疑似的ヒューマン・アニマル
「人間未満と、同じ状態……」
『以上が人間未満体験プログラムの基本的な説明です。ご満足いただけましたか?』
「ちょっと……難しくて……まだ、よくわからない」
『そうでしたか。それは申し訳ありません』
もうすぐ。もうすぐ。――母が来る。
あとどれくらい、Necoと話せるだろう。
べつに、倫理監査局から戻ってきてもう一度話せばいいだけなのだけど――。
「えっと……つまり。人間未満体験プログラムって、何をするんですか?」
『説明しました通り、人間未満の状態を体験するということです』
「それって……つまり……」
うまく言葉が出てこない。考えがまとまらない。
「……何を、するの? 実際には、何を?」
『人間未満とは、一般的社会においては、ヒューマン・アニマルになることを義務づけられています。つまり、疑似的ヒューマン・アニマルとして過ごすことを意味します』
「ヒューマン・アニマルとして……?」
ぴんとこない。
人犬とか、人猫とか。もちろん杏奈も知っているけれど――犬は犬だし、猫は猫だし。……もともと素材が人間なんだよと言われても、あんまりにも杏奈の知る「ひと」からかけ離れた彼らのことを、人間だとはやはり思えなかった。みんなも、そうであるように。
杏奈は、自分が家族のおかげで得してきたことを知っている。社会評価ポイントをふんだんに与えてもらったと、知っている。
それでも、人間未満というのはやはり遠い世界の話のように響いた。
「ふつうは……ヒューマン・アニマルになんて……ならないですよね」
ふつうは、犯罪なんてしない。ふつうは、何年もひきこもったりしない。ふつうは、
そんなに社会に害を与えるなんて、ありえないし、……本当にそんな人間がいるのかさえ実感できない。倫理監査局で働く家族はそういうひとたちとたくさん接しているけれど、そういうひとたちの話はやはり、どこかフィクションのように聞こえた。
ふつうは、ふつうは、ふつうは。
ふつうは……。
ふつうに、生きていれば、人間未満になんてなるわけがない。
それは、杏奈のなかに響き続けることばだった。自分自身の足りなさを実感させられると同時に、ほとんど無意識に他人に向く、ナイフのようなことばだった――杏奈自身がそのナイフを嫌っていたとしても、それに代わる武器を、まだ杏奈は手にできていなかった。
『はい、そうですね。しかし、社会に害をなしうる者に関しては、疑似的ヒューマン・アニマルという措置がなされます』
「人間未満じゃなくても?」
『そうです。彼らは普段はひとりの人間として生きています。ですが、成人するまでの間、1年の6分の1以上の期間は、継続して、ヒューマン・アニマルとして過ごすことを義務づけられています。これが人間未満体験プログラムの、別の角度からの説明です』
「1年で。……2ヶ月以上?」
『そういうことです。主に長期休み等を利用することが多いです』
「夏休みとか、春休みとか……」
『その通りです』
夏休み、春休み。
しぶしぶ塾には通いつつも、それ以外の時間はだらだら遊んでいただけの、長くて、ちょっと気だるくて、だけどもきらきら輝いて楽しかった、学生時代の貴重な時間。
わっと、あの時間の想い出の感覚が押し寄せる。
「夏休みも冬休みも……私は、遊んでばっかりだったよ」
『社会に害をなしうる者は、事実上、学校の長期休みに遊んで過ごすことは許されません。彼らはまず未成年であるという前提があります。未成年のほとんどが学校に通っています。既に社会に充分な価値を生じうるだけの仕事を持っている、社会的に成功している等のごく一部の例外を除き、未成年でありながら学校に通わない者のほとんどが人間未満となります。統計をご覧になりますか?』
「……大丈夫です」
どうせ、見てもよくわからないだろうから。
『そうですか。説明の続きをします。社会に害をなしうる者は、成人すれば、人間未満体験プログラムの義務が免除されます。しかし、成人までは必ず毎年その義務を果たさなければなりません。そして、未成年で人権を持つ者のほとんどが学校に行っていること、1年の6分の1以上の時間は人間未満体験プログラムに参加せねばならないことを併せて考えると、彼らのほとんどは長期休みを人間未満体験プログラムに捧げることになります』
「2ヶ月……学校、休めないもんね、普段は」
『おっしゃる通りですね。先程も説明したように、人間未満体験プログラム参加の条件に、継続して、というものがあります。たとえば、1日24時間の6分の1、つまり、1日4時間ヒューマン・アニマルとして過ごせばいいという話ではありません。現行の学校法を顧み、夏休みと春休みに分割することが許されてはいますが。夏休みに1ヶ月間、春休みに1ヶ月間。これは人間未満体験プログラムの標準的時間です』
「そんなに長く――」
自分が。ほとんど。遊んでいただけの時間に。
「……それで、あの。疑似的ヒューマン・アニマルって――」
その瞬間。
ピンポン、と。明るすぎる、まるい音が、痛いほど部屋を貫いた。
誰が押しても同じ音のはず。だけど、友達ではなくて家族が押すときには、こんなにも、耳に鋭く響く。
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