来栖春、そのデータのはじまり

 来栖春は2068年、来栖咲良と瑠璃の第二子、長男として、首都に生まれた。



 幼少期には若干の不適応を見せながらも、さして大きな問題にはならなかったらしい。不適応自体が、のちに成長してくる妹の海ほどのレベルではなく、たとえば「少し引っ込み思案ですね」とか「友達をつくるのが苦手みたいですね」とか言われて済むようなものだったから、というのもあり。同時に、集団のなかでそれほど劣等ではなく、うまくいけば今後、どちらかと言えば優秀であるという範囲には入れそうな見込みが、あったかららしい。

 中学に上がるとその傾向は増し、心配されたような記録もわずかばかり残されている。それは、担任の教師によるものだったり、あるいは児童担当の倫理監査局員によるものだったり。

 だが、不器用で表情に乏しいながらも春はそういった目上の人間とはある程度、社会的にコミュニケーションすることができていたらしい。それで、さして問題にされなかった、という事情もあるだろう。海の場合はそれもできていなかったようで、一般的に、それさえできない人間こそがたしかに「劣等」と言われるのだから。


 中学二年生あたりから、彼は進路面談などにおいて周囲の人間に対してこのように言い出したらしい。

 勉強ができるようになりたい。勉強ができれば、まわりとあまり頑張ってかかわらずに済みますよね、と。


 ただ、肝心の成績のほうはというと、頑張ればどうにか――というのはつまり希望的観測のもっとも上限を考えても、いいとこ、どちらかと言えば優秀というところに留まるであろうと思われて、それはつまり妙な言い換えになるが、……そこまで優秀、というわけではないのだった。

 彼の致命的なところは、応用問題が苦手だったところだ。思考を要する問題と言い換えてもいい。

 とにかく、基礎基本はよくできる。記憶力に関しては申し分ない。一問一答のような問題を、どの教科においても彼はほとんど外さなかった。

 しかしそれらの知識を活用して答えるような問題になると、急にだめだった。当時の相対成績ファイルの分野別得点率が、あきらかにその事実を示している。当時の担任によれば、考えが進まないらしい、とのことだった。問題文は理解できるが、それに対して答える能力がないのだ、と。

 それは、言わずもがな優秀者らしくはない。


 バラバラの、パズルのピースを集めるだけかき集めているかのような学力。

 それを指摘されるたび、彼はムキになったかのように、暗記の部分を磨いてきたという――いま持っているピースでどう絵画を仕上げていこう、という思考には、ついにたどり着かなかったらしかった。



 ――努力はしてます。



 中学三年生の、進路面談のときの言葉がNecoによってそう記録されていた。

 いっぱい、いっぱい、時間をかけて、彼はパズルのピースを集めていった。勉強時間をとにかくいっぱい取っていると中学三年生の来栖春は主張して、教育的配慮を根拠にNecoにしばらく監視させたところ、彼の生活ぶりはたしかに彼がそう主張するのに足りるものだった。朝起きては勉強し、昼休みにも勉強し、夜も勉強する。

 それを彼は努力と呼んだらしい。

 否定はできない。しかし――そこまでやっているわりに、やはり彼の成績は、ぱっとしないのだった。……それに本当に学力を伸ばしたいのであれば、彼はもっと応用問題に取り組むべきなのに、実際にはずっとずっと基本問題ばかりやっていたのだ。ずっと、ずっと、ずっとずっとずっと。なにかの代償のように。なにかから逃れるかのように。


 勉強が好きなのかい――と問うた中学三年生のときの進路指導担当教師に対して、春はこう答えている。


 ――べつに、好きじゃないです。


 ああ、そう。では記憶した知識は覚えているのかな――


 ――覚えてないです。


 そうかい、もったいないね――知識は活用してこそなんだけどなあ――そうは思わないかい、来栖春くん――


 ――思わないです。



 会話さえも、一問一答形式のようだった。……会話文からさえ寿仁亜には簡単に見て取れる、進路指導担当教師の、誘導的なところにも、まったく、気づいたようすもない。


 彼は、性格が悪く意地が悪かったのか。というよりは……未熟な印象を受けた。中学三年生のときには、彼はきっとまだ、子どもだったのだ。知恵はついて理性も発達しても、未就学くらいの幼い子どもと本質的にはあまり変わらない。……基本問題だけとはいえ勉強ができないわけではない、暗記力だけはあった、という彼の能力が逆に、……彼の成長を、妨げていたとまで言えるのではないかと寿仁亜は思った。

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