親と子のdistance

白川津 中々

第1話

 親子丼。

 それは鶏肉。卵。出汁。味醂。醤油。砂糖があれば誰でもできる手軽な家庭料理の一つである。だが、誰しもが一度は考えた事があるのではないか。丼に盛られた卵と鶏肉は、果たして血の繋がりがあるのだろうかと。スーパーで無作為に手に取った両者が母鶏と雛だとしたら悲劇的な運命である。薄れつつ倫理観に一石を投じる社会派作品が出来上がる事請け合いだろう。しかし、今俺の目の前に置かれた親子丼はそうはいかん。なぜなら鶏肉はブラジル産で卵は国産だからである。スーパーの卵は品質保持の観点から産まれて日の浅い新鮮なものが並べられる。日本とは真反対に位置するブラジル産の卵が店先に陳列される事はまずないと言っていいだろう。つまりは、この二つはどう足掻いても親子ではないのである。そうなると、俺が今箸を伸ばさんとしているこの丼料理を親子丼と呼ぶのであれば偽詐が生じてしまうのだ。では、いったいこれは何か。うむ……他人丼? いやいやそれは豚と卵だ。だいたい鶏と豚派は人ではない。家畜だ。家畜に人の文字を当てるとは烏滸がましい話ではないか。実にナンセンスである。


 ……話が逸れた。親子丼の話だ。


 親子が無理ならばどのような名称が妥当だろうか。豚と違い両者は同種。ならば成体である鶏に主を置き、鳥丼とするのはどうか。いや、それでは卵を軽視し過ぎる。成幼の差はあれどどちらもおかずとしては甲乙つけ難い逸品。やはりいずれの顔も立てねばならぬ。むぅ。これは難儀だ。この難題を解決せぬ事には、俺は昼飯を済ます事ができぬのだが、頭を使えば腹が減り、腹が減れば頭が回らぬ。回らぬ頭では腹が減るばかりで、腹が減れば、やはり頭が回らぬのだ。なんともはや、立派なジレンマである。いや、腹が減っているから頭が回らず、頭が回らないから腹が減るのか? 


 ……卵が先か鶏が先か、それが問題だ。

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親と子のdistance 白川津 中々 @taka1212384

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