人間、余裕がないと短絡的になりがち

 ネーム原作の持ち込みが終わると、僕は小説原稿の執筆を再開した。2月上旬である。


 狙いは5月10日締め切りの日本ミステリー文学大賞新人賞。今年こそ受賞して、かっこいい装丁の本を作ってもらいたい。そして、今度こそ綾辻行人さんに褒めていただきたい。その想いが強かった。


 書きたい話が一つ決まっていた。

 以前、2015年の日本ミステリー文学大賞新人賞に応募した「重力の蝶」という作品。

 あそこで使った、地方都市の温泉街を舞台にした話をもう一度書きたいと思っていた。


 前回はハードボイルド文体を利用して、語り手が男だと思ったら女だった――というトリックをやった。しかし推敲が万全とはいえず、初歩的なミスがたくさんあった。そもそもトリック自体、やっぱりこのくらいでは驚いてもらえないよな、とも感じた。


 そこで、温泉街という場所をうまく利用したいと考えた。

 温泉街を仕切るのは暴力団だ。

 彼らから主人公が追われる展開はどうか。何かしらの出来事がきっかけでにっちもさっちもいかなくなってしまう。しかし、その「何かしらの出来事」には裏があった、というような。


 今まではストーリーやどんでん返しを先に作ることが多かったが、今回はキャラクターを先に考えた。仕掛けが思いつかなかったからだ。


 ストーリーは一切考慮せず、登場人物一人一人の経歴を積み上げてみると、「この人のこのエピソードはこういう形で活かせそうだ」という部分が次々に出てきた。

 それらを一つにつなぎ合わせることによって、この人間関係ならこんな事件が起きる――という連想につながっていった。


 続いてストーリーのプロット。いつものようにフローチャート式で作った。どこで何が起きるかを明確にする。


 こうしてストーリーラインがはっきりした。メインとなるどんでん返しも無事に構築できた。

 中身からして、タイトルは「重力の蝶」のままでいいだろうと判断した。日ミスの下読みの方がタイトルを覚えていたら使い回しだと思われるかもしれないが、冒頭からまったく違う話であることは明確にしてある。問題ない。


 あとは書くだけだ。

 叙述トリックによる性別の誤認はさくっと捨てて、最初から女性主人公の一人称で進めた。しかし短文でたたみかける文体は維持。ドライブ感のある読み心地を出したかった。


 一回勢いに乗ってしまえば一気に進む。上京が刺激になっていたこともあって、原稿はグイグイ進んだ。


 しかし、ここで問題が発生した。


 2月中旬。

 前年の日本ミステリー文学大賞新人賞の受賞作(僕が負けた作品)である北原真理さんの『沸点桜ボイルドフラワー』が刊行された。帯を見てギョッとした。


 ちょっと編集して抜き出すと、『幼い頃から虐待され、悲惨な人生を歩んできた女二人』といったことが書かれていたのだ。


 これは、「重力の蝶」の主人公と親友の境遇とまったく同じなのだ。しかもハードボイルド文体もかぶっている。


 非常にまずい。

 前回の受賞作と同じ傾向のものを送ってこられてもねえ……という話になってもおかしくないからだ。


 しかし原稿はもう半分を過ぎている。執筆ペースも快調だ。今から新しい作品を書くのは、何か違う気がする。


 だったら日本ミステリー文学大賞新人賞に応募するのはやめて、別の賞を狙うしかない。

 目標があるからこそ日ミスを狙っているわけだが、かといってわざわざ不利なところに送って落ちたら目も当てられない。


 数日考えた結果、『このミステリーがすごい!』大賞を狙うことに決めた。同じ5月締め切りだし、原稿枚数が40文字×40行換算で100枚以上となっていたからだ。


 400字詰め換算(20×20)と、40×40そのままではだいぶ差がある。後者の文字組みでかなり枚数を使ったと思っても、前者に換算してみるとおなじみ350枚にはまったく届いていなかったりする。


 今回の「重力の蝶」第2バージョンも、また日ミスの下限350枚に届くか怪しい雰囲気だったので『このミス』大賞ならちょうどいい。そう思って書き進めた。


 その途中――2月下旬に創元SF新人賞と、俺のラノベコンテストの発表があった。どちらも一次落ち。しかも、二日連続で結果を叩きつけられるという有様だった。


 情けなかったが、今は新しい原稿を書き上げるだけだ。そう自分に言い聞かせて作品と向き合った。


 結果的には3月上旬に、原稿を無事書き終えた。長編はだいたい1~2ヶ月くらいで完成する。これが僕の平均スピードのようだ。

 5月まで時間があるので、1ヶ月はまるまる原稿を寝かせるつもりだった。


 しかし、やはりうまくいかないのだった。


 今回の作品も、認知症の祖母の面倒を見ながら書いていた。時には母や弟に丸一日世話を任せてしまったりもした。祖母はどんどん症状を悪化させており、日本語を話しているのに何を言っているのか全然わからなかったり、急にキレたりして僕らを困らせた。自分が家で一番えらいと思い込んでいるようで、超上から目線で指図されることも一度や二度では済まなかった。


 介護施設に入れるお金はない。唯一の頼みは週3回、デイサービスに預かってもらうことだったが、それも「絶対に行かない」と言い張って休んでばかりだった。


 みんな苛立ちを募らせていた。いつも、誰かが祖母と言い合いをしていた。僕も時おり怒鳴り散らした。そして自己嫌悪に陥るループ。そもそも僕は、人の怒鳴り声がものすごく苦手だ。言い合いの声が聞こえるだけで頭がどうにかなりそうだった。


 さらに3月中旬になると強力な低気圧がやってきた。ぼくはいつの間にか低気圧の影響を受けやすい体になっており、連日無気力状態になって何もできなかった。


 そこに母と弟からも追撃がやってくる。

 以前は「受賞できるといいね」だったのが、いつしか「いつになったら受賞できるの?」に変わった。みんな余裕を失っていた。たびたびプレッシャーをかけられ、完全に参ってしまった。


 3月の僕は、気が狂う寸前だったと思う。

 家を出て街で仕事を探そうかとも考えたが、無理そうだった。

 今の職場は僕の統合失調症について理解してくれていた。就業規則もかなりゆるい。これが市街地へ出て仕事を探すとなると自信がなかった。メンタルバランスを崩した時、職場にどう言い訳するのか。そもそもそんな人間を採用してくれるところはあるのか。住む場所は? 家賃はどうする。実家にいるからどうにかなっているのが現状じゃないか。


 受賞しなきゃ。受賞すればこの地獄から逃げられる。2回も最終候補になったじゃないか。いけるいける。


 結局、そんな結論にたどり着く。


 そして僕は思った。

 5月まで待っていられない。一刻も早く結果を出したい。

 とにかく焦っていたのだ。


 目の前には、第5回新潮ミステリー大賞の締め切りがあった。手元には、すでに完成した原稿がある。


 400字詰めに換算してみると、下限350枚に少し届いていない。僕は迷わず文章を足した。書く必要もないことを書いて、下限ギリギリに到達させた。

 かつて、自分が極力避けようとしていたことを積極的にやっていた。


 規定を満たしたところでざっと全体を見直し、新潮ミステリー大賞に「重力の蝶」を応募した。3月下旬のことだった。


 少なくとも、その時は何も後悔していなかった。

 ただただ、受賞してくれとだけ思っていた。

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