高層ビルと人工知能
『では今度お店に来たときに、イチゴを食べた感想を聞かせていただけませんか?』
社交辞令だとわかっているのに。
真に受けてはいけないはずなのに。
そもそも、そんな、ケーキが美味しかったとか、どうとか。そんなやりとりをしたところで、いったい何になる?
無数にいる客のうちのほんの一人。
お客様対応。いわば、世間話作戦が成功して。一人ぶん、売り上げを増やすことができた。
ただそれだけの存在に過ぎないのに。
わかっているのに、電車はとうに降りねばならない駅を過ぎた。
窓から見えるのは高層ビルの建ち並ぶ風景――ピンクや黄緑のパステルカラーのビル群たち。そうではない色のビルは、そろそろ倫理監査局から塗り替えるように要求されるだろう。建物も徹底的に人間に対して優しくなければならない。そういう時代なのだ。
前時代の人間たちの想像に反して、二十二世紀が目前になっても、車は飛ばないし地上を覆うシェルターも存在しない。
せいぜい、ビルの色が優しくなった程度で。
シンギュラリティの後に生まれた狩理は、案外に、現実の風景が変化していかないことには慣れている。
一方で。人間に対する人工知能の管理システムが、変わり続けていること。たとえば人間加工技術が進歩し続けていること。そういうことにも、慣れている。
二十世紀は戦争の時代とも言われるらしい。技術が一気に進歩して、核戦争も可能になった。
ならば、二十一世紀は人間の時代だろうか。やはり、技術が一気に進歩して。人間を管理するシステムが、評価するシステムが、可能になった。
そういうことなのだろうか――狩理には、歴史のことはたいしてわかりもしないし、そもそも興味もないけれども。
狩理は昔ながらの、銀色にぎらつくビルのほうが好きだ。
だけれども、時代は抗えないことを知っている。
倫理の力には、到底かなわないことを、もう心の底から知り尽くしている。
どうして自分が彼女のもとに向かっているのか――わからず、合理的でもなく、狩理はしかし、ともかく大きなターミナル駅で降りた。
会社や学校から帰る人々で溢れかえる駅。みなが淡々と足を進める。談笑するような者はほとんどいない。ただ、ひたすらに、足を進める。
みな、一刻でも早く自分の空間に帰りたいのだ。だれにも評価されない場所に。あるいは、だれに対しても評価などしなくていい場所に。
中年の男性がよろめいて、転んだ。
狩理も、視線と意識だけはちらりとよこす。しかし、それだけだ。それ以上のことはしない。まわりの人間たちも、見て見ぬふりをしている。
すぐに男性の駅員が駆けつけてくる。大丈夫ですか、と心配そうな表情をつくって。
そして、ゆっくりと、手を差し伸ばすかのようにしゃがみ込む。
それはそれは、心配そうな表情で、もう、聖人のようで、なんなら演技をして自分に酔っているかのようだった。
大丈夫です、と転んだ男性は立ち上がり、そそくさと去っていった。
助けられるのを。他人との接触を、とにかく拒否しているかのような振る舞いだった。
駅員は、何事もなかったかのようにすっくと立つ。
そして一転、しらけた表情でスマホ型デバイスを取り出し、去っていく男性の背中にかざした――スキャンしたのだ。
そして、Necoを呼び出すコマンドを唱える。
あーあ、と狩理は思う。
駅員はおそらく、彼に対して低い社会評価をくだす。
風景はさして変わらなくても、人間社会は大きく変わった。
技術の開発の方向性は、どちらかというと物理的な空間を大がかりに変えるよりも、社会的なものごと、あるいは個人に向けられた。リソースもそのためにつぎ込まれた。
人工知能――Necoの精度は、前時代のそれとは比べものにならない。
背中であっても、スキャンすれば、一瞬でどこのだれなのかわかってしまう。
駅員は、ささっと何かを入力する。駅員として。あるいは、個人として。社会評価を打ち込んだのだろう。……どう考えても、マイナスに。
だから、外を歩いていたくなど、……ないのだ。
狩理は、ひたすら足を動かす。
この場に無数にいる人間たちに紛れて、背景の一部となって。
改札に向かって。
やはり、人なんて、変に信じてしまわないほうがいい――そう考えながら、改札を通り抜けた。
定期券や何らかのデバイスは要らない。Necoが個体認識をして通してくれる。交通費は後で引き落とされる。定期券外だと、Necoも知っているから、身体ひとつで改札を通り抜けるときにNecoはにゃにゃんと普段より少しだけ控えめな電子音を、出した。
そんな、至って現代的な、心の底から賞賛したくなるような駅を抜けて――狩理は、自分で自分が理解不能な行動を続ける。
傘をさして。繁華街を、歩いていく。
なんど、心が迷っても。なんど、このまま帰ってしまおう、くだらない、と思っても。……足は、彼女のもとへ向いていた。
駅も。街も。相変わらずなのに。
……だれかのために本当になにかをしようなんて人間、いるわけがないのに。
わかっているのに、わかっているのに、ケーキショップとの距離はどんどん近づいてくる。
雨の景色越しに、彼女が店番をしているのが見えた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます