7.行きつけの店




 僕の雇い主である村上さんは意外にも、コーヒーではなく紅茶派だ。

 だから祓い屋の事務所には、多種多様の種類の茶葉が置いてある。


 それを補充するのは、僕の仕事の1つだ。





「今日は暖かいですね」


「そういう時期だからだろう」


 茶葉を売っている店に行く道で、僕から投げかけた会話のキャッチボールは受け止めてもらえなかった。

 それに少しはへこむが、たまに返って来る時もあるので話しかけるのを止められない。


 歩く道に、植えられている桜も咲き始めている。

 春の訪れに、すさんだ心も穏やかになる。


 隣の村上さんは、そんな事を考える感情があるのだろうか。

 少し考えてみたが、答えは出なかった。


 僕に理解出来る人ではないのだ。



 ぼーっとしながらも進んでいれば、当然目的地に着く。

 小さな佇まいの、一見すると何の店か分からないような外観。

 しかしここのお店で取り扱っているものしか、村上さんは受け付けない。


 だから何ヶ月かに一回、補充をするために彼と連れ立って買い物に行く。

 それが少し楽しみではあった。




「こんにちは。お久しぶりです」


 店の扉を開けて声をかける。

 しかし店の中から、返事は無い。


 いつもなら、すぐに店主がしかめ面で出迎えてくれるのだが。

 今日は珍しい。

 誰もいる気配がしない。

 僕は後ろにいる村上さんに、話しかける。


「扉は開いていたんですけど、誰もいないみたいです」


 その瞬間、彼の機嫌が最悪になったのを感じた。

 慌てて店の中に向かって、もう一度声をかける。


「すみませーん。祓い屋のものですが! いつもみたいに茶葉を買いに来ました!!」


 今度は、比較的大きな声を出した。

 しかし誰も出て来ない。


 後ろから大きな舌打ちが聞こえてくる。

 これはいよいよ、気まずい。

 僕は店の中を観察する。


 特に変わった様子はない。

 ただ誰もいないだけ。


 それが一番、おかしいんだと僕は祓い屋で働き始めてよく知っていた。

 まだ今回は、村上さんが一緒で良かった。

 良かったのだが、機嫌がとても悪いので刺激しない様に、何とか解決してもらわなくてはならない。



「何でしょうね。店主のおじさんはどこに行ったんでしょう」


「知るか」


 今はこうだが、解決しないと紅茶を手に入れる事は出来ないと分かっているはずだ。

 あとは時間が何とかしてくれるだろう。

 それまで僕は店の中を見てみようと、少し探索することにした。


 紅茶が小さな瓶に詰められて、綺麗に並んでいる。

 僕には分からないが、ここの品ぞろえは結構凄いらしい。



 その中で、僕はあるものを見つけた。


「へー。初心者向けのお試し茶葉か」


 1回分の茶葉が、小さな袋に詰められている。

 ご自由にどうぞ、というポップが前に置かれていた。


 僕はそれを1つ、ありがたくもらう。

 先生を見ていて、僕も紅茶が飲みたくなった。

 しかし他のお茶は良くても、紅茶だけは飲ませてもらえなかったので、これはちょうどいい。


 満足して村上さんの方を見ると、そこにはシャドーボクシングなのか空中を殴っている姿があった。


「な、何しているんですか?」


「ん? 最近、運動不足だったから」


 普通だったら間抜けになりそうだったが、彼がすると妙に様になっている。

 僕はその洗練した動きに、少し見とれてしまう。

 ボクシングをやっていたという話を聞いた事は無いが、もしかしたら経験者なのかもしれない。


 しばらく見ていると、急に村上さんのこぶしに変化があった。

 何かを殴っているような、手ごたえを僕はその動きから感じた。


「む、村上さん。何か殴ってませんか? もしかして」


「運動不足を解消しているだけだが?」


 激しい動きなのに、息を全く見ださず彼は殴り続ける。

 それを見ている僕には、断末魔の悲鳴が聞こえてくる気がした。

 分からないけど、きっと今殴られているものは後悔しているだろう。


 村上さんが来るこの店に出てしまった事を。

 そして不機嫌な彼を相手にしている事を。


 まあ、運が悪かったというわけだ。




 それから大体10分後。

 とてもすっきりとした顔の村上さんが、そこにはいた。


 僕は機嫌を直す努力をしなくて済んだと、ポジティブに考える。


「一旦、ここを出るぞ」


「あ。はい」


 村上さんは辺りを見回し満足したのか、店の扉を顎で指す。

 僕は言いたい事を理解し、頷いて外へと出た。


 そのまま近くの公園に行き、少しだけ時間を潰した。

 頃合いかなという時間になると、特に何も言わず店へと戻る。


「いらっしゃい」


「こんにちは」


 店に入ると、しかめ面の店主が僕らを出迎えた。

 やはり先ほどのは、何かに巻き込まれたという事か。


 店主の前にある飲みかけの紅茶、色々な種類の新聞、雑誌が彼がずっとここにいたのを証明していた。

 しかし特に何も言わず、村上さんが茶葉を選ぶのを待つ。

 彼は少し楽しそうに、店主と話して選んでいた。


 店主の顔も彼と話している時は、少し柔らかくなっている気がする。

 僕はやる事が無いので、手持ち無沙汰に店内を見回していた。



 そして気が付いた。


「あの」


 僕は2人が話している途中ではあったが、店主に声をかける。


「なんだい?」


 話を遮られたからか、少しむっとした顔を向けられる。

 それに少し怯みつつも、僕は聞かなくてはならない事があった。


「ここのお店って、初心者向けに紅茶の試供品置いてないですか?」


 問いに店主は胡乱げな表情をする。


「そんなのやってないよ」


 たった一言。

 それだけだったが、知りたい事は分かった。


 僕はポケットに手を入れる。

 くしゃりという感触があった。

 確かにあの時、もらった茶葉は消えていない。


 それは一体どういうことなのか。


「飲んでみれば分かるかもな」


 村上さんの冗談は、僕にとっては笑えなかった。




 その後、お店に試供品が置かれる事になる。

 僕の話からアイデアをもらったと店主は言っていたが、試してみる気にはなれなかった。


 ポケットの中に入っていた茶葉は、捨てるのも何だか怖くて未だにとってある。

 事務所にあれば変な事にはならないだろう。



 しかし最近、飲んでみたいという欲求が顔をのぞかせる。

 それを抑えるのに必死だ。




 飲んだ後の保証は、きっと村上さんにも出来ないだろうから。




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