競争原理

 中学三年まではまあ、それでも、まあ。

 ありがちと言えば、ありがちで。その程度の未熟さだったら、まあまあ、まだ許される。応用問題ができないとはいえ基本問題ができる時点で基本問題すら覚束ない者よりはましだ。

 だから、なおさら春は許された。

 そのままでいいのだと、自由意志を尊重されて、ひとりの人格して尊重されて、選択を、尊重された。

 その選択がいかに未熟なものであったとしても――。


 高校の進学までは、よかったらしい。

 むしろ非常にうまくいった。

 姉の空よりもランクの高い公立高校に進学。トップクラスとまで言わないが、それに準ずる高校であるとは言えた。

 現代では、公立高校も多様化している。教育方針をアピールするだけではなく、学費の水準やカリキュラムなども、ずいぶん自由に任せられている。優秀者で構成される社会はそもそも競争原理に基づいていて、それは理想ごとやきれいごと、社会の建前にとどまらず、実際の社会を動かす巨大な原理として機能している。


 組織も、個人もそういうものだ。

 競争原理において勝てる者こそが、この世で大きな人権を得られるのであり――勝てはしないが負けることもまあない人間も、まあ、ひとりの人間として生涯尊重されてゆける。

 負けては、けっしていけない。

 しかし、勝ったほうがよりよいのだ――子どもたちは、若者たちは、だから思い描く。自身が勝った未来を、思い描く。自身が勝者となって、この世のほとんどすべてのことを思い通りに動かして、他者は自分を上位者としておそれみなが媚びてきて、どれだけ自由奔放に振る舞おうとすべて他者が引き受けてへこへこしてくる、そんな、未来を、輝かしいものとして、ひろいものとして、希望に満ちたものとして、思い描く――夢見るかのように。



 若者に、競争原理を強いるならば、みずからも競争原理のなかで強者であることを、勝者であることを成人たちは示し続けなければならない。……生涯かけて、とまることは許されない。



 公立の施設もまた、そのような社会的な流れに巻き込まれていった。旧時代から現在への過渡期においてはだいぶ抵抗を示したと、寿仁亜は知っている。しかし実際問題、巻き込まれないことは不可能だった。

 すべてが競争原理のなかに取り込まれていく。優秀者は、なぜ優秀といえるのか? それはより劣等な存在がいるからだ。いいや、優秀な人間は、ほかより際立って優れることができたから、優秀と言われ大きな権利と利益を享受できるのだ。

 飛び出た杭が偉い時代となった。

 学校もふくめ、公立の機関もまた、より優秀になるために努力をしなければならない、そんないまでは当たり前の常識がこの時代には形成されていたというのだから驚きだ――むしろそれまでには競争もしないでどんなにのんびりやっていたんですかと、唖然と、あるいはきょとんとするまともな人間がいまではほとんどだろう。


 春が進学した高校というのは、学費が安いがしっかりとした教育を行う、というのがとにかくアピールポイントで、進路に応じたクラスを用意しているのが魅力でもあった。しっかりと優秀な若者たちも集めていた――本来ならトップクラスの高校に進学できるような能力の若者たちも、進学してきているようだった。近隣の公立高校よりも学費を抑えているがゆえだ。卒業生に数人でも超優秀者が生まれてくれれば、もとが取れるという考え方で運営しているのだろう。

 学費を抑えることによって、優秀ではあるがその家庭はたいして優秀ではない若者たちに的を絞って集客しているのだ。


 学費も満足に払えないとは、家族は優秀とは言えないのだろう。しかし家族が劣等であることは、かならずしも当人の劣等性を意味しない。関連性はおおいにある。遺伝子技術も進んだのだ。どこが受け継がれ、どこが受け継がれないのかは、旧時代よりもはっきりとわかる――だからこそ、たとえば犯罪者の子どもは「犯罪者遺伝子更生プログラム」を受けさせられることになっているのだ。法律に基づいて、しっかりと、ずっと。


 たとえば、家族が貧しいという劣等性。

 貧困は、遺伝子でだいたい解明できると言われる時代にもはやなった。

 その上で、ランダム性によって優秀性は大きく変わってくる。だからこそ、貧困の家から大人物が生まれることだってある。


 しかし、同時に、すぐれた遺伝子の価値というのはもはや否定できないが――。


 ……遺伝子的に多少不利でも、受け入れる、ということなのだ。

 春の進学した高校は。


 家が多少、貧しくても。あるいは、まあ中流であっても上流とは言えなくとも。

 優秀とは言えない遺伝子から生まれた子どもという、いわば、優秀とは言えない遺伝子のコピーでも。


 どちらかといえば、遺伝子の配置のランダム性に懸けてみる。

 その結果、たしかにたまに優秀な人物というのは出てくるのだから。超優秀者だって、何名かは出ているのだから。



 結果、優秀でないことがわかったら、それはそれ。そういうものだよね。仕方がないよねと――放り出すのもまた、世の中の常だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る