社会に害をなしうる者

 ――聞き慣れない言葉の響きが、耳に、ざらついた。


「人間未満体験プログラムって……何ですか……」

『はい、人間未満体験プログラムとは、その名の通り人間未満の状態を体験できます。人権の大切さを実感できる、効果的なプログラムとして世界的に認められています』

「はじめて……聞きました」

『そうですか。確かに、人間未満体験プログラムは、広く一般に知られているとは言い難いかもしれませんね。ですが、非常に効果的なプログラムとして確立されています』


 効果的、効果的と繰り返すのは、人工知能だからなんだろうか。


「人間未満の状態を体験するって……どういうことですか」

『それは複雑な話題になります。倫理規定に基づき、丁寧に説明する必要があります。また、開示できない情報もあることをご了承ください』

「……わかりました」

『ご理解いただきありがとうございます。前提を確認しましょう。質問があれば何なりとどうぞ。まず、人権は非常に尊いものですね?』


 現代の人工知能は、一問一答に留まらない、……まるで人間同士で話すかのように、長く複雑な文脈のなかでやりとりができる。


 質問と合っていない、そう感じるけれど。

 ……家族だって質問にそのまま答えてはくれない、答えを答えとして受け取れない自分のほうが悪いのだろうと――それが良いことか悪いことかは別として、杏奈は、自分の話とずれているように思う話にも、耳を傾ける習慣が身についていた。


『通常であれば、人権はしっかりと守られます。自己の人権のみならず他者の人権を守り尊重することは、社会に生きる人間としての権利であり、義務です。我々、人工知能もその義務を負っています。しかし一方で、人権保護には例外があります。それは、劣等者と、社会に害なしうる者です』

「……劣等って……社会評価ポイントが低い、という意味で言ってますか」

『はい、そうですね。より厳密には、相対的に、社会評価ポイントが低いということです。社会評価ポイントが低いということは、即ち、豊かな社会に貢献できていないということになります。豊かな社会こそが人権を守る世界の土壌です。飢餓、貧困、争いと、我々の社会は無縁でなければなりません。ですので生産性の向上もまた、人権保護に伴う義務です』

「……私の社会評価ポイントは、家族に与えられただけのものです」

『それは素晴らしいことです! ご家族があなたの意義と価値を認め、豊かな社会の一員たる者として認めているということですから』


 そんなことは、ないと思うけど――息をつくようなひとりごとは、声のかたちにはならずに心のなかで溶けていった。


「……劣等者は、私も、その……知ってます。だけど、社会に害なしうる存在っていうのは――」

『一般的には犯罪者、あるいは極端な劣等者の近親者と定義されます』

「犯罪者は、例外ではないのですか?」

『すみません、おっしゃっている意味を掴みかねます。犯罪者は人間ではなく人間未満です。したがって、人権の話の対象ではありません。他に何かアドバイスできることがあるでしょうか?』

「でも……人権制限をされているひとって、いますよね。こう、公園で体操していたりとか……。ああいうひとは、犯罪者ではないんですか?」

『犯罪者は原則、すべて人間未満ですが、その犯罪に対する倫理監査局の判断によっては、人権剥奪の執行猶予措置が認められます。ごく軽微である、故意ではなく過失、抒情酌量の余地があるなど、いくつかの条件によって執行猶予措置がなされます。きちんと指導を受け、人間に足ると認められれば人権が回復され、人間に相応しくないと判断されればそのまま人間未満処分となります。人権制限者のなかには、このように、人権剥奪執行猶予措置を取られている者が確かにいます。同時に、彼らの多くは相対的劣等者です』

「……社会に害をなしうる、者? っていうのも、その……執行猶予や劣等者のひとたちと同じで、人権制限者なんですか……?」

『いいえ。社会に害をなしうる者というのは、生物学や社会学などの学問の見解に基づき定義された、特殊な立ち位置の者たちです。犯罪者の子は、社会に害をなしうる者の典型です。しかし、我々の社会は素晴らしい社会ですので――』


 ……また、出た。

 そのフレーズ。


 我々の社会は、素晴らしい社会ですので――なんてきれいで、完璧で、流れるかのように耳に残らない言葉なのだろう。

 だからこそきっと、正しい言葉なのだろう。


 自分の心のざらつきこそが間違っているのだと――杏奈は、必死に自分に言い聞かせていた。

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