「あなたの作品が最終選考に残りました」

 とある事情により某月某日と書かせていただく。


 その日、僕はいつも通りに出勤していた。


 午後三時の休憩時間になり、事務所に戻った。職場は山奥にあって電波が弱く、事務所以外の場所だと携帯が使いづらいことこの上ない。


 僕はコーヒーを飲みながら携帯の電源を入れた。


 不在着信が一件。


 電話番号は03から始まっていた。


 心臓がバクっと音を立てた。


 ――03は東京からの電話だったはず……。


 瞬時に、3月に応募した新潮ミステリー大賞のことではないかという考えが頭をよぎった。


 まさか、最終選考に残ったとか……。


 いやいやいや、待て待て待て。


 僕はその考えを打ち消そうとした。


 しかし、考えてみればおかしな話だ。


 新人賞に応募する時は、常に受賞するつもりで作品を送り出している。だから最終選考に残ったのなら喜ぶべきところだ。


 一方で、あまりに一次落ちを経験しすぎたせいか、「やっぱり新人賞というのは特別な才能のある人だけが受賞できるものなんだろうなあ」という思いが強くなっていたのも事実だった。


 どうしようか迷った。かけ直すべきなのか。


 ――というか、そもそも本当に新人賞関係の電話なのか? 何かの会社の案内だったりするのでは?


 そこで閃いた。


 僕は新潮社の公式サイトにアクセスした。そこでお問い合わせのページを開き、電話番号を確認する。

 近い。

 かかってきた番号と少し違うだけだった。

 部署によって電話番号は微妙に異なるのが当然だし、これはもう新潮ミステリー大賞の電話で確定だろう。


 でも、ためらいは残る。


 かけ直して、まずなんと名乗るのか。本名か、ペンネームか。それにかけてきてくれた人が電話をちゃんと取ってくれるのかという不安もあった。


 休憩時間いっぱい散々迷った末、結局僕は電話をかけなかった。重要な話ならきっとまたかかってくるはずだ。


 そう考え、携帯を持って持ち場に戻った。携帯が電波を拾おうとして、すごい勢いで電池が減っていった。


 そして終業三十分前くらいのこと。


 携帯が着信を告げた。さっきと同じ番号。


 慌てて他の人にその場を任せ、電話に出た。


 やはり、新潮社の編集者の方だった。相手が名乗った瞬間、僕は思わず座り込みそうになった。それくらい、現実感がなかった。


「あなたの作品「絶滅蝶洗礼」が新潮ミステリー大賞の最終選考に残りました」


 相手は言った。


 電波が弱く、声はだいぶ遠かった。

 衝撃のあまり、僕の意識も遠ざかりかけていた。


 相手は、まず僕の作品のよかった点について複数挙げてくれた。

 プロの編集者の方に褒めてもらえるなんてことは、もちろん初めてだ。僕はひたすら「ありがとうございます」を繰り返した。


 ペンネームの由来も訊かれた。そして最終選考会の日程を教えてもらい、何時くらいには電話が取れる状態でいてほしい、と告げられた。


「わからないことがあれば、遠慮なく電話をください」と相手は言ってくれ、電話が切れた。


 職場の人たちは僕が小説家を目指していることを知っている。受け答えしている様子からだいたい内容を悟られ、最終選考に残ったことはその場で即ばれてしまった。


 みんなの祝福を受けて帰り、家族に報告すると、母と弟はとても喜んでくれた。ろくでもないことが続いたあとだっただけに、嬉しさ倍増という感じだった。


 一次選考で足踏みしていた自分が、いきなり最終候補。


 実感が湧くまでに時間がかかった。


 そして喜びは日増しに大きくなっていった。


 最終選考では、プロ作家に自分の原稿を読んでもらえるのだ。


 新潮ミステリー大賞の選考委員は、伊坂幸太郎さん、貴志祐介さん、道尾秀介さんという超豪華な顔ぶれだ。この三人に審査される。落ちたとしても、選評で自作に触れてもらえる。


 なんだかすごいことになってきた。

 わくわくが抑えきれなかった。


 少なくとも「絶滅蝶洗礼」は、書いた時点での自分の全力を注ぎ込んだ作品だ。


 受賞してほしい。


 あとは祈ることしかできなかった。


 僕は選考会までの毎日を、落ち着かない気分で過ごした。

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