異世界コンクエスト!―転生したらいきなり魔王って―

猫子 揚羽

英雄の誕生

第1話 転生

 何があったか正直、僕は覚えていない。

 漠然と頭の中を埋め尽くすのは鈍い痛み。正直何かを考える気もなかった。

 靄がかかった頭は靄のかかった世界をそっと覗き……その奥の桃源郷を見せた。

 目の前には、赤い髪の少女。肩まである髪も、陶磁器のような白い肌も、藍色の瞳の上のまつ毛も、しっとりと水に濡れていた。

 薄い靄は彼女の女性らしい双丘や桃色の頭頂部、腰の括れから先の窪みまで、なにもかもを隠してはくれなかった。

 少女の瞳が混乱の渦中で震える中、僕は精一杯頭を動かした。


「……ああ、ここ天井、脆いですね」


 今落ちてきた天井――もとい穴を指さし、僕は微笑んだ。

 遅れながら、ここは浴室。それも巨大な。もくもくと湯気が立つ巨大な円状浴室と、大理石の床。神秘すら感じる浴室に居る彼女は女神のようだ。

 女神はゆっくりとほほ笑み、近くにかけてあったローブを纏った後……同じく近くにあった剣を抜いた。


「死ね、痴漢!」

「わあ!」


 切り捨て御免の斬撃が僕を襲った。避けた途端に近くで火花が散る。

 真剣。そして……動けない。


「なに……これ……」

「一般的な念力でしょうが!」


 念力が一般的でない僕からしてみれば怒られる義理がない。。

 ああ、違う。義理はあった。屋根ぶち抜いて覗いているんだから。

 僕は近くにあったお湯だまりにふと目をやった。そこには……僕ではない人間の顔が映っていた。


「な……誰だ……え?」

「辞世の句は、それで良い?」


 良いわけない。何かを知ることもなく僕の意識は、暗がりへ消えていった。


   †

 

 どれくらいの時が経ったかは分からない。

 気が付けば僕は、じめじめとした黒い煉瓦の上に横たわっていた。

 ぴちょん、ぴちょんと、頬に当たる水で僕は目を覚まして最初に感じたのはそれだ。

 鉄格子の向こう側は薄暗い。ゆっくりと起き上がって、異変に気付く。

 物の見え方が若干違う。視覚的にも聴覚的にも嗅覚的にも。何よりも……顔が違う。僕は、誰だ?


「気が付いたようね。痴漢魔」

「あの、その件に関して物申したいのですが……」

「へえ、あるんだ。言ってみなさいよ」


 燃えるように紅い髪を所謂ポニーテールに結った少女は、赤いローブマントに身を包んでいた。中もどこか格式ばった制服で、随分と仰々しい。

 そのさらに下がどうなっているか、浴槽で見たことを思い出しそうになって慌てて顔を背けた。


「なんでああなったか分からないし、僕が誰かも分からない」

「知らぬ存ぜぬを通そうなんて片腹痛いわ。そんなの、まるで天から降って……あんたまさか……魔王の子……?」


 知らない場所に来ると知らない言葉を聞いてばかりだ。

 辟易としながら頭を掻いた。

 髪の色は鮮やかな青。もう、自分の体なのに動かす度にパニックが訪れる。

 そんな僕を、少女は牢屋を開けるや否や腕を軽く極めながら、階段を上らせた。ずっと暗く、ランプの明かりが僅かに照らすような場所。どうも地下牢のようだ。

 そして、堅牢そうな扉を開くとそこは目に悪い明るい世界。

 思わず顔を背け、極められていない手で傘を作る。


「なんだこれ……」

「氷の居城(フロストフォール)よ。来なさい、あんたをフリューゲル伯爵に引き合わせる」

「誰が誰に引き合わせるっていうんだ」


 僕の抵抗空しく、少女は赤い絨毯をぐんぐん突き進んでいく。

 人に会わなかったのがせめてもの情けと言うか幸福だろう。

 やがて、ある部屋の前に引き出された。木製で、金の鳥が麦に座るエンブレムが描かれている。明らかに誰かの私室だ。


「フリューゲル伯爵、例の覗き魔が起きました」

「入れ」


 中の渋い声に従って、少女は僕を部屋に入れた。

 なんだその紹介は……

 部屋の中には一人の男性が居た。

 金髪のオールバック。通った目鼻立ちと堀の深い顔立ち。佇まいから感じ取れる貫禄は年齢を感じさせない若々しさをマイナスにしない渋みを持っていた。

 赤い制服に金の襟章。同じく金のマントを羽織った彼は、僕を見据えていた。

 睨んでいるわけではないのだろうが、たかを思わせるそう顔には絵も言えぬプレッシャーがある。

 恐らく彼が、フリューゲル伯爵。


「卿の名は」

「……分かりません」

「伯爵。彼は恐らく、魔王の子です」

「ほう……証拠はあるか、魔王の子よ」

「証拠も何も、僕は自分が誰かも……分かりません」

「レイテシア、こやつの潜在魔力(マナセンス)は」

「計測はしていません。ただ、城の浴室は地下。そこを抜けるとなると、最早疑いようはないのでは?」

「確かに。我が城に入ったことを鑑みても、恐らくはそうだろう。レイテシア、卿の軽はずみな行動はさておいて、この犬をどうするかだ」


 僕を完全に無視し、伯爵はステッキで僕の膝を振り抜いた。


「ぐう……」


 痛みに膝を屈し、跪いた。いきなり……でなくても痛いな。

 彼は僕を見下ろすと、ゆっくりと、まじまじと僕を見た。


「貴様、床に這いつくばるだけが能か?」

「……いいえ、ただ僕は、あなたにお願いをする立場でもない」

「では――」


 伯爵が何かを言おうとした時、アラームが鳴り響いた。

 部屋に似つかわしくない、酷く胸を不安で埋める音。警告を促す音が響いた。


「敵襲か。丁度良い。レイテシア、こやつに艦艇を指揮させろ」

「はい!? お言葉ですが伯爵……」

「二度言わせるな。卿の父は立派に戦い、その座を卿に託した。私はそれを信じている」


 何か言いたげな少女は結局何も言えず、代わりに僕を睨んだ。なんでだ。


「かしこまりました、伯爵閣下。兵力は」

「好きにせよ。卿の実力ならば一人でも切り抜けられるだろうが、足枷がある今はその限りであるまい」

「寛大なご処置、痛み入ります。おいあんた、行くわよ」

「え、え、どこにえ?」

 

 少女は聞く耳を些かも持たないようで、僕の腕を引いてまだ移動だ。


「ちょっと待ってくれ、何がどうなってる!」

「敵襲よ。戦争が始まるわ」

「なんでそんな大ごとを僕にやらせようと!?」

「あんたのマナセンスに懸けてんのよ。私だってまだ死にたくない。全力でサポートする」

「それって利害関係の一致であって、別に僕の命はどうでもいいってことじゃ……」

「よく気付いたわね。聡明だわ。ほら、これよ」


 これ、と言われて見せられたのは、長方形の……宇宙船か? SF映画で腐る程見たが、まさかこんなところでもう一度見ることになるとは。

 僕が感慨深く見上げていると、少女は中に押し込んだ。

 すぐに金属色の通路を抜けさせられ、中央の椅子に座らされる。

 艦長椅子に座ってテンションが上がるのはここまでだ。


「ほら、触れなさい。魔王の子なら、使い方が一瞬でわかるわ」

「なんだそのご都合主義は。それより、初めて触れる者の商才がわかって……わかる」


 僕は頭の中にひらめいた何かに従って、椅子の前の空間に触れた。

 光り輝く、青白く、四角い窓……ウィンドウが表示される。

 すぐにタップし、船体状況を確認した。


「魔力動機(マナドライヴ)始動。フォースエネルギーチェック、プログラムスタート。ファイアコントロール掌握。アイハブコントロール。ヴァリスター発進」

「上出来。私はハンガーに居るわ。戦闘が始まると同時に出撃する」

「待ってくれ、状況が読めない。僕は一体なんだ!」

「魔王の子よ」


 答えにならない答えを貰った僕は、次の瞬間……窓の外に、星空を見た。

 漆黒の空に広がる、満点の星々。そこはもう、空の向こう側だった。

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