六(でもない)月

 新潮ミステリー大賞の応募を終えて、4月を迎えた。


 電撃小説大賞の締め切りが近づいていた。しかし、新潮の原稿でいっぱいいっぱいだったので、何も出せそうになかった。


 そして締め切り二日前。


 僕は突然思い立った。


「蒼海のガンマディオラ」を、もう一回だけ応募してみようか……。


 すでに改稿を加えながら三回も応募している。


 さすがにしつこすぎる。諦めが悪い。無駄にもほどがある。――そんな感情が渦巻いたが、電撃は年に一回しかチャンスがない。業界最大手の意見をもらえるならもらいたい。そんな思いが強くなった。


 同じ下読みさんに当たる可能性は低かった。講談社ラノベ文庫にはこの作品を二回投稿しているが、ここは編集部が一次からかなりの割合で関わっている。MF文庫と電撃が同じ下読みさんを使っていなければ、既視感の問題で減点される可能性はなくなるはずだ。


 僕は丸一日かけ、大慌てで改稿した。


 電撃大賞のフォーマットに落とし込むとページ数がオーバーしてしまう。なのでひたすら削る作業を行った。章変えの空白をなくし、章と章の間は三行開け、章題のフォントをゴシック体にしてわかりやすくした。


 こうしてなんとか体裁を整えた僕は、4月10日、電撃小説大賞に原稿を応募したのだった。


 こうなったらあとは待つだけだ。


 祖母の面倒を見つつ、冬期休業明けの仕事にも行き、家の農作業も積極的に手伝って……そんな日々を送った。


 五月が過ぎ、六月になった。


 僕の家では田んぼを作っているのだが、この年、異変があった。


 水がすぐになくなってしまうのだ。


 どこかに穴でも開いたのか、水を溜めておいても翌朝には泥が顔を出している状態だった。畦の土が濡れていることもあり、その近辺から漏れているのは間違いない。穴を手探りで見つけては石を詰め込んで塞いだ。


 そして、雑草の問題もあった。

 いつになく多いのだ。すでに稲は大きくなっているから、倒さないよう気をつけつつ、田んぼの中に入って草をひたすら抜き続けた。汗だくになって、シャツを絞れば汗がしたたり落ちるほどだった。


 さらに、畑をイノシシに荒らされた。

 カボチャを掘り返され、今後の成長は見込めない状態にまでさせられてしまった。しかも畑でゴロゴロ転がり回ったらしく、悪臭がすさまじい。イノシシはマーキングのため、体に自分の尿や糞の臭いをつけていることがある。それを地面にこすりつけて縄張りアピールをするのだ。たまったものではない。去年までだったら、愛犬が夏毛に生えかわる次期だったので、抜け落ちた毛を袋に詰めて畑のあちこちに吊しておくだけで近寄らせないようにできた。それが今年からはできない。


 で、隣人がおかしくなった。

 ある日、すれ違った瞬間にすさまじい声で「待て!」と言われた。六十過ぎのおっさんである。何事かと思ったら、「ちゃんと挨拶をしろ!」と言うのだ。意味がわからなかった。僕は近所の人全員に、会うたび必ず頭を下げて挨拶をしていたからだ。


 この人は耳が聞こえない。なので、いつも深めに頭を下げるようにしていた。それを見ていなかったのだろうか。とにかくすごい剣幕で、「俺を無視してそんなに面白いのか!」とか「楽しんでるだろ!」とか、理不尽としか言いようのないことをまくし立てられて唖然とした。ついには、「こうやって挨拶しろ!」といきなり頭を掴まれてむりやり下げさせられた。


 この出来事はあまりにショックだった。

 今までは何も言ってこなかったのに、なぜ急にそうなったのか。ここまで僕の精神状態は比較的安定していた。だが、これで一気にダメージを受けた。解放されたあと、僕は泣いた。勝手に涙が出てきてしばらく止まらなかった。あまりに恐ろしく理不尽だった。


 認知症になりかけなのかもしれない、と家族の間で話が出た。翌日、母は抗議に向かった。――が、向こうは耳が聞こえないことに加え、一方的にしゃべりまくってくるので議論にならない。帰ってきた母は、玄関の戸を閉めるなり「ああああ!」と絶叫した。


 こんなことが連続で起きて、僕は――というか母も弟もぐったりしてしまった。


 なのに、さらなる問題が発生した。


 メイガという蛾がいる。こいつが、保管しておいた米に卵を産みつけたのだ。知らないうちに卵が孵り、家の中を大量のメイガが舞うことになった。座敷の壁はメイガだらけ。僕は片っ端からティッシュで潰していったがとても追いつかない。次の幼虫も米袋の中でうごめいているし、圧倒的に手が足りなかった。

 毎日コツコツと蛾を潰し、薬を撒き、数を減らしていったが、それでもどこからともなく湧いてくるのだった。

 しかも物の隙間に落ちた死体からはダニが発生して、腕や足に発疹が出た。


 ――なんだこれは?


 地獄のような一ヶ月だった。


 このあと、田んぼの水やメイガの問題は解決に向かっていく。隣人のおっさんとは一切関わらないことにした。


 それで生活はマシになっていくのだが、ここまで苦痛が続いた一ヶ月というのは、愛犬と祖母の介護を同時に行っていた昨年の12月以来だった。


 そろそろいいことが起きないかなあ……。


 そう思わずにはいられなかった。


 その6月が終わりにさしかかった頃。


 僕は原付で心療内科に行った。

 帰りの山道を走っていた時、右側の急斜面から、鷹が滑空してきた。鷹は僕の目の前をサッと横切ると、そのまま谷の方へ飛んでいき、大きく羽ばたいた。


 初めての光景に、僕は思わず原付を止めて、しばらく鷹の姿を見つめていた。


 吉兆だったらいいな。


 そんなことを思った月末だった。

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