倫理的再教育プログラム

 ──姉と兄の声がする。


「スタンガンってやっぱり倫理的ね。痛みも与えないで意識を奪う。特に新時代になってからのスタンガンの進歩は目覚ましいわね」

「倫理は力があって成されるものだからな」


 杏奈は、勢いよく起き上がった。

 どうやら自分はベッドに寝かせられていたらしい。


 だけど……普通のベッドではない。

 お腹に、太いベルトのようなものが巻き付いていて、ベッドから離れられない。


 先ほどの大取調室に比べれば、ずいぶん狭い部屋。

 打って変わって、真っ白な部屋。

 備え付けの大きなスクリーンモニター以外、家具はほとんど置いていなくて……だけどなぜだろう、便器のようなものが置かれている。杏奈の部屋より小さくて。扉は、……かっちりと閉められている。


 そして。

 殺風景な部屋に似つかわしくない、ひとりがけの上質そうな革張りのソファが二つ。姉は足を組んで、兄は腕を組んで、座っていた。


「お姉ちゃん……? どうして……」

「あら。すごい。目覚める時間もぴったり、誤差なく計算し尽くされているわね」


 姉は右腕に巻いた腕時計型デバイスで、時間を確認したようだった。


「裁判の手伝いがあって到着が遅れてしまっただけ。今日も裁判官様がさ、人間の名に値しないゴミを一匹、人間未満にできたのよ。試しに、牛にしてみたのよね。あの女。犬や猫になれば愛玩用になれるし、なんて。そんな簡単な話じゃないのよねー」


 姉は、長い髪をかき上げる。相変わらず美人な姉。


「人牛か。一生、牧場で搾乳?」

「そうそう。ほらあるじゃない、人間の血液を引用可能な乳成分にするって。あれがもう実用レベルまで下りてきたのよねー。判決の際に使っていいって。本部からのお達しなのに、悠臥ゆうが、知らないの?」

「俺はまだ下っ端仕事だから。技術もずいぶん進んできたんだな」

「ねー。倫理の名のもと。助かるわよね、科学技術の発展」

「……ね、ねえ、いまどんな状況なの、お姉ちゃん、お兄ちゃん……」

「あら、また喋った」


 姉は──口のかたちだけは笑顔のまま、杏奈を見た。


「杏奈。だめでしょう? きちんと倫理的でいなくては」

「そうだぞ。倫理的再教育プログラムなんて……恥ずかしい」

「そうよ。恥ずかしい」

「……私、呼ばれただけだよ、公園事件の容疑者とかかわっただろうって、お母さんが迎えに来て、倫理監査局の本部に来て、話をして、それだけだよ」

「その結果、倫理的な再教育が必要とされたんだ。杏奈がさっき話してたひとな。教育プログラムの担当なんだよ。結構えらいんだからな? きちんとした態度で話をしないといけないんだからな」

「まあまあ悠臥ゆうが、そんなに杏奈を怒らないであげてよ」


 ひらり、と。

 蝶のように、姉は立ち上がった。


「まずは動画を見てもらいましょうよ」


 ね? と──可愛らしく、学校でも評判で大人気だったという学生時代のころとまったく変わらない魅力的な微笑みを、姉は見せる。


 わかったよ、と兄はちょっと拗ねたように言って、スイッチをつける。

 モニターでは、動画が流れる──倫理的再教育プログラムの、内容。


 それは。端的に言えば。

 倫理監査局の、再教育室──つまり、杏奈がいまいる部屋で。

 倫理の意義をきちんと学び。

 倫理監査局員、つまり、倫理をしっかりと修めた倫理の代弁者である者たちの言うことが、きちんと聞けるようになるまで。

 再教育室に勾留されて──ひと月の猶予を与えられて、部屋から出てよい許可を得るまで倫理的な学びに励む、というものだった。


『最初は、倫理的ではなかったひとたちは』


 とても穏やかに喋る女性の声は、だけども、人工音声だろうか。……人工音声もひとの声も、もはや、あまり区別がつかない。


 倫理的では、なかったひと。

 例として、何人かのひとが映る。

 怒鳴るとか。暴力を振るうとか。反発するとか。倫理をばかにするとか。

 演技ではなく──実際の、記録だろうか。


『次第に、倫理的になってゆきます』


 先ほど映し出されたひとたちが、小さな部屋の机に向かって学んでいる。

 後ろで、倫理監査局員が笑顔で立っている。


『彼らは真剣に学びます』


 真剣に──というより、顔は、真っ青に見える。


『倫理的でなければ、倫理的配慮としての罰がありますが、これはよいことです。倫理的でなくなり、人間でなくなってしまえば、このような罰は日常茶飯事なのですから!』


 正座。鞭。──飛んでくる鞭。


『あなたも必ず、倫理的になれますよ!』


 そして、動画は終わり──。


「……なに、この動画? 私と……なにか、関係あるの?」

「もちろん」


 姉は、満面の笑みを見せた。


「お兄ちゃんが愛をもって、杏奈を再教育してくれるんだからね」

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