると言うので、私はマナちゃんがオモチャにされるのを全力で阻止。
イタチ姿の彼女を、私のペットとして飼うことになった。
ふふふっ。これでいつでもマナちゃんを抱きしめることができるわ。
そのときドアをノックする音がして、カケルが入ってきた。
部屋の隅っこでマナちゃんを抱きしめながら至福の表情を浮かべる私を見て、カケルは一瞬固まったあと見てはいけないものを見てしまったという顔で視線を逸らす。もしかして誤解された!? ノブのときもそうだけど、私は決して女の子に興味があるわけじゃないんだからね。カケル。
「ダメだ。どこの出口も報道陣が待ち構えているよ」
「仕方ないわね。とにかく帰るから、カケルは先に車で待っていなさい」
ヨーコの指示に従い、カケルは部屋を出ていく。
私たちは、イタチの姿に戻ったマナちゃんをバッグに隠して、建物の外に出た。
群がる報道陣に、マナちゃんはすぐ後から出てくると伝えると、あっさり包囲網を突破できた。
帰りの車内で隣に座ったカケルは、どこかぎこちなく私と目を合わせようとしない。
「ちょっと、カケル。何か誤解してるでしょ」
私は声を忍ばせて尋ねた。
「な、なんのこと?」
素直なカケルは、嘘がつけないというか、空とぼけるのが下手なのよね。
「その……マナちゃんのこととか」
「安心していいよ。僕はそういうのに偏見を持ってないから。恋愛の形は自由だもの」
カケルは取って付けたような笑顔で返す。
「やはり誤解してる」
「誤解ってノブちゃんのこと? もしかして二股かけてるの?」
「違うわよ!!」
そうだった。まだノブの誤解も解けていなかったのよね。あの状況、どう見ても嫌がるノブから服をはぎ取っているようにしか見えないもの。
「じゃあ、どっちが本命なの?」
「どっちとかじゃなくて、あれは……そう、親睦を深めるためのスキンシップ。新メンバーのノブとマナちゃんに早く馴染んでほしかっただけ。だから百合だとか思い違いしないでよね」
「ん~、うん。わかったよ」
カケルは曖昧な笑みを浮かべながら頷いた。絶対にわかっていないでしょ!
こうして、プリ☆アニに
とにかく可愛くて抱きしめたくなる、メンバー最年少の十三歳。
全国に多くのファンを持つ彼女は、プリ☆アニの絶対的エースである。
ヨーコは認めないだろうけど。
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