『このミステリーがすごい!』大賞を駆け抜ける

 5月、僕は過去作「重力の蝶」を改稿していた。

 以前新潮ミステリー大賞に応募した作品だが、規定枚数に合わせるために冗長な部分をたくさん作ってしまっていた。


 ただ、月末に締め切りがある『このミステリーがすごい!』大賞は40文字×40行で100枚以上なので、新潮より下限にかなり余裕がある。


 僕は余計な文章を徹底的にそぎ落とした。ハードボイルド文体を使っているのだ。無駄を省き、筋肉質な文章を心がけた。


 こうして5月末、直した原稿がかなりスマートになった。これなら去年よりは戦える原稿になっているはず。


 早速このミス大賞に応募した。


 そのあとはネットで情報を集めた。

 ツイッターで毎日検索をかけたし、某掲示板のスレも数日に一回は覗いた。


 このミス大賞は一次選考委員の名前が公表されているので、その方たちのツイートには目を光らせていた。


 その間にミステリーズ!、カッパ・ツー、星海社FICTIONS新人賞で落選を叩きつけられて、7月になる頃には僕は自信を喪失していた。


 新しい原稿を書くこともできないまま、僕は次の応募先だけ探す日々を過ごした。毎日新人賞のサイトを見ては、「あの原稿なら書き直していけるか?」などと考えていた。


 そして、某掲示板の情報によると、このミス大賞は一次通過者にメールがあるらしい。過去に応募者がメールをSNSにアップしてしまい問題になったケースがあったので間違いないようだ。


 僕はメールを待っていた。

 しかしなかなか来なかった。7月の第一週が過ぎて、メンタルが死にそうになった。が、ほぼ諦めの境地に達した頃、メールが来た。


 通った……!


 興奮のあまりその日は眠れなかった。


 7月下旬、このミス大賞のホームページに一次通過者の名前と応募作の講評、作品の冒頭がアップされた。


 僕の作品を読んでくださったのは書評家の村上貴史さん。意識した場所を褒めていただき、にやにやが止まらなかった。しかも村上さんは二次選考委員を兼任している。その方から高評価を得たのはかなりのプラスではないかと思った。


 8月になった。

 前年の第二週、二次選考会があったというツイートを発見していたので、僕はドキドキしながら待っていた。しかしお盆休みに入っても何の音沙汰もなかった。


 あれだけ褒められたのにダメだったのか? それとも単に連絡はお盆明けなだけ?


 精神がくたびれてしまい、お盆の連勤はいつもの年より疲れた気がした。


 そしてお盆が明け、電話がかかってきた。

 最終選考に残りました、おめでとうございます。――というものだ。


「やった!」と、電話を切ったあと僕は叫んだ。今度こそいけるはずだと思ったのだ。


 僕が新作を書けないのは家庭に追い詰められているからだった。このミス大賞は、大賞賞金1200万、優秀賞でも200万だ。


 それだけあれば家を出ていくことができる。執筆だけに集中できる環境を長期間作れるのは間違いない。そう思った。


 このミス大賞の受賞作に書かれていることだから書いてもいいと思うのだが、最終選考会は8月28日だった。


 当日、僕は仕事から帰ってくると、すぐ風呂に入って部屋で電話を待った。


 6時半を過ぎても何もなく、緊張感だけが高まった。


 そして6時45分。電話が鳴った。


 編集者さんは、お待たせしました、たったいま選考会が終わりました、と言ったあとに告げた。


「雨地さん、残念ながら今回は選外となりました」


 その瞬間、目の前が真っ暗になった。

 比喩ではなく、本当に一瞬だけ何も見えなくなった。


「来年もぜひ応募していただければと思います」と言われ、編集者さんとの通話は終わった。


 あまりにあっけない終戦だった。

 ショックが大きすぎて夕食がほとんど喉を通らなかった。

 家族に報告した時の気まずさはひどいものだった。


 そして、あの電話の内容では、このミス大賞の名物である文庫隠し玉による刊行もなさそうだ、と思った。


 こうして、3回目の最終選考もむなしく散ったのである。


 なお、このミス大賞の選評はホームページでいつでも読めるようになっているので、雨地がどんな道をたどって落ちたのか、興味のある方は第18回の選考経過を見ていただきたい。

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