3.いる? いない?




 祓い屋の事務所に行くまでの道にある大きな池。

 何があったわけではないが、そこを通るのがどうも苦手だった。


 しかし他のルートは無く、いつも目を閉じて早歩きで行く。

 人がいる時に目立って仕方が無いので、段々とストレスになっていた。



 だからある日ついに耐え切れなくなり、無駄だとは思っていたが事務所の所長である村上さんに相談をしようと決めた。





「別にそこで殺人事件が起きたとか、幽霊が出るとかそういうわけじゃないんです。でも何だか嫌な感じがするんですよね」


 僕の話を、彼は特にリアクションもなく聞いていた。

 何を考えているのか分からないような顔で、ただじっと見てくる。


「村上さんはどう思いますか?」


 僕は少しへらりとした顔で笑いながら、最後に尋ねた。

 話している内に、何だか自分の気のせいだと思って仕方なくなってきたのだ。


 村上さんはしばらく、考えて一言だけ言った。



「気にするな」



 それだけ言うと、興味無さそうに視線を外される。

 僕は少ない言葉の意味をはかりかねて、少しの間固まってしまう。


 そして結局、彼に相談したのが間違っていたのだと考える事にした。





 祓い屋へは大体、週に5回行かなくてはならない。

 それは池を通る回数が、それだけ多くなるという事と同じだ。


 解決策が分からないので、僕は今まで通り目を閉じて早歩きで通っている。

 しかし嫌な予感が、日を重ねるごとにどんどん大きくなっていく。



 村上さんには頼れない。

 この前みたいに素っ気無い言葉をもらうだけだ。


 だから何も考えないように、怖いと思うから怖くなるんだと自分を奮い立たせている。





 そんなある日の事だった。

 今日は他の用事があって、いつもより事務所に行く時間が遅くなってしまっていた。


 悪いのは僕なので、全速力走りながらで事務所へと向かう。

 そして、問題の池が見えてくる。



 さすがに今日は目を閉じて行く事は出来ない。

 一瞬だけ迷ったが、僕はスピードを緩めずに走り続けた。



 池は大きいので、通るのに数分かかってしまう。

 全速力だとしても、そんなに早く通れない。


 僕は何も起きるなと願いながら、走った。




 あと少しで池を抜けられる。

 息が切れながらも、安堵していたら僕の耳が何かを拾った。



『……やる』



「え」



 駄目だと分かっていても、立ち止まってしまう。

 そして何を言っているのかと、耳を澄ます。



『……ってやる。……ろってやる』









『のろってやる!』


「うわあああ!?」



 何を言っているのか分かった瞬間、僕は驚き腰を抜かしてしまう。

 その声が、すぐ耳元で聞こえてきたからだった。



 こんな時に限って、周りには誰もいない。

 それは助けを求められない状況だというわけだ。



『呪ってやる。呪ってやる。呪ってやる。呪ってやる。呪ってやる。呪ってやる』


「うわ。うわ」


 声はずっと耳元で聞こえてくる。

 僕はその正体を探して、辺りを見回す。






 そうしていると、いた。

 池の真ん中の方、水面がボコボコと波立っているのが見える。

 それはゆっくりと、出てこようとしていた。


 黒くて、大きな何かが、水面から盛り上がって浮き上がってくる。




 そして……。





「うわあああああああ!!」



 ようやく立ち上がる事が出来た僕は、それを確認する余裕もなく逃げた。

 そして池の方を絶対に見ないようにしながら、事務所の方へ走る。






 バタンッ



「お、遅くっ、なりましたっ!」



 怒られるのを承知で、僕は事務所に転がるように入った。

 中にいた村上さんは、ちらりと僕を見て無視してくる。


「何があったのか、聞いてくれないんですか」


 僕に対しての扱いがあまりにも冷たすぎて、さすがに声をかけてしまった。

 村上さんはソファに座りながら、またこちらを見てそしてそっけなく言う。



「どうせ、池で何か見たんだろう」


「えっと。はい、そうです」



 正解を出されてしまうと、僕も次の言葉が出なくなった。

 落ち込みながら先生の向かいのソファに座る。


「まあそろそろだろうなと思っていたからな」


「どういう事です?」


 座ると同時に村上さんは、さらに話を続けた。

 その言葉を不思議に思い、僕は首を傾げる。


「お前がこの前相談してきた時から、こうなる事は予想済みだ」


 彼はどこか遠くの方を見つめている。

 その視線の先を追っても、僕には何も分からない。


 何かがいるのかもしれないし、何もいないのかもしれない。


「あれはな。お前の創造の産物なんだよ」


 言い返そうとしたが、村上さんの雰囲気がそれを許さなかった。

 僕は我慢して、静かに話を聞く事にする。


「俺もあの池の道は通る。だけど何も見えた事も、感じた事もない。あそこには何もいないんだよ」


 遠くを見ていた視線が、こちらに合わさる。

 自然と喉が鳴った。


 村上さんの言うとおりだとしたら、先ほど僕が見たあれは何だったのだろう。

 そんな疑問が頭の中を占める。



「さっきも言ったが、お前が見たものはお前が作り出した化け物。何もいなかったあそこは、お前の恐怖に反応してそれを具現化した」



 疑問はすぐに解決された。

 しかし僕には、どうも納得出来ない。


「でも、前からあの場所には嫌な感じがあったんです。それは何なんですか?」


 あれを僕が作り上げたとしたら、何で前まで嫌な感じがしていたのか。

 そっちの方が、恐怖を感じる前からだった気がする。



 そう思って、聞いた疑問にため息が返って来た。



「はあ。だからその嫌な感じも気のせいだったんだよ。それなのに過剰に反応したせいで、今日みたいな事になったの。さっさと理解しろ」


 みんながみんな、村上さんみたいに頭が良いわけではない。

 そう反論しようとしたが、自分が虚しくなるだけなので止めた。


 もう気持ちを切り替えて、仕事をしよう。

 軽く頬を叩いて気合を入れると、僕はソファから立ち上がった。


 そして色々と動く前に、僕は最後に村上さんに言った。



「でも凄いですね。思っているだけで、あんなものが作られるなんて」


 彼はまた、どこか遠くを見つめて息を大きく吐く。



「そりゃ、幽霊の大半がそのせいだからな。思いの強さっていうのは馬鹿に出来ない。まあ、その逆もあるけど」



 僕は彼の言葉を、あまり深く考えないようにした。




 そしてその日以降、池の近くを通っても何かを見る事は無くなった。





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