28.可愛い




 祓い屋で働いてから、こんなにも可愛いものに出会ったのは初めてだった。

 僕は目の前にある存在に触れていいのかどうか分からず、ただ震えるしかない。


 そんな僕をかなり下の位置から見上げるそれは、種類で区別するならば何なのだろうか。

 1番フォルムが近いのは、子供のアザラシな気がする。

 しかしそれにしては、頭の上に生えている猫耳が説明出来ない。


 その耳がプルプルと動いていて、とてつもなく庇護欲を誘われる。


「こ、これは何ですか?」


 衝撃を受けたまま、僕は近くにいた村上さんに問いかけた。

 これを持ってきた本人なのだから、知っているに決まっていると思っての質問だったのだが、彼は一言。


「知らん」


 それだけだった。

 彼ならその答えもありえたのかと、僕は結局何だか分からないその子を抱っこする。


 鳴けないのか声を出さなかったが、その子は僕の胸にすり寄ってきた。

 人懐こい様子に、あるはずの無い母性本能がくすぐられる。



 何て可愛いんだろうか。

 自覚するぐらいデレデレしてしまい、村上さんが冷たい視線を向けてくる。


 言いたい事は分かる。


 それでも僕は、腕の中の存在を愛でずにはいられなかった。


「名前は何にしましょうか。白いからシロ。それかネコアザラシ? は長いか」


「お前、ネーミングセンス無いんだな」


 村上さんの言っている事なんて、全く気にならない。

 とりあえず仮の名前だが、シロに決めて僕は体をふわふわ撫でた。


「シロー。君はどこから来たのかな?」


 そう聞いた所で分かるわけがない。

 ただただつぶらな瞳で見つめられて、癒されるだけだった。





 とりあえず、シロは祓い屋で飼う事になった。

 なんだかんだいって、村上さんも世話をしてくれるのだから今やマスコット的存在になっている。


 その間シロの飼い主という人は現れていないし、正体が分かるという事も無かった。



 日に日に成長しているのか、抱っこすると重みを感じるようになってきた。

 その重みさえ愛おしいのだから、僕はもう重症である。


「シロー。ご飯だよー」


 結局鳴かなかったシロの大好物は、面白い事にお餅だった。

 しかも何もつけていないシンプルなものが良いらしく、焼いたり茹でたりして作り方を変えてあげている。


 餅を精一杯体を使ってのばしながら食べる様子は、本当に可愛くて何度も見たくなる。

 もしかしたら、そのせいで重くなってしまっているのだろうか。


 そうだとしたら健康の管理が上手くいっていない事になる。

 僕の責任になってしまうので、それは勘弁したい。





 本当にシロは可愛い。

 ずっとずっと一緒にいたい。


 そう思うぐらいには、愛着がわいてきている。

 シロも僕に懐いてくれているので、ペットを飼った事は無かったがこういう気持ちなんだろうなと嬉しく思う。


「シロ。シロはずっと、ここにいていいんだからね」


 何度も何度も、その体を撫でて言い聞かせている。

 しかしそれが無理な事は、僕が一番分かっているのだ。


 少し前に村上さんが教えてくれた。

 シロは、この世のものではないという事を。


 だからいずれは、あるべき場所に戻らなくてはならない。



 何時になるかは分からないらしいが、別れは覚悟しておけと言われた。

 それなら思い出をたくさん残そうと、写真を撮る事を僕は始める。


 お餅を食べている姿。

 寝ている姿。

 笑っている姿。

 僕の腕の中で安心している姿。


 家の中からカメラを引っ張り出して、新しくSDカードを買って何枚も撮っている。



 たくさんたまっていくメモリーに、顔はだらしなく緩んでしまう。

 これがあれば、もしも別れる事になったとしても苦しくないように。





 そして写真が何百枚にもなった頃、突然別れの日は来た。

 その日は、シロの雰囲気が悲しげだった。


 見た瞬間、分かる。

 ああ今日、さよならしなきゃいけないのか。


 僕は胸が苦しくなったが、シロにそれがばれないように笑顔を意識した。


「シロ。今日は、良いお餅買ってきたんだ。一緒に食べようか」


 言葉の分かるシロは、悲しそうにでも嬉しそうに近づいてくる。


 何度も何度も撫でて、僕はその感触を手に覚えさせる。

 お餅を大事に大事に食べる姿を、カメラにも目にも焼きつける。


 別れは悲しいものでは無くすために、笑おう笑おうと思っているのだが、涙は勝手にあふれ出てしまった。

 しずくがシロの体に当たり、僕の顔を見上げてくる。

 しかし泣いている姿は見せたくなくて、手のひらで目の部分を覆った。



 ずっと部屋の中にいた村上さんは、今まで何も言わなかったが僕の肩に手を置く。

 それが別れの合図。

 僕はまた、優しく体を撫でるとシロを抱き上げた。


「じゃあね。元気でいるんだよ」


 額と額を合わせて、シロのこれからの未来の安泰を願う。

 シロも僕を体いっぱい使って包み込んで、そして離れた。


「シロ。バイバイ」


 最後は村上さんが、シロを抱き上げ僕達は別れる。

 その悲しそうな顔は、僕の頭にしばらく残った。





 シロと別れてからの僕は、まるで抜け殻の様にやる気がなくなっていた。

 何をしても手につかず、村上さんに何度も迷惑をかけてしまう。


 それが何度も続いたからか。


「お前、いい加減にしろよ」


 とうとう村上さんを怒らせてしまった。


「すみません」


 悪いのは僕だと分かっているので、ただ謝る。

 しかしその言葉も、どこか気の抜けたものになってしまう。


 だからなのか彼は深いため息をついた。


「そんなんじゃ、シロにもう会えないぞ」


「その言い方はまた会えるみたいですよ。……まさか会えるんですか?」


 僕は彼の言葉に、希望を持ってしまう。

 そんなわけないと思ったが、勢い良く詰め寄った。


 しかし村上さんは紅茶を催促して、話を先延ばしするという意地悪をしてくる。

 その行動にイラッとしたが文句を言う事は出来ないと、我慢して僕は紅茶を淹れに行く。



 丁寧に入れた紅茶を一口飲んだ村上さんは、ようやくゆっくりと話し始めた。


「シロは神様もどきというか、見習いみたいなもんだったんだよ。本当だったら、そのままの状態で終わる存在だった。だけどお前がかいがいしく世話をしたから、神様になれる可能性が出てきたんだ」


「え。そ、それで?」


 あんな可愛い生き物が神様?

 衝撃が僕を包み込むが、話の続きを聞きたくて彼を促す。


「でもお前がそんなんじゃ、シロも力をためられない。こういうのは信仰の力が大事なんだ。シロの為を思うなら、そんな腑抜けたままじゃ駄目だ。神様になったら、力もあるから会いに来てくれると思うぞ」


 シロが神様になる。

 そうしたらもう一度会えるのか。


 僕はその僅かな希望に、目の前が明るくなるのを感じた。

 また会える。

 シロに会える。

 それだけで、元気がどんどんわいてきた。


「ぼ、僕頑張りますね!」


「おう。ちゃんと働けよ」


 現金な事に、僕は仕事のやる気を取り戻す。

 村上さんはとても楽しそうに、僕を見ながら良い笑みを浮かべた。


 何だか良いように操られた気がするが、シロの為なら気にならなかった。




 何日後、何年後になるかは分からない。

 会えるその日までは、写真を見て何とか過ごそうと僕は決心した。

 あのモフモフに変わるものは無いから、早めに戻ってきて欲しいが。



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